これは個人の感想だし好きなところなんですが、ラビット・ホールはダニーの死で世界が止まったベッカがその死に少しずつ折り合いをつけていく物語だからベッカがダニーじゃない、けどダニーとの共通点をいくつか見つけて差し出した
当事者の少年と話をしたり、「子を喪った親の痛み*」を知っているナットとならダニーの想い出話をできるようになったりするのはよかったなと思うしダニーを考えないでいられる場所や時間が増えていくのも前向きな感じで物語的にははっぴーえんどだなと感じたんですがその一方で、
家のなか、スマホや服や子供部屋にダニーの思い出が詰まってる物ものが残っているから家の外ではダニーのいない世界と折り合いをつけているフリができていたハウイーはその代替になるものやケアをどっかで確保してるの? ベッカが前へ進めるようになるのも大事だけどハウイーがダニーのいた証で塞いでた傷口そのままにして証をどんどん減らしていったら今度は逆になるだけでは? と思ったりはだいぶする じごくほりが趣味のオタクなので
* その喪失感が連れてくるのが痛みなのか絶望なのかもっと別のものなのかは知らんけど 「耐えられ」ない「重い」ものなのはナットが劇中で言ってた
ハウイー、仕事なり友人関係なりセックスのお誘いなり元の日常に適応した振舞いしてるようでベッカと向ける対象も出し方も違うだけでベッカ同様傷口開いたまんまじゃん、僕たちがあの子を責めてない、怒ってないっておそらく本心から口にしてるのにそのジェイソンが家のなかに踏み入るのをあんな勢いで拒絶する
時間をかけたケアと子を喪った気持ちを共有できる相手が必要なのはベッカだけじゃないっぽいのにベッカが細いけど複数の糸を繋いでいく一方でダニーの記録や支援の会やを手放す一方だったハウイーはどっか別のところでその糸を得ているのかな イジーが(浮気疑惑に憤っていたとはいえ)ダニーの部屋への言及をああいう感じでするあたり、ダニーのものを取り去らないでほしい、ダニーが消されるみたいに感じるって話もベッカにしかしてないんじゃないのあれ 支援の会で知り合った女性にはしてるかもしれんが身の潔白を証明するのだか身を潔白にするのだかで会との関係を断ったわけで
そらジェイソンが挨拶に来る前のベッカみたいに何もかもを見てダニーを思い出しているわけにはいかない、それと同じようにいつまでもダニーの遺品をそのままにして縋り続けるわけにはいかない、「変わらなくちゃ」はお互い様なんだけど変化への適応は段階を踏んで掴まる先があってやるものであって、それを確保しないで前へ前へすると底が抜けると思うんだが 心の
ベッカは深夜にひとり抜け出して最後に撮った息子との動画を繰り返し見ているハウイーを知ってるわけだからある程度のケアはできるしすると思うけど(彼女がしてもらったのと同じ程度には)、ハウイーがナットにもイジーにも傷口を見せてないのでベッカと共有できない部分を(想いは分かち合えないにしても)吐き出せる相手がいないんじゃないか? タブに睡眠薬(鎮静剤)のませたとかダニーの使ってたおもちゃは全部処分したとか(本は残したし顔のあるぬいぐるみは残してイジーにあげたけど使ってあそぶおもちゃはボールから飛行機から全て黒いごみ袋に入れた)それなのにジェイソンの送ってきた『ダニーへ捧ぐ』のマンガは残したとか、発覚したら荒れそうだなって思いながら見てたらそのまま終わったので黒いごみ袋は段ボールに入れ替えられてしばらく地下室に残ってるといいなと思うことにした いやまあ捨ててると思うけど
ベッカの物語なのでベッカの話をしてもいいんだけどベッカは止まり続けたままじゃなく、イジーやナットやジェイソンの言葉や考え方を時間をかけてちょっとずつ(無意識のもあるだろうが)内に入れている、つまりダニーが死んだ日のまま止まってたところからちょっとずつ変わっていっているのが示されてたからたぶん大丈夫だと思うんだよな……。
閉じてた心にジェイソンが空気穴をあけて、少しずつの変化で余裕ができて(というよりは考え方に距離を持てるようになって)ダニーの遺品を離したくないハウイーとの平行線もどっちかが折れるのではないすり合わせができるようになるんだろうな(少なくともベッカのほうは)みたいな……。
イジーはいつまでも子どもみたいな言われ方されてるけど妊娠が発覚してからお酒は一度も飲んでないし勧められても断ってるし生活やオギーとの付き合い方も子どもを産み育てる、に合わせて変えているし、そもそもあの家族(?)のなかで一番大人なのイジーだし……。イジーが一番、大切な人たちがうまくやるために自分の感情を抑えて場の雰囲気をととのえる繋ぎ役がうまいんだよな……。自分の誕生日があんなことになって「来年もやろうよ!」「楽しかったよ(ほんとだよ?みたいな声で言う」って言えるの大人すぎるしあの時点ではオギー結婚してイジーをこの一家から引き離してくれとめちゃくちゃ思った(タコピーでご家庭じごく環境をふんだんに摂取したため)
イジー、アレックスが生きてたときからずっと鎹っつーか道化のケアラーやってきた末っ子じゃん……感があった、いちばん大人ってそういう意味 ベッカとナットは元々がかなりああいう……なんというか、おべんきょてきな優等生だけど負けん気と正義感が強くて(あとチョット自然派で)意見の対立で傷つけてもごめんを言えない気質でしょ、ああいう話を~とかいつも~みたいなこと言ってたし…… ハウイーは気を回してるときと無神経に踏んでるときの差が大きくてどこまでが元々の気質でどこまでがメンタルデバフで余裕がないからなのかわからん
ナットは変わらなくていいんだよ世代的にも物語的にも変わる必要のない立ち位置のひとだから。それは彼女が上の世代だということでもだし、子どもを喪って11年経った親だということでもそう。
そうなんだけど1幕のおっこれはやべえタイプの親! からの、2幕のややがさつで年老いて(年老いるというのは価値観を変えるのが困難になるということだと思う)いるけど丁寧に受け止めようとしている受容的な隣人(聖書の意味で)ぽさ、私にはナットのあの二面性がどう両立しているのかよくわからんけど(そもそも同じものかもしれんが私の人間情報DBにそれらを括るタグがない)「子を喪った親」のモデルケースというか、「私はね」って言いながらベッカがいま堪えているものの先を適切な距離感で見せてくれる2幕ナットの存在はベッカが立って前に進む支えのひとつになった(し、これからもなる)のだろうと思った
ジェイソン、彼なりに一生懸命考えているのが伝わるけど気遣いも発想も計画性もどうしようもなく子どもなのが高校生くらいの子どもの精いっぱいって感じで好きでしたね……。科学者なら絶対〜とかも高校生っぽい視野の狭さでさ。そんな不確定でオカルティックなものに依って立つのは危ういよと思うけど子どもってそういうものだし、そういうこと言ったら神さまの〜とかで救われたりする大人たちだってそう変わんないわけで。
ところでなんですが、「だいじょうぶだと〜」だっけ、ベッカの話を聞きながらはっと表情が固くなったところがあって、そのタイミングで食べてたレモンスクエア(の破片)がソファの上に溢れたの偶然が物語性を帯びてて好き