【その魂の行く末を・3-2】
それから、戻ってきたリリィに着替えを手伝ってもらい、ロンドが待つ別室へと急いだ。ゲイルさんは急患が入ってしまい、すぐには来られなくなったのだそうだ。
この家で過ごさせてもらってそれなりに経つのと、視力が落ちていた期間もそこそこ続いていたからか、目が見えなくても物にぶつかったりすることはなかった。みんなの顔やオルステラの景色を見られないのは寂しくてつらいけど、それでもまだ私は生きていて、歩くことも話すこともできる。耳も聞こえている。味はしないけど食べることもできる。
本当に、身体には何も問題無いんだろう。魂が消えかけている、ただそれだけなのだ。
「お待たせしました」
「ミトスさん…!」
がた、と席を立つ音がした。
「あ、座ってて平気だよロンド、そっちまで行くから」
リリィに手を引いてもらいながら、ロンドとサザントスさんが待つテーブルについた。すぐ支えられるように、とリリィは私の右手後方に控えている。大丈夫と言っても聞かなかった。
「もう、心配性なんだから」
「患者さんの“大丈夫”を鵜呑みにしない、って父さんから教わってるからね!」
「感心だな。その者が自身について言う“大丈夫”は殊更信用ならぬ」
「サザントスさんまで…! 今はこんなに元気なのに」
「今は、な」
一連のやりとりを見守っていたらしいロンドは、ややためらいがちに口を開いた。
「改めまして…ミトスさん、お久しぶりです」
「うん、久しぶり、ロンド。元気にしてた?」
「はい。フレイムグレースと比べたら、この辺りの気候は過ごしやすくて良いですね」
「街の人たちも優しくて良い人たちばかりだよ、こんな広いお家を貸してくれてるし」
「ああ、サザントスさんから聞きました。商人でもあった画家の家だったけど、その人がシアトポリスに出ていってしまってからは住む人がいなくて、持て余されていたと」
そう。だからこの家にはそこかしこに不思議な形のオブジェがあり、絵の具の跡が付いている壁もある。夜に見るオブジェはちょっと不気味だったりしたのだけれど…、慣れればあまり気にせず暮らせてしまう。一通りのものは揃っているし、特に不便なところも無いし、私一人で住まわせてもらっているのがちょっと申し訳ないくらいだ。
「部屋が余っているのでしたら、あなたのお邪魔にはならなそうで良かったです」
その声の後に、何か重い物が置かれた音と振動が。
「ええと、今のはロンド? 何か置いたの?」
「はい。……ミトスさん、本当に見えていないんですね」
「うん。ふふ、サザントスさんも同じこと言ってたよ」
「それは…そうでしょうね。だって僕らはあなたの――」
「ロンド」
「っ……」
サザントスさんの静かに制す声と、ロンドが声を呑んだ息遣いとが聞こえた。二人の間でだけ通じる何かがあるのだろう。気になるけど、追究するのはきっと望まれていない。
「今置いたのはエルトリクス殿からの差し入れです。日持ちのする食べ物と、東から伝わる滋養強壮の薬だそうで」
「東の…ハスミさんやコウレンさんの国かな?」
「おそらくは。グランポートの船乗りたちも使っているもので、密かな人気らしいですよ」
「それはすごそうだね、ありがとう」
「それとこちらはソロン王陛下から、羊毛のブランケットです。調査の方も古代ホルンブルグの文献に魂に関する記述があったとかで、詳細を調べているそうです。おそらく近い内に手紙が届くかと」
「ソロン王、お忙しいでしょうに…。ブランケットまで」
この街から一番近いのがアルティニアだからなのか、ソロン王はこうしてまめに贈り物をくださる。二日前にもリンゴが届いたばかりだ。
その時リリィから「ミトスさん実はえらい人!?」なんて訊かれたりもしたけれど、今回はエルトリクスさんからも届いているし……。
「教皇聖下も心配しておられました。回復した暁には是非また顔を見せてほしいと」
「そう…」
リリィの目がすごいことになってそうなのはきっと気の所為じゃないないんだろうなぁ。後頭部に視線が刺さってる感じがして、何となくお茶が飲みづらい。
「あ、あの、聖火騎士様…」
「ロンドでいいですよ」
「えっと、ロンドさん。ミトスさんってただの旅人さんじゃない、ですよね…?」
「あれ? ミトスさん、話してないんですか?」
「話すって言ったって私ただの旅人だし…」
「ただの旅人さんは王様や教皇様から手紙も贈り物も貰ったりしないよ!」
「うっ…それはそうだけど、でも私本当に、ただ大陸巡っただけの旅人だよ?」
「謙遜なさらず。あなたはこの大陸を救った英雄です」
「英雄!? 大陸を救った!?」
ああああああ…!
