EGのラストが今やっと受けとめられた話
キャップの最後の行動は賛否両論みたいでして、私も最後呆然としてしまいなんとも言えない気持ちで映画館を出た者です。でもそれは大事な台詞が訳されてなかったのが原因でしたよ!
映画自体は21作分のストーリーをよくぞこんな綺麗にまとめたなという感動もあり、スコットで笑いソーで笑い、過去作との干渉に興奮し、ハイルヒドラでニヤニヤが抑えきれず、アッセンブルで感極まり、キャップがムニョを持った時には雄叫びをあげたい気分でした(一番好きなシーン!)
トニーの決断も葬儀も受け止めざるを得ず、その上キャップもヒーローを降りたんだなと(ベンチの後ろ姿はもやしスティーブかと思いました)
寂しいながらも受け止めようと思った矢先の人生やり直し。え?みんなサノスの犠牲を背負い生きるのに自分だけやり直し?いや決して悪い訳じゃないけど…そっかぁ……??と思い涙が引っ込んでしまったのです。
でもこんな全世界で絶賛されていてみんな納得してるものなの?自分の読解力が無いだけ??なんで??と思い片っ端から人の感想や素敵な解釈を読み漁りなんとか折り合いをつけようとしてたけどどうにも腑に落ちず…
トニーというキャラとしての人生を考えたらあの最期は理解出来る。
スティーブというキャラとしての人生を考えたらあの結末も理解できる。
対極にある2人の人生の成長と結末、そこからの新世代への引き継ぎを見せたかったのも理解できる。
でもこの2人の最後がどうしても不釣り合いというか、対比するにはトニーの犠牲が大き過ぎるしスティーブがあまりにも自分勝手ではという気持ちの方が優ってしまい、この結末の説得力がどうしても見出せずにいたんですね。
もうちょっと上手く繋げる事は出来なかったのか…劇中でその結論に至るまでの何かが欠けていて、2人はシリーズから退場させなければいけないからという結果だけが先行して進んでいる空気を感じざるを得ず…
でもスティーブの終盤の台詞についてQT_qtさんが書いてくださった原語を見て、それは完全に杞憂であった事が分かったのです。
以下原語と訳はQT_qtさんの文をそのまま引用してます。
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"I put the stones back, and I... I thought
maybe I should try some of that life Tony was telling me to get.”
「石を返して、それから……そんな人生を送ってみてもいいかもしれないと思ったんだ、トニーが僕にすすめてくれていた、そんな人生を。」
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いや言ってるじゃん、ちゃんと言ってるじゃん。足りないと思っていた部分ちゃんと劇中にあったじゃん。
【自分の人生を送ってみてもいいかもしれないと思った】(※字幕訳は曖昧です)
【トニーがすすめてくれていた人生を送ってみてもいいかもしれないと思った】
全然違うよ林さん…受け止め方が全く変わるよ…トニーが言ってたというとこ削っちゃ駄目だよ。
これだとキャップが40年代に戻った時に考えた事はトニーの言葉であり、トニーが5年間過ごしていた生活であり、自分は得られないと思っていたトニーの気持ちを得られるチャンスがその場にあり実行をした事は決して独り善がりじゃないじゃないか。
考えれば分かる流れではあるんだけど、憶測として捉えるのと決定的な情報として得るのでは全然印象が違うよ…しっかりとトニーの死とキャップの行動が結びついていたじゃない!
えっいい話じゃないかエンドゲーム…
まぁナターシャとソーの扱いは未だモヤるところはあるけれど、それでもトニーとスティーブの物語だと考えたら気持ちが良いくらい腑に落ちました。
誰よりも自身の幸せの重要さを訴えていた男が大衆の幸せのために犠牲になり、誰よりも大衆の幸せのために自分を犠牲に生きてきた男が彼の死をきっかけに自身の幸せを歩む話としてしっくり来た。
最高じゃん。ダンス曲で余韻に浸り、最後まで対極でいながら影響しあった2人の人生を見届けた感慨深い気持ちで映画館を出たかったよ。
英語圏の人は大半がこの気持ちで映画館を出たんですね。翻訳家さんのお陰で洋画が楽しめているので感謝はしているけど、今回程英語が分からないことを後悔した日は無いかもしれない。