高人さんがスペイン編で、「ガラス玉? あいつのそんな目 俺は知らない」と言っている話について考えてみました。
以下 詳細はふせったーにて。ぐちゃぐちゃしてます。
とある方のブログ(https://dakaitikataru.hatenablog.com/entry/2020/04/14/071802)で
「アントニオが「ガラス玉みたいな目」と評した過去のチュン太の目って高人さんが「どこを見ているか判らない目」と評したのと同じ目だと思うのですよ。でも高人さん、「ガラス玉? あいつのそんな目、俺は知らない」って言ってる。あれの齟齬はどういう理由なのかしらねー。」
と書かれていて、その点が私も気になっていたので、辻褄が合うよういろいろ考えてみました。
で、どうなったかというと、高人さんは東谷が「どこを見ているか判らない目」をしてたのを忘れている、あるいは、水ざばーんのときの「あの目」の印象で上書きされちゃったんじゃないかという、ミモフタもない結論に。
高人さん、いやなことは忘れるようにしてる人だと思うんですよね。
第2話で、第1話であったことを「いっそもう記憶の底に沈めてやろうと思っている」って言ってますし。嫌なことは全部なかったことにしてるんじゃないか疑惑。
第11話のお別れ会(婉曲表現)で、「朝には 全部… 忘れてやる」っていうのも強がりじゃなくて、今までやってきたように本当に忘れるつもりだったのかもしれない。
……無理だったけど。
高人さんが、どれだけの嫌なことや辛いことを「なかったこと」にしてきたのか、想像すると怖くなりますけど。だって、芸能界のてっぺんに立ってた人なんだから、妬み嫉みは数しれず……でしょう。
まあ、お酒の席での無防備っぷりから考えるに、酷いセクハラとかはなかったんだろうなぁと思いますが。
そんな風にいやなことは忘れちゃう高人さんだから、新人の東谷の迫力にびびって仕事詰め込みすぎて倒れたなんて話はとっとと記憶の底に沈めてしまって、どうしても忘れられない部分(初対面の印象とか水ざっばーんのときの目とか)だけが残ってるんじゃないのかな。
と、最初は思っていいたのですが、結構いろいろ覚えているみたいなので、単に忘れたというよりは、「あの目」を見てから以降の印象で「どこを見ているか判らない目」も上書きされたと考えたほうがいいのかもしれません。
第4話では東谷のことを「人畜無害なツラ して中身は ギラッギラの 肉食獣だ」と評してるから、「どこを見ているか判らない目」の頃は猫かぶってたと判断したのかな……。
……というような文章をまとめていましたら、件のブログを書いた方から、「『ガラスのような目』と『どこ見てるか判らない目』は彼(高人さん)とっては被ってないとか…?? 」というリプライがありました。
それはありそうだなと思いました。
「ガラス玉みたいな目」というのは、人形のように空虚さを抱えた人間とか中身からっぽな人間の比喩でしょうけれど、高人さんが初めて会ったときの東谷は既にそういう部分を取り繕えるようになってましたし、東谷に溢れる才能を見てしまった高人さんには、「どこを見ているか判らない目」は単なる覇気のなさとしか思えなかったのかも。
アントニオ少年は、「ガラス玉みたいな目」をして「いいなぁ」とつぶやくショタジュンタが満たされない空虚さを抱えていることを見抜きましたが、それはアントニオがセレスさんへの叶わぬ恋心=同じように満たされないものを抱いていたからかな。
アントニオ凄いな。セレスさんの八千代さんへの想いも、チュン太の空虚さと孤独もちゃんと見抜いた。猛牛と言われてるけど、実は繊細な感受性を持ち合わせてて、高人さんがどんな人間なのかも分かったんだと思う。
だてに踊り手として将来を期待されてるわけじゃないですね。
えーと、まとめると、高人さんは0章で「どこ見てるか判らない目」をした東谷を見ていたけれど、「ガラス玉みたいな目」をした人間だとは思わなかった。
高人さんは、「なんにもなかった」人間ではなくなった、恋を知ってからの東谷しか知らないので、東谷がかつて「ガラス玉みたいな目」をした少年だったと聞いて驚いたということですね。
ふたりの初対面のときは、まだ東谷は恋におちてないんですけど、高人さんのほうがキラキラオーラに目がくらんで(そしておそらくは一目惚れして)ましたからね。