15巻ネタバレ。加筆された149話と150話を読んだ感想。本気の長文語り。
鶴見中尉の仮面と月島軍曹の覚悟。
「そして死んでいった者たちのためにも」
白石は杉元とリパの2人に賭けたが、私は月島と鶴見の2人に賭けてます。
起承転結という概念は物語の筋書きだけで無く、個々の登場人物の人間関係にも適用し得ると思っています。
人物達の関係性の紹介、彼らの間に横たわる問題の提起、ドラマの転換、そして2人だけの終結。
149150話はそういう意味では古典的な型に則った、月島と鶴見の人間ドラマの導入だったように思います。
この作品、男2人の確執・因縁・友愛を語る際に、女1人がそこに投入されるエピソードがいくつかある。
しかしその女性は必ずしも現在の時間軸で能動的ムーブを起こし物語をひっくり返す事はなく、実際の作中ドラマは男2人の間で転がっていきます。
何となく夏目漱石の「こころ」に登場する先生とKとお嬢さんを思い出してしまいます。
一見したら痴情の縺れによる三角関係だが、本質的には先生とKによる、エゴとイニシアチブと相互執着を、友情の名の下に描き切っている、男2人の閉ざされた世界。
先日読んだ英記事でも、夏目漱石の「こころ」は日本文学の代表的なホモソーシャル構成だとか解釈されていました。この”男2人と女1人”の型を利用したフィクションは数多存在するが、メインとして動かされるのは男2人のドラマなのだ、と。
金カムはここまで女性排除が強いホモソでは無いように感じますが、しかし鶴見と月島の過去が描かれた149150話はこの型に近いスタイルのストーリーテリングだったとは思います。
名前がある筈の彼女を、「いご草ちゃん」と呼称する事は彼女の存在をある意味では非人間/抽象化している。
また「いご草」と言う月島に対して、「えご草」と呼び続ける鶴見。これはとても分かりやすいイニシアチブの横奪だよなと。月島の語る女性なのに彼女を定義付けるのは鶴見であるという強調。
月島からは勿論 顔が見えている筈だが読者からは見えない彼女の顔。これもまた人格の希釈・抽象効果。
ところで2人が同時に負った傷の位置も特別な意味合いを持っていると感じます。
鶴見の額、月島の腹部。
昂ぶった鶴見の額から液体がドロリするのは勿論ギャグシーンだが、あれはまぁ見るからに性的興奮・射精を示唆している。同じように月島軍曹の腹の傷も性的文脈を連想させる。
傷の位置が何故よりによって腹部から更にその下なのか。
これは精神的&肉体的な”去勢”を仄めかしているのでは。
興奮すると頭から体液を出す鶴見。本来の生殖器が機能しなくなった、とも読める。
生殖器まで損傷したのでは?と思える場所に傷を負った月島。こちらもまた性機能を失った、と読める。
投入された女1人を梃子に、互いを”去勢”する事で競争・対抗関係を回避し、後に引けない繋がりを保った男2人…という図式はあまりにも出来過ぎではないでしょうか。
あるいは自分の考え過ぎなのでしょうか。
いご草ちゃんの消息ですが、正直な話、鶴見の語り=作者の裁量なので、生死を現状のヒントから判断するのは不可能なんですよね。いくら論理的に推理しようと、確定要素が不明なままではほぼ無意味。何をどう言っても、確証は無い。
しかし私はまぁ生きているのでは?と前向きに捉えておきたい。前向きなオタクだから。
これから先、顔と名前が出る可能性がなきにしもあらず。とまで考えておきたいです。
149150で示された彼女の消息についてはまた今度改めて整理したいなとは思うけれど、漠然とした直感(という名の願望かもしれないが…)で言えば生きているんじゃないかなぁと。
死んでいたとしてもそれに鶴見が直接関わっているとかはあまり思ってないですね。
だってそもそも鶴見が佐渡に渡っていご草ちゃん関連の工作をしたのは監獄で月島から話を聴いた後だし。
もし鶴見が大昔から月島に目を付けていて、尚且ついご草ちゃんの存在も知っていたのならば、一般人の暗殺・自殺するよう仕向けるなどという意味不明にハイリスク・ローリターンな真似をしなくとも他の方法で月島をゲットできるでしょう。というか、江渡貝くんに対する追悼を見ても、部下1人をゲットする為に一般市民を殺しに行くような人じゃないでしょ…と思います。
それよりも今のところは、月島の親父さんが何故人殺しだと言われていたのかが気になります。鶴見と月島は同郷だから、月島父が本当に人殺しだった場合、その殺された相手に同じ出身地である鶴見家が関わっていた可能性も?