「り、リリィ…! 私そんなすごい人じゃなくて…!」
「すごい人ですよ。大陸にとっても僕にとっても、あなたは大切な人です」
「ロンドさんの大切な人…!」
「何か違う意味に捉えてない!?」
と、三人でわいわいしていたら、向かいから軽く息をつく声が聞こえた。
「―世に邪悪が溢れ大陸が闇に呑まれんとする時、光を携えた存在が現れる。その者こそ世の浄化を担う、聖火神の指輪に“選ばれし者”。……今代はミトスがそうだ」
「選ばれし者…」
「そなたの位置からでは見えにくいだろうが、ミトスの右手に嵌っているのが聖火神の指輪だ。青き光を湛えているだろう」
右手を持ち上げてリリィに見えるようにすると、「本当だ…」と小さく呟く声が落ちた。
けれどそのままじっと見つめている気配が続いて、どうしたのかと声を掛けようとした時、リリィがサザントスさんに問いかけた。
「どうして“聖火神の指輪”って名前なんですか?」
「かの神の力が宿っている。指輪はあと7つあり、それぞれが対応する神の力を宿している。意思を持つ指輪は各々担い手を選ぶが…聖火神は滅多に主を変えぬ。ミトスの手を離れることはないだろうな」
「力だけじゃなく、意思もあるんですか?! それはもう、聖火神そのものなんじゃ…」
「確かにすごい力を秘めてるけれど、普段はただ綺麗な指輪だよ。お話しできないしね」
『こちらにおいで』『あちらに向かいなさい』と指輪が導くことがほとんどで、私から指輪に問い掛けても応えが返ることは無い。基本的には一方通行なのだ。
「あ、お話しはできないけど、こっち…というより私の動向は見ているみたい。危ない時や苦しい時に助けてくれたから」
ただ見ているのではなく、見守ってくださっている。ありがたくて心強い存在だ。最初はお守りのように思っていたけれど今では大切な仲間と言っても過言ではなく、そう思えば指輪が最古参の仲間になるだろう。
けれどその仲間とも、もうすぐお別れだ。
そっと撫でると記憶にある温かさなのか、仄かな温もりがあるように感じられた。
「あの…聖火神、お願いします。ミトスさんを助けてください」
「えっ、リリィ?」
すぐ近くから声が聞こえ、願いが指輪へと向けられる。右手に重ねられたのは彼女の手だろうか。
「お願いします。ミトスさんはあたしや友だちを…この街の女の子たち、それに他の街から攫われた人たちも助けてくれました。あたしたちを救ってくれた英雄を、大陸を救ったすごい人を、死なせたりしないでください。強くて優しいミトスさんを、死なせないでください。どうかお願いします」
お願いします、聖火神――と募る声は少し滲んでいた。
「リリィ…」
悲痛な願いに胸が締め付けられる。でもこれは―
「ミトス」
「?」
「そなたの横に、そなたの死を憂う者がいる。大陸中に、そなたの死を覆さんと足掻く者たちがいる。それでもそなたはまだ大人しく、『仕方のないことだから』と諦めたままでいるつもりか」
「………。」
静かで、どこか威圧感のある響き。もしかしてこれは…。
「サザントスさん、怒ってます?」
「ああ」
「…!」
やっぱり…!という思いと、サザントスさんが怒ってる…!という驚きで心がくるくるしている。これまで悪い人たちには怒りを向けることがあったけれど、私や街の人たちに激しい感情を向けることは無かったように思う。…今向けられているのも、激しいと言えるほどのものではないけれど。
「旅に誘われ共に歩いていたかと思えば、急にここまでだと放り出される身にもなってみろ。怒りの一つも湧く」
「え、ええと…」
「もし私やロンドが同じ境遇になればそなたは足掻き続けるだろうに、何故自身のこととなると急に物分かりが良くなるのだ。振り回すのも大概にしろ」
「……私が寝てる間に何かあったんですか、サザントスさん」
