【真面目なアナスタシア感想と今後の展開予想】ミノタウロスとの戦闘シーンとかボロボロになったアマデウスのシーン、プレイ中は完全に心を折りに来てると思ってましたが、改めて振り返るとあれはシナリオライターの優しさだったように思います。
なぜならば、それらのシーンに心を痛める気持ちこそが汎人類史を取り戻す動機になるから。
生前に音楽で栄光をつかんだアマデウスが、ピアノを弾けなくなるほどボロボロに枯れ果てる。
生前に悲惨な末路を辿っていてもカルデアの戦いでは救済されたアステリオスが、再び生前と同じ姿になる。
それら全て、汎人類史では起こらなかったこと。「強い者が正義である」異聞帯だから起こったこと。
変わり果てた彼らの姿に絶望し、直後に現れた武蔵ちゃんの変わらない笑顔に癒されて、失った世界の素晴らしさに気付く。
だから、それを取り戻すために戦えるのです。
たとえそれが誰かの世界を滅ぼすことであったとしても。
パツシィくんに謎のシンパシーを感じていたため彼の結末にはかなりのショックを受けましたが、もしかしたら彼の父祖は汎人類史ではヤガにならずに世界のどこかでピアノを聴きながら静かに暮らしていたのかもしれません。
その腕には、まだ何も知らない弱々しい赤子が抱かれているかもしれません。
そう思うことで初めて、カルデアの行動に「正義」が生まれるのです。
キャラクターにひどい扱いをするシナリオは、汎人類史が素晴らしいものだ、取り戻さなければならないという、いわば正義への誘導。大義名分の錦の御旗のようなもの。
プレイヤーが自己肯定をできる優しさに溢れているように思います。
・・・では、「プレイヤーに優しくないシナリオ」とは。
それは、アマデウスやアステリオスとは逆に、「汎人類史で悲惨な末路を辿った者が幸せな」異聞帯。
例えば「Fate/StayNight」が汎人類史で「衛宮さんちの今日のごはん」が異聞帯であったなら?
確かに第5次聖杯戦争での数々の戦いは何者にも冒しがたい出会いと別れに満ちてはいますが、それをなかったことにしないために幸せな世界を否定するのはあまりにも辛いことです。
この「なかったことにしない」というのはSNから続くFateシリーズの大きなテーマの一つ。
第1部終章ではマシュもその結論にたどり着きました。
ならば、第2部でも今後そんな展開になったとしてもおかしくはないはずです。
そして、我々マスターには「なかったことにしたい」と思っている第1部での出来事があるはずです。
特異点Fで、志半ばにカルデアスに飲み込まれた「彼女」。
終局特異点で、己の存在全てを投げ打った「彼」。
もし、第2部のどこかに、彼らが生きて、笑っている異聞帯があったなら?
カルデアのマスターは、その世界を否定することができるのでしょうか。
でも、やるしかない。なかったことになんかできない。
取り戻すべき「汎人類史」とは、彼らが命をかけて守ったものなのだから。