モモジャン箱イベ(Color of Myself)の感想のようなもの。主成分はルカちゃん可愛いという話と雫、まふゆ、冬弥の対比話(脱線)
・モモジャンの「ルカちゃん」という存在が可愛すぎる。一瞬で好きになった、ほっぺたやわらかいねルカちゃん……あのくだりの為だけにあのモーション作ったの?他ユニットでも例えばえむちゃんや咲希ちゃんがほっぺたやわらかーいみたいな展開可能?見たい。とにかく気さくでお茶目なルカちゃん可愛い、可愛すぎる……。デフォ衣装もとっても素敵だね実装して……ミクちゃんリンちゃんとお揃いで並べたい。この三人ならリンちゃんなうとかノリノリでやってくれそう。
・この流れ、後々メイコがモモジャンのセカイにも来たら「メイコちゃん」呼びなんですかね!?もしくは夢の「めーちゃん」があり得る…?ワンダショのセカイでえむを介して「カイトお兄さん」「メイコお姉さん」というファンに馴染みのある呼称を配置してくれる公式だし十分あり得るのでは…!?そして男子アイドル的な感じでカイトやレンが来たら「カイトくん」「レンくん」呼びですかね……夢が広がるなあ……。
・雫の葛藤とジレンマ。水面下を求められなかった白鳥のお話。今回の物語の初めから当たり前のように「雫はコツコツ型」と述べている愛莉の理解が好きだし、だからこそメインストーリーでは彼女の一言が雫の最後の決壊を招いたんだよなあ……としみじみ。愛莉は雫の最初の目標だしアイドル像の指針だし、雫は愛莉の理解に一種の依存をしていたけど、逆に言うと彼女にとって業界内でそういう部分で頼みにできる存在が最初から最後まで愛莉だけだったんだな、と分かる。しんどかったね……。
・雫の新たな(隠されていた)一面で彼女を好きになる人、元から好きだったけどもっともっと好きになる人、みのりが語ったようにこれからきっとたくさん現れるけど、コメントしたファンのように「こんな雫様見たくなかった」「雫ちゃんじゃない」「思ったのと違った」と感じる人もたくさん居るし一定数離れてゆくと思う、それは仕方ない事だしそれでいい。その総数を雫がどう捉えるか分からないけど(コメントを丁寧に拾いすぎて一喜一憂感があるのでやや心配)、もうそこはマッチングの問題というだけなので『悲しい出来事』として物語で拾わず、新しいやり方で前向きにアイドル活動を続けてほしい。新しい(本来の)雫像というチャレンジはポジティブなものだし、それによって「自分は対象外だな」と離れてゆくファンだって悪ではないし残念な事ではないよ、という、ファンの自由で身勝手な感情も悪者(無理解)として描かれすぎない事を祈る感情がある。開示していく事にした『本来の自分』をファンに受け入れられる事を雫が喜べば喜ぶほど、昔の雫の完璧で美しい姿(それだって彼女自身の才能と努力の結晶である)を純粋に愛していたファンの一部が、それが虚像に過ぎなかったという『否定』をかつて愛したアイドル本人に突きつけられた気持ちにならないといいな、という勝手な心配。雫は過去のファンにも感謝しているからこそ今後の方針にあれだけ悩んだわけで、その気持ちや意図がファンにもちゃんと伝わって今後推さないとしても綺麗なお別れになってほしい……というアイドルとファンの交感に夢を見ている者の願い。この辺の諸々、遥と愛莉は最初からある程度覚悟しているだろうなと思う(雫の件に限らず)。
・雫とまふゆと冬弥の共通点の話。周囲(親、友人知人、ファンなど様々を含めた環境)に求められる自分像や生き方と、本来の自分の乖離に疲弊してゆく少年少女たち。父への決別宣言という形でそこから離脱しようとしてる冬弥(けれど本人も割り切れてないし父の逐次介入があるのでまだ途中経過)、今回のイベストで本来の自分で戦おうと一歩踏み出した雫、そして『本来の自分』『自分が望むこと』すら分からなくなってしまったまふゆ。
・雫はファンたちの求める自分像が実際の自分からかけ離れてる事に苦悩したけど、対まふゆでは彼女自身「まふゆを完璧な優等生と信じて疑わない」モブ部員の立場である事が皮肉が利いてるなと思う。しかしこれは現時点での関係性なので、この二名にわざわざ(弓道部という)繋がりが用意されてる事、今後対比展開やお互いの葛藤を開示し合う可能性もあるのではないかなと思う。まふゆは現状では雫のように「求められる自分と本当の自分」の「どちらを選ぶか」という葛藤すら遠ざかり『虚無』である事が一番危険なわけですけど……(現時点ではとにかく死なない事がまふゆの最重要事項)。