また、何故 月島父は息子が戦死したと吹聴して回ったのかも気になります。嘘だと知っていて吹聴して回ったのか、本当に戦死したと思い込んでいたのか(=誰かから嘘の戦死報告を受け取った)
この辺こそ、鶴見が関わった可能性が残されているよなと。
何にせよ、月島はそれを聞き出す前に親父さんを殺してしまった。真相は闇。
今は何も決め付けない方が良いかなと思います。ネガティブな不確定要素に関して決め付けると無駄にヘイトを溜める事になるし。
作中でわざわざ「分からない」と登場人物が口に出した事はきっとトリックがあり、その内解明されると信じているので、今後確実にやって来るであろう月島鶴見の過去編②に期待しています。
また、この二話は全体的には月島視点の回想ではあるものの、鶴見の表情を第三者もしくは所謂”神視点”から描いたコマもいくつかあり、鶴見という人物の今後確実にやって来るであろう背景説明・回想・深掘りに対する布石のひとつであったなと。
鶴見中尉って何者なのだろうか。と時々考えますが、作者が彼に二面性を体現させているであろう事はそれなりに確信しています。
死神と聖母。概念としての父と母。
死神としての彼、または父権主義的な側面の彼は分かりやすい。
本人が率先して死神を名乗り、作中で複数回他者の蝋燭をボリボリしちゃってますしね。
また軍隊という”父”の統率を体現する組織で指揮官の役割を果たす彼は、父権主義の恩寵に預かる男だとも言える。
死と支配のカード。分かりやすい。
しかし鶴見を語る際にカードの裏面を見落としたらいけないと思うのです。
鶴見組ってミクロで見れば父権を象徴した組織だが、マクロで見れば中央という更に大きく遠い”父”に対抗する”子供達”の立ち位置なんですよね。鶴見がやたらと親殺しをさせるのもこの構図を意識しているのでは。
彼は自分の組織を統率する為に父として振る舞うが、実際には父権主義の限界を理解している上にどことなく嫌悪し、反抗する立場であろうと足掻いているようにも見える。
それは蝮稲妻の赤ちゃんを抱いたシーンの台詞にも現れている。
「今ですら我々の手に負えない」
そして信頼できる人に赤ちゃんを預けよう、と。
未来を象徴する小さな命の前では自分達は無力であり、また子育てにおいて自分は信頼できる存在では無い、という事。
そしてこの赤ちゃんを抱く場面は有名な聖母マリアパロ。
メタ的に言えば、これって「アシリパがキリストなら、彼は聖母マリアの立ち位置である」とノダカムイが読者に示した場面だと思います。
そうか、この人はもしかして概念として母なのか。と個人的に初めて新しい視点から鶴見中尉を分析し始めた場面でもあります。
彼の象徴であるポピーは芥子の花をイメージしているのだろうが、元々は戦死者を忘れない心や母なる存在を意味している花ですし。
なるほど、奪うだけでなく慈しむ側面がある人なのだなと見方が変わりました。
この二面性はどこから来ているのかなと考えたが、もしかして鶴見本人が父権主義の犠牲者であり、彼が父権的に振舞ったり戦争中毒に陥ったのは「自らを傷つけた存在と同化する事でトラウマを表面的に克服する」という反動の典型例なのか。
父権主義もしくは”父”に関わる何らかの原因で家が没落した結果、鶴見家は一家離散したのか、あるいは もともと不機能家庭で不仲だったのか…どちらにしろ肉親との繋がりに傷を抱えているのでは?と感じます。親殺しに関して拘りがあるようだし。
生まれ落ちた家庭に居場所がない者は外にそれを求めます。
彼にとって軍隊で見つけた”家族”という概念に近い繋がりが、戦友達だったのかもしれない。しかし彼らを目の前で無残に失い、彼らの骨の為に狂ったように走り続ける決意が、いつの間にか本物の戦争中毒へと。
…みたいな感じでしょうか?
