10月14日(土)、ムケイチョウコク『漂流する万華鏡』に小石川 樹 役で参加した記憶を役の目線で書いたものです。
ネタばれ満載のため、参加予定の方はご注意ください。
また、記憶違い・解釈違いも多々あることと思いますが御容赦願います。
その夜、私は古い友人に会うためにその場所に行った。
古民家カフェの2階で開かれているサロン。芸術家や一風変わった趣味を持つ人々が集まっているらしい。
その友人とは、ある行き違いから何年も音信不通になっていた。彼に会ったら、何て言えばいいんだろう。落ち着かない胸の内を抱えながら、部屋の片隅に座り、集まった人々を眺める。
人形遣いと人形たち、音楽家とそのファン、私小説家、点描画家、薬や文字を集める蒐集家たち、そして彼。万華鏡作家で、私の古い友人で、このサロンの主 糸山 蓮一朗だ。
彼が私を見つけて近づいてきた。
久しぶり、と言い、これは旅の記憶を込めて創ったのだ、と手にした万華鏡を差し出す。君に会えた今日という日にこの万華鏡を選んだのは不思議だ、と言って。
あの日彼が約束を破ったことには互いに触れぬまま時間が過ぎていく。
と、少しあたりが騒がしくなった。1階のカフェに集まっていた彼の親族が2階に上がってきたのだ。彼の妻や弟が、この建物の先行きについて彼に訊ねている。いったい何が起こっているのだろう。
彼と彼の親族がサロンから去ると、辺りは少し静かになった。
私は人々の会話に耳を傾け、声をかけられれば話に加わったりもした。
ふいに、彼が戻ってきて、思い詰めたようなまなざしで「頼みがある」と言った。
彼に案内されて、アトリエと呼ばれた部屋に入る。ほの暗いその部屋には、透き通るように儚げな少女がいた。
蓮一朗は彼女のそばに座り、今日の出来事を語り始める。たとえば咲き始めたキンモクセイの香りと色について。たわいもない言葉とともに2人の手が重なり動き出す。言葉と同時に手でも会話しているように。
その様子を見ているうちにふと気づいて思わず「彼女、眼が……?」と小さく呟くと、彼がそっとうなづいた。
蓮一朗に紹介されると彼女(透子という名だそうだ)がこちらに手を差し出す。私は、蓮一朗がうなずくのを確認してからそっとその手に触れた。
ひんやりした細い指が私の指に絡む。握手ではなく、蓮一朗としていたように私の手と自分の手を絡めて手遊びをはじめる。
そのまま彼女にせがまれて、旅の記憶を語る。蓮一朗と訪れた砂漠の辺りの小さな町のこと。
「海は見えた?」と彼女が尋ねる。砂漠に海?答えられずにいる私の代わりに、「きっと遠くに見えていたよ」と彼が答えた。「青かった?」と透子。「いやもっと深い色だったかもしれない」
蓮一朗が私に言う。
「さっき言った頼みというのは透子のことだ。いつき、これからは君が僕の代わりに彼女に言葉で世界を伝えてくれ」
依頼の意味を図りかねて、私は答えることができなかった。
気がつくと彼は昔と同じように私を「いつき」と呼んでいた。けれど私は彼の名を呼ぶことができずにいた。あいまいな二人称で呼び掛けてしまう不自然さはそのまま私の心の迷いを表しているようだった。
アトリエを出てサロンに戻ると、彼は私の問いに答え、ぽつぽつと事情を語り始めた。透子が自分の従姉妹であること。彼女の眼のこと。それについて責任を感じるべき理由があること。あの日、私との約束の場所に来れなかった訳も含めて。
彼の口調からは、彼女を大切に思っていることが強く伝わってきた。
「……でも、奥さんは……いや、ごめん、立ち入ったことを……」さきほど見かけた華やかな彼の細君のことを思い出して動揺する私に「いいんだ。当然だよ。妻のことは愛している。でも透子から離れることはできないんだ」と答えた。
「さっき頼んだように、旅の合間でいいから彼女に会いにきて欲しい」
「できるだけのことはする。でもあなたは?」
悪い予感が背筋を走る。こんなに彼女を大切に思ってる蓮一朗が、そのそばを離れなくてはならない理由なんて、それは……。
「この前、倒れたんだ。そして、今度倒れたら終わりだと医者に言われた」
悪い予感ほど当たるものだ。応える言葉を失って、ただ彼を見つめた。
「……でも、それはもう、どうにもならないの? 治療とか……医者はなんて?」
彼は静かに微笑んで「どうにもならない」と答えた。
さっき、「人は死んだらどうなると思う?」と彼に聞かれたことを思い出した。死の先には美しい世界があると答えられたらよかったかもしれない。もうすぐ旅立ってしまう彼のために。
人形遣いや家政婦見習いがやってきては彼と言葉を交わす。こんなにも必要とされているのに、君はあと少しでいなくなってしまうのか。
そうしているうちに、家政婦がサロンに入ってきて、私小説家の書き上げた小説を人々の前で読み始めた。これまで誰にも読ませなかったはずなのに。
その中に透子のことが書かれていた。彼女が両の眼を失ったときのこと。蓮一朗の不注意などではなかった。彼を自分のそばに引き留めるため、彼女は自ら……。
儚げに見えた少女の鮮烈な愛。たぶん彼女は、歳上の従兄弟を幼い頃から慕っていたに違いない。
その作為を知った彼はそれを許すのだろうか。
そのとき、蓮一朗が私に向かって訪ねた。「いつき、君はあの日約束を破った僕を許してくれるだろうか?」
私は少し考えて、「たぶん……許したからここに来れたのかもしれない」と答えた。
その答えが彼の気持ちを少しでも後押しできたのであれば……。
彼は彼女に歩み寄り、2人は寄り添うように静かに歩み去った。残された人々に、言葉にならない思いを残して。
……数日経ったいまも、あの奇妙な夜のことを何度も何度も思い出す。
私は蓮一朗に惹かれていたのだろうか。かつて共に旅した友人という以上に。あるいはあの美しい少女の指に触れたとき、彼女への恋に落ちたのだろうか。
自分の気持ちさえハッキリとはわからない。
ただ、思い返すと今も胸がざわめく。近くまたあの古民家カフェを訪れてみようと思う。