明らかに昨日までと言葉や感情に差があるな…?と首を傾げていると、柔らかに笑う気配が伝わってきた。
「お二人が仲良くなられたようで嬉しいです」
私怒られてるんだけど、仲良くなったと言っていいのかなこれは。
「――ミトスさん、僕がここに来たのはこれらを届けるためでもありますが、足掻くためでもあるんです」
「足掻くため?」
「はい。教会でも資料や記録を当たってみたのですが、残念ながらあなたの助けになるようなものは見付かりませんでした。しかし、だからといって諦めることはできません。何か解決の糸口を得られないかと、詳しいお話を聞きに来たんです」
「………。」
きっと今、真摯な眼差しが向けられているんだろう。目が見えなくてもその様子がありありと瞼の裏に浮かんだ。
ロンドだけじゃない。サザントスさん、リリィ、ゲイルさんに街の人たち…。そしてサザントスさんが言うように大陸各地で縁を結んできたみんなが、どうにかしようと必死になってくれている。
…報いたい。彼らを悲しませたくない。
でも、私のこれは聖火神に願った結果だ。どうにか、なんてできるのだろうか?
「サザントスさん、私の状態はどこまで手紙に書いたんです?」
「最初にそなたから聞いた通りのことを。その後の体調については変化がある度に報せていた」
「じゃあロンドは、これが魂と体の結びつきが弱ってるからって知ってるんだね」
「はい。あなたの故郷では、生まれながらにそういった状態の人たちがいるんですよね? そういった方々は普段どう過ごされているんですか?」
「周りに助けられながら生活してるよ。基本的には生まれついた状態から悪くなることは殆どなくて、長生きしたら少し悪化するかな、くらいのものだから」
「ではあなたは特殊な事例なんですね。サザントスさんと旅に出る前は元気そうでしたけど、いったい何があなたの魂をそこまで削ったんです?」
「私は祈る時に魂を砕いて織り混ぜているみたいだから、たぶんそれが限界を超えたんじゃないかな」
元々サザントスさんを助けるために一握りの時間を残して他は全て代償としたのだ。
五体満足でいられる時間は僅かで、更に彼との旅の中でもその時々で誰かの未来を無意識に願ってきた。
だからたぶん、その結果が今なのだ。
………と、そう告げた時の“彼”の怒りを何に例えたらいいのだろう。
深い溜め息が長く吐き出され、怒声が飛んでくるかと思えば怒りを滾らせたままお茶を飲み、無言を貫く姿は……正直言って“創造主”を前にした時とは別の恐ろしさがある。
リリィは言わずもがな。ロンドは何か修業時代でも思い出しているのか、ものすごく固まっている。…ような気配がする。
「…ミトス」
「は、はいっ!」
「魂を癒やす術は伝わっていないのか」
「はい…?」
てっきり怒られるものと身構えていたら、予想外の質問が飛んできて受け取り損ねてしまった。
「そなたほどの重症は稀とは言え、存在自体は普通に見られるものなのだろう? 周囲に助けられつつ生活を送ると言うが、症状の緩和や回復の術は無いのか。あるいはそういった話を聞いたことは?」
溢れそうだった怒りはどこへやら、もういつものサザントスさんに戻っていた。後ろでリリィが安心したように息を吐いている。
「残念ながら…。都会の方で研究されてるらしいですけど、治療には至って――」
と思い出す中で、昔聞いた物語が頭を掠めた。
でもこれ、参考になるんだろうか…? いや、なるとして、参考にさせていいんだろうか…。
「ミトスさん? どうしたんです?」
「あ…ええと、そう言えば魂の消耗に触れてる物語があったな、って」
「! どんな物語ですか?」
「…本当に参考になるかは判らないけど」
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