そう考えたら”死神”のニュアンスも変わる。
鶴見中尉は死を司り他者の蝋燭を吹き消すから”死神”なのではなく、
死者を忘れられず死者の為に走り続けるから”死神”なのかもしれない。
賢い癖に、不器用なのだ。
鶴見の夢に共感を示した杉元は、実は似た立場にいる。
冷たくなって行く寅次を抱え続けた杉元。杉元は寅次1人の骨を置いて行く事が出来ず戦場から帰って来れなくなっているが、鶴見は数百数千の戦友の骨を背負い、その重みで戦場に沈み込んだ”死神”なのでしょう。
それを月島は理解している。
今回の加筆で”死神の右腕”である月島の口からもはっきりと「死んでいった者たちの為にも」という言葉が出ました。
本誌の時は「月島は諦めて鶴見に従っているのかな」と思えなくもない表情だったが、この加筆は凄い。めちゃくちゃ自我の強い眼差しで宣言している。私の残りの命は貴方のもの。地獄への道も、貴方と共に。
月島は、死んだ戦友の為に走る鶴見という”死神”を敬愛し、尽忠を決め込んでいるのだ。
月島が戦友という言葉に拘りがあるのは散々強調されて来た。
家族との暖かい繋がりを持たなかった月島もまた、鶴見同様に戦友達との繋がりに並々ならぬ愛着を抱いている筈。
月島は鶴見と人生の半分から3分の1くらい長い年月を共に過ごし、鶴見が部下をどう扱う人なのか、誰よりもよく知っている。
最も許せない嘘で騙されていたと分かった次の瞬間にも、考える暇もなく身を呈して鶴見を庇ってしまう。
積み重ねた時間の重みは偽らない。
月島は造反する、という説に私が全く同意できない理由がここにあります。
今回の加筆でその確信はより強まる。
アイヌ金塊争奪戦における鶴見の語った「軍事国家計画」はどこまで真実なのか、分からない。
戦友の骨を守る為に狂ったように走り続けるという、彼のかつての決意は恐らく嘘では無い。しかしどこからか本気で狂い始めた部分もあるのではないか。
最近の脳カケ杉元の変化は、つまり同じく脳カケ鶴見の変化をも示唆している。網走での大暴れや和田大尉の指を噛み切る場面を見るに、やはりどこか常識的倫理観は壊れてしまったのかもしれない。
わざわざ網走で月島が引いている描写を入れたのもその変化を強調しているのでは。
前頭葉が欠けたのは直接的な原因かもしれないが、それ以上に心にも魂にも限界が訪れ掛けているのではないか。敢えて狂った”ように”走り続けるという選択をした彼だが、狂気を偽る者はいずれ線引きを見失うのだと個人的には思う。戦友の為という光の意志が、何よりも強烈な闇を引き寄せた皮肉…
なんて人間らしいのだろう。
また、そもそも彼はアイヌの金塊をどこで知ったのか。どんな過去を背負って今日まで前線に立ち続けて来たのか。アイヌにやたらと詳しいし赤ん坊をフチに預けたので、アイヌと繋がりがある可能性もある。今現在は分からない事があまりにも多い。
しかしそれらは、この作品の根幹に繋がるほどに重要なものなのだろう。きっと作者も丁寧に描いてくれる筈、と期待せずにはいられない。
またこれは概念の話ですが、作中で鶴見中尉の額当てが取れる瞬間=目的の為に作り上げて来た虚像が瓦解する瞬間 だと思うんです。
本誌150話最後の煽り文が「そして悪魔は仮面を被る」だった筈ですが、負傷によって露わになった脳を覆い隠す額当て=真意を隠す仮面 というニュアンスはとてもしっくり来ます。
加筆部分を見ても、彼の額当ては象徴的。
まるで戴冠式のように被った、悪魔の仮面。
その額当てが外れる時、真意も紐解かれる。
彼の過去回想あたりにそのイベントは来るのかな。
漫画のビジュアル的にも額当てが外れるイベントは美味しいと思うので、この先あるだろうなと。
そしてその時、月島は漸く生身の鶴見に再会できるのだと思う。信じて待っていた、その人に。
