平ジェネに関する、自分で見た限りのネタバレ全開考察(9割5分空想)です。
「ティードとフータロスは、本当はアタルの空想上の存在だったのではないか?」
#平成ジェネレーションズFOREVER
感想ツイートでも述べたんですけど、この映画、(アナザーWは置いておくにしても)重要登場人物であるティードとフータロスの背景がまったく説明されてないんですよね。
フータロスはなんかアタルに憑依したイマジンだけど、シンゴとアタルを本気で助けようとしてくれるいい奴、というだけ。ティードに至っては「世界を支配しようとしている悪い奴だぞ!平成ライダーを消そうとしているぞ!知らんけど」というだけ。
……じゃあ逆に、映画に出た情報から彼らの正体を類推できるのでは??
ティードの特徴って、基本的に「世界を支配したい」よりも「平成ライダーという存在を無かったことにしたい」という目的が強いように思えるんですよね。
彼がやったことと言ったら、アナザークウガを生み出す、シンゴを誘拐する、いざとなったらシンゴと融合してでもライダーの歴史を消したがる……と、見事にライダー関連のことばかり。世界征服を狙う悪の親玉っぽいことといえば、謎タワーや怪人を召喚したことくらい。
「世界の支配」は建前で、ほんとうはライダーを消したいだけなんじゃないか?と。
では何故ティードは仮面ライダーの歴史を消したがるのか?それは――彼が「アタルの負の空想」から生まれたものだから、ではないか。
仮面ライダーたちはアタルの空想上の存在。ならばその敵役も、想像から生まれた存在だったとしても不思議ではない。
そして、ティードがアタルの空想を反映した存在であるとすると、納得のいく言動がいくつかあるのです。
ティードがライダーたちと対峙した時に言った「何故何度も現れるんだ、存在しない癖に!(うろ覚え)」という叫び。あれは、アタルの「仮面ライダーは作り物、現実では何もしてくれない」というアタルの諦観と密接にリンクしていたものだった、と考えられます。
アタルは仮面ライダーが好きだった。親の愛を満足に得られない自分をいつかライダーが救ってくれる気がした。でもライダーは何もしてくれなかった、現実の存在じゃないから。テレビの中でいくら怪人をやっつけてくれても、現実の自分にとっては何の役にも立たない……
そんな中で生まれてしまった「自分を助けてくれない架空の存在”仮面ライダー”なんかいっそ消えてしまえばいい」「つらい現実そのものも、破滅してしまえばいい」というアタルの暗い空想が、「平成ライダーは架空のもの。消し去ってしまえ!」「世界も滅びてしまえ!」という架空の悪役、ティードとして現れたのではないか?と。
ティードがアタルから生まれた、という説の根拠はもう一つあります。それは、シンゴを狙ったこと。
現実でのアタルは、行方不明になった兄・シンゴに思いを馳せる両親の元、しっかり愛してもらえずに育ちました。でも彼も、そんな両親、そして連れ去られた兄自身を責めることはできなかったのでしょう。
だから、その現実を自分に無理やり納得させるために「自分を不幸にした悪い奴」、ティードを作り上げた。兄は特異点だから、世界を征服しようとする悪い奴に連れ去られてしまったんだ。だから両親が兄ばかり想って自分のことを見てくれなくても仕方がないんだ………
あるいはアタルとシンゴについては別の可能性も考えました。それは「シンゴが連れ去られたこと自体がアタルの妄想」という可能性。
例えば、両親はできの良いシンゴにかかりっきりで、アタルのことはろくに見てくれない。だから、いっそ兄が誰かに連れ去られてくれれば、と願ってしまう……とか。
アタルがフータロスに「兄を取り戻して欲しい」と願わなかったのも、映画の終盤で仲良くライダーオタする久永兄弟の写真があったのも、「もともと兄は行方不明なんかになっていなかった」と考えれば辻褄が合います。
(この場合、なぜ空想の中でもアタルは愛されていないのか?という疑問が残りますが……「空想の中でライダーに会う」自分は許せても、「空想の中で両親に愛される」自分は許せなかったのでしょう。みなさんにもありませんか?幸せな空想を目の当たりにすると「こんな都合のいいことがあるはずがない」と捻くれてしまう心が……)
一方のフータロスについても、彼の行動を追ってみると
・アタルと契約し、妄想ライダーに会わせる
・シンゴとアタルを助けようと行動する
と、まさに「アタルの都合の良い」ことばかり。
これは、物語的に言えば「アタルの願いがそうだったから」ですが、それにしてはフータロス自身が兄弟にとても入れ込んでいるのはちょっと不思議です。
なぜフータロスはこのような行動を取ったのか?――それは、フータロスもまた、「アタルの空想」から生まれた存在だから。
ティードが「アタルの憧れを否定し、つらい現実に理由をつけてくれる存在」なら、フータロスは「アタルの憧れを具現化してくれる」存在、と考えることができるのではないでしょうか。
フータロスがシンゴを助けようとしていたのは、アタルのシンゴへの想いの表れ。フータロスの力に限界があるのも、ちょっとヘタレで諦めがちなのも、現実のアタル自身がそうだから。そう考えると、謎だったフータロスの行動原理が明らかになる気がするのです。
もしかしたらアタルの、ライダーに憧れる一面、兄シンゴを助けたい一面が、契約者の願いを叶えてくれる「イマジン・フータロス」として現れたのかもしれません。
ティードも、フータロスも、仮面ライダーたちも、全てアタルの妄想でしかないとしたら。この映画は、アタルの壮大な一人芝居ということになります。
兄を連れ去り、ライダーを消し去る、いわばアタルの考える「都合の悪い現実」の化身、ティードと、それでも捨てきれない「兄を助けたい気持ち」「ライダーに憧れる気持ち」の化身、フータロス。そして、彼の夢そのものである仮面ライダー達。
そう考えると、この映画のいろいろな演出も違う意味を持って見える気がするのです。
例えば、突然現れた電王。
なぜやって来たのか?それは「アタルにとって、そこに電王が現れるはずだから」。
だって、ねぇ?アタルや私たちライダーオタクにとって、「歴史を変えて世界を支配しようとする奴」に黙っていないヒーローといったら……ねぇ?
そして、ティードが敗北したのも必然であったと言えます。
一つには、アタルが心の底から仮面ライダーを愛していたこと。「仮面ライダーは現実の存在じゃない」「自分には何もしてくれない」と言いつつ、彼の部屋には大量のライダーグッズが揃えられていた。いくら斜に構えていても、自分の心からの憧れを否定することは、きっとできなかったのでしょう。
そしてもう一つ――ティード自身が、アナザークウガになったこと。
ティードがアタルの破滅願望の化身だとするなら、世界を支配するためにアナザーとはいえ「ライダーになる」ことを選んでしまうこと自体が、全てを表していると言えましょう。
だって……なってるじゃん、ライダー。やっぱり憧れてたんじゃん、なりたかったんじゃん、ライダー。そんな悪役に成り果てていても……
最終的に仮面ライダー達は存在を取り戻し、ティードは敗れ去ります。それはきっと、アタルがライダーから教えられた大切なものを思い出し、彼らの存在を認め、「都合のいい悪い奴」という負の妄想を捨てることができたから。
最後に現れる一連の写真(兄弟の楽しいオタ活風景)は、「シンゴが本当に連れ去られていた」と考えれば歴史が正しく戻ったことの表れですが、「シンゴが連れ去られたのもアタルの妄想」と考えれば、その妄想を捨て、「兄との楽しい生活」という現実を取り戻し、改めて向き合うことができたことを示している……とも考えられるのではないでしょうか。
――という、私の「空想」でした。