しんどい云々について
そもそも「ひとつのネタを擦る」のって匙加減が難しいから仕方ないのかもしれないというのは重々承知の上でのおはなし
自分の場合は「無関心」「冷める」って感じが近いんですが、「こういうことやった(言った)ら“しんどい”でしょ?」が透けて見えてるのは全然刺さらないどころかちょっと(うーん?)となってしまいがちです
一度大きい印象を残したものは別のところでも上手くその要素を組み込めたらすごく綺麗な物語になるけれど加減や頻度を間違うと元ネタ(便宜上)の方の価値まで下がってしまう感があるというかなんというか……
分かりにくい例えをすると、同一作者さんの作品Bに全く違うシリーズの作品Aに出てくる人物がちらっと名前だけ出てくるとファンとしてはテンション上がるじゃないですか。でもそれを何回も高頻度で繰り返されたり、準主役ばりに毎回出張るようになってしまうと「あ、あのシリーズの!」みたいな感動が薄れる、なんなら(作者さん味しめたのかな)みたいな邪推をしてしまう…みたいな。
でもこれについてはまぁ「しんどい」のベクトルにもよるかもしれない
あとこれは思い出したのでちょっと脱線して書き散らしておくのですが自分がPLで通ってみたい系統のシナリオと(探索者やロール、ダイス目全て包括した)「セッション」を見て刺さるものってまた別の枠なんですよね
だから「シナリオ」自体は実はそこまで刺さる系統では無いけど「あの人たちのあのセッション」はすごく心に残る、みたいなこともある。だからTRPGの好みとか自分の傾向の分析って言語化するのが結構たいへんだったりする、というはなし