どうして彼が月島の為にここまで工作をしたのかも分からない。月島の父親関連で繋がりがあるのか。同郷という設定はどう活きるのか。幼少期に何か接触があったのか。それとも本当に何の因縁も無く、肩を並べて共に闘い抜いた日々が月島を特別な部下にしたのか。
今はまだ分からないが、何にせよ、彼が前頭葉を吹き飛ばされた状態で自分の容態よりも先に心配した存在が月島。
鶴見にとって月島は大きな存在なのだと分かる。そこに偽りは無いでしょうよ。
まだまだ嘘をついている事は多いだろう。
しかしそれが「月島!生きてるか?」の叫びを無かった事にはしない。
月島をゲットして邪悪に笑む場面も、月島を自分の容態よりも心配して名前を叫ぶ場面も、どちらも鶴見中尉という1人の男をつくる真実の要素。
どちらかがどちらかを打ち消すものではなく、完全に両立する多面的な人間性。
いい人か悪い人か、白か黒か、という二元論ではなく、彼もまた単純に過去があり喪失があった、1人の人間なのだという事。
二面性はカードの表と裏。2つは1つ。
彼の仮面が剥がされる日を心待ちにしています。それはきっと物語の終わり近くにやって来る。
そして更に前向きに願うならば、杉元リパ組が全てを終えて小樽のフチの元に戻った時、そこにいる蝮と稲妻の赤ちゃんが鶴見組との優しい架け橋になって欲しいと思う。
鶴見中尉が明日に繋げたいと願ったその小さな命は、誰にとっても希望の象徴である筈だから。
150話のテントシーンの真相は、パッと思い付く限りでも3つ以上可能性はあると思うが、今は「あの謎の男も鶴見の仕込みだったのだ」という説で考えていきたい。
つまり鶴見中尉が仕掛けた149150のトリックって、自分が月島を騙していたと月島本人に敢えて一度認識させる為に更に騙した(ややこしいな改めて…)という構造なんですね。月島に対する一種の忠誠心テストであり、無駄な感情を殺す為の最終試練だったのだろうか。もしそうならば、その真意はどこから発生したのかな。
その内きっと分かるだろうけれど、現時点での個人的な予想としては、「月島からの忠誠心をキープしつつも、その親愛を踏み躙り、亡者の為に走る自分の邪魔をさせない」が真意なのかなと勝手に思い込んでいます。
満州での彼の言葉。死んだ部下の為に狂ったように走り続けるぞ、という狂気の選択。
彼は今生きている仲間の為ではなく、死んだ仲間の為に走る。
月島を代表とした、今生きている戦友達の為に走る訳にはいかない。死んだ戦友達に「お前達の骨を守る為に」と誓ったのだから。
鶴見が必要なのは何があっても自分の命令に従う裏切らない存在であって、何があっても自分を信じ慕う存在では無い。
だから、己の決意に迷いが出ないよう、金塊争奪戦前に月島からの親愛を崩す必要があったのでは。
また鶴見本人も月島と近くなり過ぎてしまったと認識した可能性があるよなとも思っています。
脳みそが欠けた時に、自分自身の容態よりも先に心配してしまう存在…いるのかな普通。自分だったらきっとそんな余裕はない。
自分自身も生存できるか不明な状況での「月島!生きてるか?」は嘘偽りの無い叫びだった筈です。
鶴見月島の過去回想って、日清後、監獄、奉天の負傷は出たけれども、その間にあるロシア潜伏時代はまだ出ていない。
いずれやんわりとでも描くのでないかなと。
そして、そのあたりで何かあったのでは?と考えてしまいます。
鶴見が敢えて月島の親愛を崩す決意に至った出来事が。
あまりに月島に慕われ過ぎてしまった、あまりに近くなり過ぎてしまった、と痛切に染み入る出来事が。
巡り行く冬を何度も何度も何度も2人で見届ける中、自分を慕う部下との間に線を引かねば、これ以上闘争を続けられないと鶴見中尉が痛感してしまった瞬間があるのでは?
