映画の鶯丸について👧
映画見た後の第一声は、
「うぐちゃん、1回しかお茶飲まなかった。」
映画の鶯丸について 覚えているうちにぱっと受けた印象を書き連ねると
・おそらくカンスト鶯丸
・有給をあげたくなる鶯丸
・握り飯を馬にあげるか怪しい、あげたとしても馬がちゃんと食べそう(要するにペッと率が低い)
・「着替えてこい」と仲間に言うあたりから、おそらく部屋にこたつは置いてない
・布団も起きたらすぐたたむタイプ
・お茶も適度な量をたしなむタイプ ペットボトルでは飲まなさそう 南部鉄器とかの急須でお茶を煎れる
・ジャージは普段着としてではなく、おそらく本当に内番時に汚すことを前提として着る
・お茶を飲むシーンで武装解除していることから、けじめを大事にするタイプ
といったかんじ。
問題は、この鶯丸の性質がいつ身についたものなのか?ということ。あの審神者さんの教育の賜物なのか、本来鶯丸にはこういった性質が備わっているのか、もしくは、映画以前に、古株である鶯丸が「きちんと」した態度を取らなければならなくなった何らかの出来事があったのか。
一番衝撃だったのは、さっきも書いたけど日本号に「着替えてこい」と言う場面。うちの本丸ならうぐちゃんが言われる側なのに...
映画本丸の鶯丸が特別なのか、それともどの鶯丸もこうなる可能性を持っているのか。
私の中で、この度鶯丸学に新学派が登場したわけだが、古典派と新学派、それぞれの行き着く先はわからない。この先ずっと平行線なのか、いつか巡り合うときが来るのか、巡り合ったと思ったらまた離れるのか。
茶畑はどこまで広がっているのだろう。私たちはどこに行くのだろう。鶯丸とは。わかる日は来るのだろうか。来て欲しくない気もする。
鶯丸は思っていたよりもずっと大きく、ずっと遠い存在で、理解し得ない部分は無限にある。わたしはちっぽけな存在なのだ。
ちっぽけな存在...?そうか、女児だ。
今は色々なことがわからなくても、鶯丸という大きな存在に支えられながら、成長してゆけばいいのだ。わたしは茶畑の女児だ。
いつも使っていた女児👧の絵文字。こんなにも深い思いを抱く日が来るとは思わなかった。
うぐちゃん。少しは近づけたかな?と思っていたけど、まだまだ遠い背中だったよ。でも、見守っていてね。👧
少しの寂しさを感じながら、わたしは昨日、紙風船を買って帰宅したのだった。
おわり