脈略と構成と論拠がないけどなんか言葉にしとかないとぐるぐる考え続ける気がして一旦出しとこうかなと思いまして。SOMLというか素晴らしき哉人生というか。天使が稼いだのは時間なんじゃないかなって空想です。
あくまで個人の感想なんですが、「素晴らしき哉、人生」で"現実的に"ジョージを救ったのはこれまで彼が信じ尽くしてきた人々と愛した家族と仲間だと思っていて。クラレンスがいなくても彼らは動いたし8000ドルは集まった。神の奇跡が起こらなくてもきっと8000ドルは集まって、でも助けたかったジョージは絶望したままこの世を去っている。現実の世界でジョージが救われるために足りていなかったのはお金ではなく、8000ドルが集まるまでの時間だったんですよね。ジョージを愛する彼らが間に合ったのはクラレンスが時間を稼いだからで、クラレンスがいなければ彼らの愛は届かなかった。(クラレンスとした体験がなければジョージはポッターにクリスマスの挨拶をしなかったろうからポッターまでも寄付に訪れることはなかったと思うけどまあそれはまた別の話として。)
あれはそういう話だと思っている。個人的にはね。
翻ってSoMLの2人。
「不思議で神秘的な本屋」のアルヴィンの口上によるとケルビー家は代々、町の人たちに必要な物語を提供してきた仲介者で、その息子であるアルヴィンも(子供時代はいじめられっ子ではあれど)それなりに慕われてたろうと思うんですよね。
トーマスもまああの「知らない誰かになることもある」とか「俺が偽物だ」言ってますが、彼の言葉に救われてきた人々は(消費してる人々も多いと思うけど)いるだろうし、彼らはトーマスの形にした物語とトーマス自身を愛しているだろうし。
2人とも主観では「孤独」だったとしても、彼らを愛し慕う人々はいたはずなんですよね。
で、さ。生きていけば記憶は消えてくんですよ。アルヴィンが言ってたように。父を喪った悲しみもトーマスとの決別も、そのときの感情も含めてきっと、時間があれば薄れていく。でもアルヴィンにはそのための時間がなかった。ママのローブは失われて、「素晴らしき哉、人生」を一緒に見る人もいなくて(トーマスが来なくなってからはパパと2人で見てたんじゃないかと思っている)、彼の天使は来なかった。だから間に合わなかった。
トーマスの元には彼だけの天使が来たけどあの日アルヴィンの元に天使は来なかった、2人の違いは詰まる所それだけなんじゃないかなと思ったのでした。オチはない。
あーでもあれかなあ、アルヴィンに必要だったのは「元気にな」るまで側にいてくれるものだと思ったけど、アルヴィンにはトーマスと違って前を向いた先にほしいものがもうないんだよなあ。少なくとも描写はされない。天使が来ないなら、アルヴィンを町の外に連れ出してくれる人はいない。
アルヴィンにとってパパの死はママの記憶を誰とも分かち合えなくなることでもあるんだよなって思うんですよ。ママの記憶は消えていくばかりになり、パパとの記憶を分かち合える人はトーマスしか思いつかなくて、そして1週間前、それが叶わないことを思い知らされたのかなって。
こういうとき、時間薬は毒にしかならないのかもしれない。