今日、映画で隣の人が、慎二が俺を見ろよ!って言ったとこで笑っていた。カフェ行ったら、慎二の原画の前でこいつ死んだとき、ザマアって思わなかった?と話す高校生男子っぽい二人組がいた。慎二の行動しか見てないな?と思うのでちょっと待てよ…
慎二、士郎が断らないの知っててわざと嫌がらせに近い頼み事するし、すぐ殺せってライダーに言うし、UBWルートでも小物ムーブすごかったし、ウザいのは分かる、HFでも結局ライダーを借り受けている間は本当に気が大きい。ウザいのは分かる。しかし彼の「俺を見ろよ!」はあれはもはや悲痛な叫びに見えるよ私は。
間桐の正当な後継者だと思ってて、魔術回路は持ってないけど彼なりに魔術師の家系ということに誇りをもって勉強もしてた。でも。でも彼は本当は後継者じゃなかった。後から来た桜が後継者と自分の知らないところですでに決まっていた。今まで守るべき妹と思っていたのに彼女は自分のアイデンティティを奪いに来た略奪者に見えてもおかしくないと思う。自分が知らぬ間にした努力を大人はいったいどう思っていたのか。家族は嘲笑っていたのではないか。ここで慎二の家族という概念が大きく変わると思う。桜は養子に来た時に酷いことされるうえ、凛みたいに家族の愛がありそうな場所に残れなかった自分はなんだったのか、見捨てられたんじゃないかと思う時点で家族も信じられなければ他人なんかもっての外になると思うけど…。
形は違えど慎二も桜も家族が信頼に足る人間でなくなるし、家族と信頼関係を築くことができないと、第三者を信じるという段階には進めない。発達段階の話なんですが。士郎の腹から落ちてきた本の中身に書いてあるだろう話ですが(須藤監督はいったいどこまで掘り下げたんだ本当に怖い)
本当は、みんな桜を見ていた。自分はもう必要ではなかった。必要とされないし、相手にもされない存在が自分なのか。それを幼少期に体験した人間の、10年引きずって蓄積した「俺を見ろよ!」は悲痛だ。彼もまた、負の感情の向き合い方を間違えてしまい、力を手にした瞬間、他人を攻撃し、自分へ視線を向かせることしか出来なかった悲しい道を辿ってんですよぉ…私の個人的な考えですけど。好きな人をいじめてしまう小さい男の子いるじゃん。アレ。彼は、その時期にクリアすべき発達課題をクリアできぬまま、大きくなってしまった子どもなんだよ…。彼は学校の女の子にはモテるけど、まだ完全な第三者へ気持ちを持っていけるとこじゃなくて、家族に対する課題すらクリアできてないんだよ…。だから他人を試す。信用に足る人物かどうか、意地の悪い頼みごとをして士郎を試す。試した結果、士郎は人としておかしいことに気付きつつも、基本的に断ってこないし友達としては話が出来るし、腫物を触るような対応をしてこないから…彼だけが慎二の中では相手にしてくれる他人だったのだろうと…
基本的には桜も慎二も、前段階でクリアすべき発達段階とか人の精神的な成長とかの過程を残したまま突然、他人を支配したり傷つけうる力を手にしてしまうからああなるのだと思う。
私はそれを笑えないよ。ウザいけどさ。ザマアとも思えない。家庭に問題がありすぎた犠牲者のうちに入ると思ってしまうんだよね…。