雪は毎年同じように溶け行くものだけど、人の感情は時を重ねた分だけ積もり行くものだから。
そう言えば夏目漱石の「こころ」で、先生が自殺したのは”明治の精神”に殉じる為でしたね。
明治の精神って、あの変化の時代に特有な、衰退を余儀なくされた封建的概念だと捉えています。尽忠とかも正にそう。
先生はKを失った。それは彼が明治の精神に反する”個の昂まり”を抑制しなかったのが原因にあると本人は捉えていたのでしょう。
一方、月島は鶴見を失わなかった。命懸けで庇った。そして、側にいると決めた。尽忠を掲げて。
尽忠といういずれは衰え行く概念は、明日に進む事がテーマのひとつでもあるこの作品においては間違いなく”過去に生きる者達”の持ち物だろうけれど、必ずしもそれは物語で否定される後ろ向きなものでも無いかなと思います。
作者の宣言通り大団円の兆しはあります。
鶴見は自分の戦略が上手く働き、月島が自分に落ちたと思っているのかもしれない。
でも違う。
月島は鶴見の嘘に関してはもう放棄をしている。いご草ちゃんの生死に関して追求しなかったのもその証拠。
「あぁ…そうですか」の目に光は無い。
しかし、月島は例え鶴見が嘘を付いていても構わないくらいに、別の次元で鶴見の志を信じているのだ。
だから、「死んでいった者たちのためにも」では強い意志ある瞳をしている。
月島が走馬灯で見た、たった2人の人物。
いご草ちゃんと中尉。いくら鶴見が深謀遠慮で計算高くとも、月島の走馬灯までは介入できない。つまりあれは鶴見の計算に関係なく、月島にとって鶴見がどんな存在なのかを物語る瞬間。
杉元は失いかけた思考の中でリパさんを見つけ、意識を取り戻す。
月島は命の灯火尽き掛けた中で中尉を見つけ、生還する。
杉元にとってのリパさんは月島にとっての鶴見。
あの日あの時あの人の言葉。横顔。声と光。
「お前たちの骨を守る為に」
命を手放さない理由がある。
貴方は私の光、生きる理由。今でもその光を信じている。
だから月島は生還した。
それを鶴見は知らない。
また、鶴見は月島からの親愛を崩す事に成功したと思っているのかもしれない。
でも違う。
中尉が二階堂のお見舞いに来た時、月島は珍しく微笑み、月島視点の鶴見の背景は光り輝いていた。当時は「月島まで鶴見をキラキラさせているのか」と笑える場面だったが、149150を経た今は違う。今でも月島の目に映る鶴見は光を纏うのね、と感慨深い。
負傷をした部下の為に義足を作って貰い、お花を摘んでにこやかにお見舞いに来る。鶴見のそういうところはきっと昔から変わっていないのだ。
力こそ正義、とでも言うような環境で生まれ育った月島に、初めて腕力以外の正しさを示したのが鶴見では?
もし鶴見が部下に高圧的に振る舞い殴って従わせる男だったら今日まで月島は付いて来なかっただろう。
握り締めた拳の固さと熱さしか知らなかった月島に、開かれた掌の優しさと温かさを教えたのが鶴見では?