・雫⇄まふゆのように、「既に繋がりは存在するが互いが同種の苦悩を抱えてる事を知らない」関係性、愛莉⇄絵名にも同じことが言えるんですよね。というかこの四人まとめて「自分が心底望む方向性とは異なる方向性で周りに過剰肯定される事のジレンマ」にそれぞれ悩んで、辛くなった経験がある人たち。雫・愛莉⇄まふゆ・絵名の四人まとめての何かが今後あるかもしれないな、と思いつつ、(特に良好な友人関係である愛莉と絵名は)そこに敢えて踏み込まないままなのもまた人間関係の一つの形として良いなと。今後も着目していきたい共通項グループです。
・冬弥の現状。彼は二年前の段階で「親や周囲から求められる生き方から脱出を試みた」少年。それを唯一後押ししたのが司で、脱出した先で出会って人生を鮮やかにしてくれた存在が彰人で、受け入れてくれたのが謙さんをはじめあの『街』という空間。しかし冬弥は彰人が言うように「馬鹿みたいに音楽が好き」で、その中には彼を苦しめたクラシック音楽も含まれている。今は冬弥にとって「辛い」が勝り「父とのつながり」を意味してしまうので遠ざけるしかないクラシック音楽、けれど彼は誠意のないバイオリン演奏を耳にしただけで落ち込んでしまうほどそれへの『愛』も依然ある。それは彼自身も分かっていて、だからエリア会話で「いつか弾けたらいいな」とバチャシンに対して語る事もあるし、そんな彼のことを彰人は(クラシックの話題は極力振らないようにしながら)慎重に見守っている。才能による生き方の強要(或いはその反事象)への彰人の嫌悪感の強さ、慎重さは彼の父やそれを起点として触れざるを得なかったであろう絵画方面の環境、一時期はそれにかなり追い詰められていたであろう姉の絵名によって育まれたんだろうな、と予想できる。
・冬弥は父に決別宣言をしてるし日々それを繰り返してる現状だけど、完全な決別をできたとは言い難い。まだ高校生である彼が(経済的・精神的に)親の庇護下にあるという事、冬弥自身が精神的にもクラシックに纏わる諸々を割り切れていない事、彼の父による執拗な干渉が続いている事など整頓しきれない課題がまだ多くある。冬弥はピアノにもバイオリンにも触らなくなって二年以上が経過しているのに(つまり技術的にも経歴的にも父が想定したような演奏者としての道に戻れる可能性はほぼ無い)、彼の部屋には未だに立派なピアノがあるし、父親は「誰と出かけるのか」「またあいつ(彰人)か」と過干渉を続けている。演奏者としての冬弥を諦めていないのか、演奏者としての道を歩まない息子を何が何でも認められないし否定を続けたいのか。冬弥だけでなく息子たち全員からありとあらゆる『経験』の芽を摘んでいた事といい、この青柳父の執着と強制は最早ホラー。こわい(率直な感想)。この父ときっちり決別なり何なりして、冬弥なりの関わり方でまたピアノに、バイオリンに素直な気持ちで触れられるようになる事を祈ってしまう。ジャズテイストでピアノを弾いてビビバスの仲間やバチャシンたちと心の底からの笑顔でセッションできる未来の冬弥を期待しています。
・閑話休題。「部屋のエレクトーンをろくに意見も聞かれず親に捨てられてしまう(それを正しい事として行使されるし抗いの一言すら形にできない)まふゆ」と、「決別宣言をしてなお触れない事にした立派なピアノが部屋に残るし自分の音楽を否定され続ける冬弥」の対比……というかそれぞれの侭ならなさの表現、凄いなと思う。抑圧の末に虚無に陥ったり死んでしまいたくなる前に冬弥は脱出を試みた(実際それで生き延びた側面もある)けど、彼も脱出しきれてなくてまだ途上だし、脱出や抗戦をする前に何が何だか分からなくなってしまったまふゆ、という……。それぞれの苦悩と苦境。
・雫もまふゆも冬弥も(そして絵名も愛莉も)、本人たちが望むように、清々しい気持ちで努力できて生きられる日がくればいいと思うしその途上でもあるけど、「割り切れることが絶対の正解で正義」にしてしまうと特に絵名やまふゆは取り零されてしまうかもしれない、そこに辿り着く事がないかもしれない、という恐れがある。例え割り切れなくても何かを誤魔化しながらでもそれでも生きてゆく方法の模索という選択もまた肯定されるべきだと思うので(ポジティブな解決に全員が恵まれるとは限らない)、外野が何かを勝手に望むこと全てエゴの気配を帯びて何も言えなくなるんですが、それでもただただそれぞれのキャラクターの呼吸が易くなる未来を願ってしまうな……という現時点のお気持ち。
そんな迷走した気持ちを最終的に噛み締めてしまったイベストでした。とにかくポニテで笑う雫は可愛かった、眩しかった、もっともっと見ていたいです。