「デウス・X・マキナではやる気が出ない」はただのガロの我儘ではなかったのかなという話(プロメアの考察未満の殴り書き)
それまであんなに熱く戦いに臨んでいたガロが突然「この見た目じゃやる気が出ない」と言い出して、リオの力でリオデガロンやマトイデッカーを作ってもらった場面。ガロの我儘みたいなリクエストに応えてくれるリオ優しい、いい子、と皆さん言っていて、ほんといい子だなと思うのですが、あの我儘は世界を救うために必要不可欠だったんだなと思ったので書きます。
書いてる人は大昔に演劇を齧っただけの素人なので、誤りや間違いがあったらすみません。あと同じことを言っている方は既にいて、二番煎じだということは重々承知しているのですが、知らない人向けに書いているものがなかったみたいなので書きました。書き終わったら考察と呼ぶのも恥ずかしいくらいの駄文だったので、もっと適切な考察が出てきたら消します。。。
またパンフレットのネタバレが少しあるのでご注意ください。
○デウス・エクス・マキナとは
Wikipedia先生に詳しく書いてありました。私が大学時代に習ったこととほぼ相違ないようなのでそのまま引用します。(ブリタニカ国際大百科事典や日本大百科全書はそのまま引用するとちょっとわかりにくかったのですが、興味があったらぜひ読んでみてください。)
デウス・エクス・マキナ(deus ex machina、拉: deus ex māchinā デウス・エクス・マーキナー)とは演出技法の一つである。「機械仕掛けから出てくる神」、あるいは「機械仕掛けの神」などと訳される。
古代ギリシアの演劇において、劇の内容が錯綜してもつれた糸のように解決困難な局面に陥った時、絶対的な力を持つ存在(神)が現れ、混乱した状況に一石を投じて解決に導き、物語を収束させるという手法を指した。
エクス・マーキナー(機械によって)とは、この場面において神を演じる役者がクレーンのような仕掛けで舞台(オルケストラ)上に登場し、このからくりが「機械仕掛け」と呼ばれたことによる。由来は、「機械仕掛けで登場する神」ないし、舞台装置としての解決に導く神そのものが機械仕掛けであることとも解される。
どうしようもない救いのない展開に陥ってしまった時、天から神が降りてきて全て解決してくれるという手法がデウス・エクス・マキナです。ご都合主義的なものを広義にデウス・エクス・マキナと呼ぶこともあるのか、Wikiでは夢落ちなどもデウス・エクス・マキナに入るとしています。
物語の展開上助からないはずの登場人物が突然現れた神に助けられてしまうなど、その展開には必然性も因果関係もありません。そのためこの手法は早くから批判されていたようです。
○プロメアの「デウス・エクス・マキナ」
上記の内容を踏まえると、プロメアに登場するデウス・エクス・マキナについても色々解釈できることがあるかなと思います。
1)デウス博士の無計画なあの感じ
デウス・エクス・マキナという手法を考えると、デウス博士が全くの無計画なのも頷けます。いくらクレイに感づかれると厄介だからと言って、分厚い氷を破砕或いは燃やし尽くしてくれる誰か――それもバーニッシュでなければならない――がやってくるのを待つのはあまりにも希望が薄い。アイナに呆れられるのも仕方ありません。
ですがこれがデウス・エクス・マキナだとするなら合点がいきます。特に脈絡なく突然物語の中に降ってきた救世主。デウス・エクス・マキナの手法そのままです。あの会話もコミカルさを出そうとしただけの場面ではないのかも?
2)デウス・X・マキナというロボットのモチーフ
上記した通りデウス・エクス・マキナはクレーンによる機械仕掛けで舞台に登場する演出をとったことからその名がつけられています。
ロボットはまさしく機械仕掛けの物体であり、それをデウス・エクス・マキナそのものにしてしまうのが言葉遊びの妙。モチーフと演出技法両方の側面から機械仕掛けの神を表しているのかなと思いました。
○やる気が出ないガロの話
ガロの我儘の話です。ガロのキャラクターをまだつかみ切れていないところがあるのですが、こだわりはありつつも大事な時に突然やる気をなくすようなタイプには見えなかったので、1回目鑑賞時は「え!?」って面食らいました。折角デウス・X・マキナっていうロボットも手に入れてリオとも共闘できることになって、ここでやる気無くすか~!?って。
そうして2回目を見て、あれは必要な我儘だったんだなと気付きました。
もしデウス・X・マキナのままでクレイと戦っていたら、それは「神が『人間の努力と葛藤によって培ってきた物語』を完全に無視して与えた絶対的な力」によって収束させられるだけの物語になってしまいます。
ガロはそれは嫌だと言った。なんでかわからないけどこのままでは嫌だ。リオとガロの二人が人間として、自分たちの力と魂で世界を救わなければ意味がない。そうでなければこの物語は本当の意味で終われないのだとわかっていたんじゃないでしょうか。それを魂で汲み取ったからこそ、リオはガロの気紛れみたいな発案にすぐ対応してくれたんだと思います。
デザインのコヤマシゲトさんがパンフレットでデウス・X・マキナについて、「顔がないのは、まだキャラクターになっていないという意味でもあります。」と言っていました。このデウス・X・マキナは救世主ではありますが、世界を救う愛すべきキャラクターとして不完全なのです。
ガロの心意気とリオの炎によって、機械仕掛けのデウス・X・マキナはリオデガロンでありガロデリオンになる。神様の力はありがたく借りますけど、でもそれだけじゃ俺たち満足しないんで、俺たちの望むエンディングにしたいんで!…という人間の強かさみたいなものを感じ、あープロメアもう一回観に行こう…って思ったのでした。
まとまりがないけどおわりです。読んでくださってありがとうございました!
引用元
ウィキペディアの執筆者,2019,「デウス・エクス・マキナ」『ウィキペディア日本語版』,(2019年6月3日取得,https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%87%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AD%E3%83%8A&oldid=72982899).