これは勝手に思ってる解釈なのですがレヴュースタァライトって「二層展開式」を強く押し出してるじゃないですか?だから以前にも言った通り、アニメのループしてる世界を「舞台で神楽ひかりの転校を見た我々」が観測することで #スタァライト感想
アニメにも神楽ひかりの転校という本来はループし続けてしまったはずの世界を変化させる事象が起きて、8人ではなく9人のスタァライトという結果をもたらしたんですね。
そして今度は我々がその9人のスタァライトという「アニメの熱い展開、非の打ち所のないと言ってもいい結末」を見たことで今度は舞台がそこからフィードバックされた(でも走駝先生はいるパラレル世界)スタートになり、キャラクターもアニメの性格が反映されて「最高に盛り上がってやりきってしまって腑抜けた華恋や満足感を得ている九九組」というありえそうな始まりが訪れる…。それを打破するために、これもアニメやスタリラで我々が存在を知った「他校」というカンフル剤が投入される。という感じで相互に次元を越えて影響しあっているわけです。
そして、「かれひかのダメなとこもっと見たい」「真矢とクロディーヌはこのままカップルで落ち着いてしまっていいのか」「ふたかおはこのまま夫婦で落ち着いてしまっていいのか」「まひるちゃんぶっちゃけ解決しすぎててどうするの」「ななの過去を見たいわ!」「じゅんなななくれ!」「まひかりはあります」「レヴュー終わったらもうレヴューしないの?寂しい…」「アニメで見れなかったけど舞台ではあった九九組の共闘がまた見たい」などの声になったりならなかったりの「我々(≒キリン)が見たいもの」をレヴューを決める何かが感じ取った結果やけに縁の深すぎるライバルたち、双葉や真矢の寝返りと二番手の鞘に収まりそうだったクロちゃんやいい感じの幸せで止まりかけてた香子の再動、まひるちゃんを守るひかり、「ノンノンだよ…(低い声)(覚醒フラグ)」など「これよ!これ!!」ってシーンがこれでもかと詰め込まれた舞台に進化したわけです。
なので、まとめるとアニメと舞台は相違点がありながら「観客」という存在を介して相互に影響しあう「次元を越えることを舞台という特性に落とし込んだプロジェクト」がすごい。
と、いう解釈でした。
…文章まとめられる人ってすごいね、途中から口調もよくわからなくなりましたまる