映画刀剣乱舞、十中八九偶然だと思うんだけど目の光の入り方がドラマチックで良かったなあという個人的感想
2回目見てきました、映画刀剣乱舞。
人生で2回劇場で見た映画は黄泉がえりくらいなわたしとしては相当な快挙(今検索したら黄泉がえりって2003年の映画なんですね、心が死にました。地雷です)。ラストは幼心に相当衝撃だった黄泉がえりを宜しくお願いします。前振りが長い。
さて、目の光の入り方の件。
撮影時の偶然なのは重々承知ですが、余りにもドラマチックで「おお!」となってしまった部分について。
わたしは歴クラでも無ければ戦隊モノも見ない女なのでこんなとこ見てる人間もいるんだな程度の認識でお願いしたいと思います。
①秀吉が空を見上げて“天下を取ることが見えてしまった”シーン。目に光が入ってない。
信長が死んだことを本当に悲しんでるのは間違いないのに自らの天下のためなら生きているのではないかと思しき信長を殺す秀吉…サイコパスの定義とは離れているかもしれませんが、常人には理解できないと言う意味でサイコパスという言葉を使わせてもらいます。
だって愛してるから殺すじゃないんですよ。愛してるけど殺す。いい。良。
この目だけで、この空を見てる一瞬だけで、秀吉を取り巻く感情が希望だけじゃないんだというのがわかる。信長が死んで、悲しい。でも腹の底から別の意味での歓喜と、閃いてしまった自分への感動と、時代に君臨するための道筋を如何に最短距離で駆け抜けるか、そのための冷静さを保とうとしたりとか。なんかそういう得体の知れないその他の感情があることがありありとわかってしまうんですね。まあここまで全部妄想なんですが。
ヤスコニャンの意図ではないかもしれないが、わたしにはこのシーン、秀吉のサイコっぷりを
表す最高の演出だと思いました。
ありがとうございます。
②次に薬研が安土城を見て信長の死に際を思い出すシーン。最初は目に光が入ってないのに、思い出すと同時に光が入る。
薬研が記憶がないまま見上げた安土城はすでに秀吉軍の侵攻が始まっており、見るからに劣勢。火もつけられ、焼け落ちるのはいつかという場面。
この時点では薬研の目に光は入っておらず、目前の光景から自分が焼けた場所の記憶が強制的に脳に入ってきている状態。そして三日月とシンクロして「「安土城」」って言うシーンでようやく目に光が灯る。
漫画だったら読者、「あ!」ってなるやつですよ。「あ、薬研の記憶が戻ったな。もしかして活力も湧いたかもな」ってわかる。
時間が経つことでその人物の心象が変化したことを表現するの大好き女としてはこの演出は「参ったな」となりました。
漫画だ。漫画の1話冒頭と同じ場所で語られる、最終話の人物心象だ。見覚えがある。大好きなやつだ。余談ですがこの4年、修行に行っても全くわからなかった薬研の内心を描いてくれてありがとうございます。
ありがとうございます。
③三日月宗近が回復後に安土城遡行軍に対して剣技を振るうシーン。目に光が入ってない。
いや〜もうここで目に光が入ってない演出の意味なんて1つしかない。
本気で戦ってるという表現でしかないじゃないですか。もちろん血まみれで歯を食いしばり必死に戦う三日月はかっこよかったですが、みんな好きですよね、【バーサーカーモード】。推しが戦闘のときにマジギレして目から光が消える演出、世の人間みんな好きじゃないんですか?!わたしは大好き。
2度見て2度「アア〜」ってなった。それにしても殺陣は演出家の方に頭が上がらない。みんな戦い方違うので見てて楽しかったし、「ああ〜わかる、わかる!」ってなりました。
ありがとうございます。
1回目の時は感想したためる余力すらなかったけどようやく文字にできるようになりました。
日本号夢女ってどのくらい増えたんですか?
鶯丸めちゃくちゃ鶯丸で最高じゃなかったですか?!襖閉めるシーンとかやばくなかったですか?!
長谷部くんは長谷部くんでとっても可愛かったですね。
色々と他にも言いたいことはありますが、すでに沢山の方が言ってるので割愛。皆さんの考察見てから2回目行って本当に良かった。ありがとうございます。
ありがとうしか言えないな。
わたしの言ってることが正しいかどうか確かめに、また劇場に行ってくれる方が増えることを願って。