【その魂の行く末を・3-1】
数日、特に何も変化の無い日が続いた。
生憎天気が悪かったから外には出られなかったけれど、あの事件から回復した子たちが何人か訪ねて来てくれて、久しぶりに賑やかな時間を過ごせた。
その内の一人がサザントスさんを気にしているようだったから、彼女たちが帰った後にそれとなく「人気者ですね」と伝えると……意味が解らないと言わんばかりに首を傾げられて終わってしまった。頑張れ、恋する乙女。この人は手ごわいぞ。
それにサザントスさんも。いつか誰かを愛して、結ばれて。幸せな時を得てほしい。
そう願いながらその日は床に就いた。
「―――! ―――!」
誰かの声が聞こえる。
「―――!! ――…!」
必死な声だ。響きからすると誰かを呼んでいるのだろうか?
「……?」
「ミトス!! 目を開けろ!」
「ん…サザントスさん…?」
目を擦りながら体を起こすと、左から別の人の声も聞こえた。
「ああ良かった、目を覚まされましたか…!」
「ゲイルさんまで? 診察にはまだ早いんじゃ―」
「ミトスさあああん!」
「わっ!?」
ぼふんっと抱きついてきたのはリリィだろうか?
「この子が、ミトスさんが起きてこないと教えてくれまして。昨晩お酒でも飲まれましたか?」
「ああ、いえ。たぶん“そろそろ”なんだと思います」
「! …体調の方はいかがです? どこか痛みは?」
「それは大丈夫なんですが…あの、サザントスさん」
「何だ」
彼がいるであろう方向に顔を向けて、問う。
「私は目を開けてますか?」
「……そなた、まさか」
明確な答えじゃなくても、その反応と周りの空気の変化で十分に察せられた。
「ええと、リリィはここ?」
真っ暗な中で今も抱きついたままの彼女にそろりと手を伸ばすと、後頭部らしい部分に触れた。
「良かった、合ってた。リリィ、みんなは元気になってきた? 苦しい思いをしてる子は減ってきたかな」
「ッ――だいじょうぶ…、だいじょうぶだよミトスさん…! 症状が重かった人たちも薬が抜けて、みんなミトスさんに感謝してる」
「そっか、それは何よりだよ」
私も抱き締められたらいいんだけど、力加減が判らないから締めすぎてしまうかもしれない。そう思うと、慎重に頭を撫でるのが精一杯だった。
「ミトスさん、私は一旦家に戻って薬を調合してきます。目に効くものがあるんです」
「待って父さん! あたしも行く! 手が多いに越したことはないでしょ!?」
「そうだな…。すみませんサザントスさん、ミトスさんをお願いしてもいいですか」
「ああ。薬を頼む」
二人が出ていく音を聞き届け、しばらく耳を澄ます。放牧されている羊の声が聞こえるから、聴覚はまだ大丈夫そうだ。
でも…一瞬後にはそれも消えて、魂と体の最後の結びつきも千切れて、もう二度と体を動かせられなくなるかもしれない。そんな思考がまとわりついて離れず、体が震えてしまう。
胸の前で強く手を握って耐えていたら、何かが触れた。
「それ以上は手が砕けるぞ」
「サザントスさん…」
握り込んでいた手を解かれる。けど、震えているのに気付いたのか、片手だけ包むように重ねてくれた。その優しさを愛おしく、尊く思う。
「サザントスさん…私、神界であなたと戦った時、死ぬかもしれないって思ったけど、怖くはなかったんです」
「……。」
「今日…自分では目を覚ませられなくて、光を失って……、真っ暗で、すごく…こわくて…」
受け入れたつもりでいたけれど、違った。ただ目を背けていただけなんだ。何も見えなくて、真っ暗闇に取り残されて、みんなが見ている世界がわからなくて……死の恐怖を自覚してしまった。
一度零れた感情は歯止めが利かず、触れている手に縋ってしまう。
「緩やかに死に向かうのがこんなにこわいなんて、思いもしなかった…!」
強く在りたかった。『穏やかに運命を受け入れ、潔くこの世を去った』と、そう言われるようにしようと思っていた。怯えて泣いて、誰かに死の恐怖を移すようなことはしないでおこうと。
なのに、よりによって彼に晒してしまうなんて。
「私を見ろ、ミトス」
「…?」
彼がいる方を向くけれど、やっぱり何も見えなくて。
「私、あなたを見れていますか…?」
「こちらだ」
頬に手を添えられ、少しだけ上向かせられる。
でも、それだけだ。そのまま待っていても視線を感じるだけで、何か言葉を掛けられることもない。
「あの――? っ!」
流れる涙が彼の指も濡らしていたのか、何か濡れたものが唇に触れた。驚いて肩を竦ませたけれどそれは動きを止めず、唇をなぞっていく。
指…だよね? いえ、そもそも何で彼はこんなことを? 私はどうすれば…?
と、疑問がぐるぐる回り、恐怖が少しだけ引っ込む。
「本当に見えていないのだな」
「は、はい…。あなたがとても近くにいるのは判りますが、どんな顔をしているのかは判りません。ですが」
まだ唇に触れたままの彼の指を食まないように気を付けながら言葉を紡いでいく。
「声がどこか悲しそうです。落胆させてしまいましたか」
「落胆…か」
違っただろうか。声に思案するような響きが含まれている。
前から視力は随分落ちてきていたから、彼の表情を窺えないのは今更なことではあるんだけれど。
「難しいですね、少しでも見えていたら、きっと間違えなかったんでしょうけれど。…リンユウはこんな世界で生きてきたんですね」
「………。」
暗闇に閉ざされていたかつての彼女の世界を想う。生まれた時からずっと闇の中にいた彼女は、それでも光を信じ続けた。
「すごいですね、リンユウ。私が同じ境遇だったらきっと、とっくに心が折れて、生きる希望を失っていたと思います」
でも…だからこそ彼女は、一人辺獄へと赴いたんだろう。
自分の命より大切な人の魂を、彼女にとっての光を、救うために。ヴェルノートと共に在るために。
「私はそうは思わぬ」
「え」
「ミトス、私は――」
彼が何か告げかけたその瞬間、外の扉を叩く音が室内に響いた。そのあと聞こえてきたのは、懐かしい“彼”の声。
「ミトスさん、いらっしゃいますか? 僕です、ロンドです。あなたにお渡ししたい物があって来ました」
「ロンド…!?」
(3-2へ)
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