#キコニアのなく頃に
ギュンヒルドと藤治郎のこの世界は滅ぶに値するというセリフ藤治郎の「たしかに、この世界は滅ぶに値する」は、ギュンヒルドのセリフを受けての発言にみえますが、時系列的に矛盾しています
まぁ、このセリフの発端がマヤの死という前提ですが…
フラグメント15で、マヤの死を見て、ギュンヒルドが「この世界は滅ぶに値する」セリフをつぶやく。一方、マヤがまだ生きていてパーティーで嫌がらせをうけているのをみて、藤治郎が「たしかに~」と受けるのは、時系列的におかしい…という理屈です。
作者のケアレスミスでないと考えると…
①フラグメントは、平行世界的な話で本編の時系列とは、別。
②キコニアのなく頃にの世界は、ループしており、記憶がある程度引き継がれる。
の2通りがとりあえず、思いつきます。
②は、まぁ、いいとして…
①の考え方は、うみねこのカケラのシステムに似てますね。
うみねこで例えるなら、ベルンカステルがフラグメントという形でカケラを見せている状態。
人間加工工場の描写から、既に世界が仮想空間になってるのでは?というのは割とよく見る意見な気がします。
うみねこのベルンカステルは膨大なカケラの中から奇跡を見つけ出すみたいなキャラでしたが、
今回のキコニアでは、ベルンカステルは巨大なサーバーで、仮想空間を何度も繰り返し、最良の結果を見つけ出そうとしてるのでは? という妄想がよぎりました。
繰り返されたの仮想空間から一部をフラグメントとして抜粋して見せていると…
ただ、そうなると、神のシナリオとかそういう話とは乖離してしまうので、やっぱり違うかなぁ。とも。
取り留めのない話ですが、一応、思いついたので記録にのこしておこうかな。。と。