月島は今でもそんな鶴見を慕っている。
それを鶴見は知らない。
そして今回の加筆。
いご草ちゃんの髪を捨てた月島。
鶴見の言う「いご草ちゃんの髪」を信用してないから捨てた訳では無いと思う。
本物か否かは問題ではなく、月島がそれを手元に置いておきたいか否かが重要だから。
かと言って、彼女に想いが無くなった訳でも無いと思う。
命を懸けて愛した人、きっと今でも想いは変わらない。死ぬまで変わらない。
ただ、選んだのだ。命の使い方を。
死んでいった戦友の為に狂ったように走り続けると宣言した鶴見中尉の目的の為に命を使うという、断固とした決意の選択。
その覚悟として、月島の拠所だった髪を捨てた。
鶴見に上手く騙されたから、鶴見を選んだのでは無い。
地獄への歩みと分かりつつも、鶴見中尉の初心が戦友達の為だと知っているから選んだのだ。
もう昔の2人には戻れない・戻らないと理解しつつも、鶴見中尉と歩んだ長い年月に未だ捨てられない真実があると信じているから選んだのだ。
誰もが死者を乗り越えて明日に進む中、唯一死者の側に留まり続け”死神”とまでなった男を、全身全霊を賭して、選んだのだ。
それを鶴見は知らない。
鶴見が隠している事=月島が知らない事が如何に2人の間に陰を落とそうとも、
月島が伝えなかった事=鶴見が知らない事はそれより深い忠愛で2人を照らす。
殺人犯の子供もまた生粋の殺人犯になる。そう断言した月島だけど、それをやんわりと否定したのは鶴見中尉。
英雄になる可能性だってあるさと。
子供の人生は親で決まらない。
これって当時の価値観としてはとても前衛的というか…誰もが生まれを背負ってジャッジされる世界において、それを平然と否定する鶴見中尉は”変わり者”なんだよなとしみじみ感じます。
そんな変わり者に救われる、孤独で優しい若者が多々いる事は想像に難しくない。
月島もきっと、その1人。
悪童であった月島基の
腕力に意味を、
気概に目的を、
眼差しに光を、与えたのが鶴見中尉。
鶴見中尉は、1人薄暗い監獄で死に行く筈だった月島の腕を強引に掴み上げ、手を取り、連れ出した。
光の方へ。
私は割と本気で、杉元リパと対にあたるのは月島鶴見なのでは?と思ってます。
リパさんがキリストならば、鶴見中尉が聖母マリア。共に光。
杉元と月島に新しい世界を教え、歩む道に光照らしたのがそれぞれリパさんと鶴見中尉。
白石は杉元リパの2人に賭けたけれど、だったら私は月島鶴見の2人に賭けたい。
金塊争奪戦に勝利する2人ではなく、紆余曲折を経ても大団円を見つける2人に全額賭ける。
2人の関係性における起承転結で言えば今は起と承。地獄への道に思えてしんどくもある。でも、ここが終わりではない。ここから先に転と結が待っている。
ここまで丁寧に張られた前振りと確執と2人が分かち合った時間の重み。
作中で彼らの蝋燭が尽きようとも長らえようとも、耐え難いような悲劇の”結”には持って行かないでしょう。
例えどちらかの命が果てたとしても、2人の世界における”救い”はある筈。
だって、みんなが明日に進む中で、死者を忘れられずに1人戦場に留まり続ける男と、その右腕の男ですよ。そんな優しい男2人に救いが無いなんて信じない。
例え薄れ行く現実感と褪せ行く倫理観の中で、鶴見本人までもが彼自身の心の在り処を見失っても、月島だけは、鶴見の高潔な始まりの意志を必死に掴み続けてくれる。
例え全世界が地獄に続く狂気を止められなかった鶴見の生き様を否定しても、月島は、月島だけは、鶴見の魂の1番優しく暖かい場所を、忘れずに肯定し続けてくれる。
それこそが、鶴見中尉の始まりの光を誰よりもよく知っている月島の、
天から降ろされた役目である筈。
そう信じています。
鶴見中尉は自分と月島の世界に夜の帳を下ろしたつもりだろうけれど、大事な事をひとつ忘れている。
闇が深い夜ほど、月はよく見えるのですよ。
とんでもなく一途な男を右腕に選んでしまいましたね。