【選んだ道】
「そうか…。そなたの欲が勝った……か」
柔らかな白い闇が満ちる中、澄んだ声が語りかけてくる。先程まで死闘を繰り広げ、その果てに打ち倒されたにもかかわらず、驚くほど穏やかな声だ。
「だが、どうする? 暗く深い欲望の谷底で、そなたは人々に何を授けられるのだ?」
答える声は、穏やかなサザントスとは異なり疲弊しきっていた。しかし芯ははっきりしていて、呼吸を整えながら、少しずつ調子を取り戻していく。
「…私は、彼らに何かを授けようとは思っていません。そんな器でもない」
「……。」
「ただ…苦しむ誰かを、悲しむ誰かを、助けたい。そうしていつか平穏な世界に…誰もが明日への希望を胸に生きていける世界になってほしい。それが私の願いで、今もそう思っています」
「その“誰か”の中に、欲深き者たちは含まれていないのだろう? やはりそなたは――」
闇の中に在る者の声は聞こえない、聞かないのだと断じようとしたサザントスを、ミトスの否が遮った。
「苦しむ心に、安らぎを願う魂に、貴賤も正邪もない。私が助けたいのは“みんな”です」
「――!」
「だからサザントスさん、あなたを消させたりなんかさせない」
「…無理だ、この体はもう保たぬ。この闇が晴れれば諸共散るだろう」
それまでの泡沫の語らいだ―そう言ってサザントスは笑った。
「……嫌、です」
「何?」
「あなたに消えてほしくない、生きててほしい。これ以上誰かがいなくなったりしたら…あなたがいなくなったら……」
その後呟かれた小さな言葉は届かなかったが、俯くミトスを見てサザントスは「まったく」と溢し、手を伸ばす。先程とは異なる笑みを浮かべて。
「まるでそなたの方が子供のようではないか」
「サザントスさん…」
「この先もそなたは生きてゆく。その中で幾つもの別れを経るだろう。その全てに心を砕いていては、体より先に心が折れてしまうぞ」
彼女は善も悪も別なく、その別れを悼み傷付いてきた。その姿を知っている。全てでなくとも、彼女の悲しみをサザントスは傍で聞いていた。
自分が消えた後、同じように傷付くのだろうと思うと胸の奥で何かが軋んだ。
「………。」
「…ミトス?」
「ごめんなさい、サザントスさん」
撫でていた頭が遠ざかり、どこか硬い声が代わりに届く。
「私はもう、永くありません。今あなたを喪えば、その悲しみを抱いたまま、私もまた消えるでしょう」
「な……」
怪我ならば守り手たちによって癒やされている。疲労の所為ならばこうして喋るより前に倒れ、そのまま起きてこない筈だ。
ではいったい何が彼女の命を奪おうとしているのか。
「…まさか」
言葉にされない問いを、ミトスは仄かな笑みだけで返した。
「この戦いで私は、自分の命を火種にしていました。ほとんど燃やし尽くしてしまって…本当にもう、あと僅かな時間しか残されていない」
それこそ、この闇が晴れる時ぐらいまで――
そう告げるミトスに、サザントスは言葉を失い目を見開いていた。
辺りに満ちる白い闇。一歩遠ざかるだけで姿が霞み、二歩遠ざかれば見えなくなってしまう。
今、ミトスはどんな表情をしているのか…。
「ここで二人消えてしまうくらいなら、私はあなたを生かす選択をします」
「無理だと言った筈だ、この体は―」
「裏を返せば、体が戻れば生きていけるということでしょう?」
「ッ…ならばそなたが己の命を取り戻せば良い」
「この力は“私”には使えないんです。この場に残るオルサの力も、神々の指輪も、きっとあなたには作用する」
「何を言って…」
「サザントスさん。今のあなたならきっと、大陸の景色が違って見える筈です。だからもう一度、大陸を…彼らの“生”を、見つめてください」
救う対象としてではなく、同じ大陸に生きる「一人の人間」として――
そう響いてきた方向に歩を進めてもミトスはいない。そして微かな衣擦れが右側から聞こえ、その後を覚えのある文句によく似たものが緩やかに続く。
「……“命宿りし聖なる指輪よ その光を…我が全てを――」
「止めろ…」
どうか 彼に
「止めろ、ミトス!!」
もう一度
「……生きてください、サザントスさん」
サザントスの手がようやく届き、ミトスの表情を視界に映したその瞬間。
彼女の指輪から青い炎が溢れ光へと転じ、全てを覆い尽くしていった――
(続く)