二部二章で批判されている点に関して
何故ぐだとマシュは異聞帯で幸福とされている事象に武力で介入し、こんなの間違っていると独善を押し付けているのか?
答えはその幸福から目を逸らし、彼らを『憐憫』したら、ゲーティアと同じになるから
はっきり言ってゲッテルデメルングにおいて、ぐだとマシュが集落の儀式に介入し、幸福を奪った事はただの独善であり偽善だ。
けれど、それをしなかったらゲーティアと同じになる。
「彼らは不幸だ、本当の幸せを知らない。だから、せめて幸福なままでこの異聞帯の歴史を終わらせよう。この異聞帯は間違っている」
それはゲーティアと同じだ。人類を愛しているようで、ただ『憐憫』しているだけだ。
人の不幸な面ばかりを見て、人の幸福を直視しなければ、必ず「その異聞帯の人間」から報いを受けるだろう。かつてゲーティアが報いを受けたように。
だからぐだとマシュは目を逸らさない。
それがどんなに幸福でも、どんなにかけがえの無い日常でも。
自分達がそれを壊しに来た事を隠さず、異聞帯の人々と向き合う。
「顔を知った人間と戦う」為に。
かつて「生きる為」という目的を敗北直前まで知らなかった故に滅びたゲーティアの轍を踏まない為に。
おそらく、これからの異聞帯でも。その世界の人間全てから憎悪され、罵倒されようとも。
彼らは人類悪にならないために独善を貫き通すのではないだろうか。