FGOレクイエムコラボの人狼ゲームについて。
なぜアマデウスは“あのマリー”の味方をしたのか?
彼は「愛してるよマリア」なんて言葉を言えちゃうタイプか?
と考えていたのだけど、むしろ“あのマリーだからこそ”そう出来たのでは?という話
※6000字あるので時間に余裕がある人向けです。
最初に言っておくと人狼ゲームパートは
「人狼ゲームシナリオ」として読むと、
私はあまり楽しめませんでした。
道筋が1本しかない(主人公の選択で展開が変わらない)
ルール破りが横行してゲームとして成立してない
のでまぁ当然っちゃ当然。
でも必要なかったか?と言われるとそうでもない。
遊戯界はゲームという形で宇津見エリセが自分自身と向き合う、自分の生き方を見つけるための世界なので…
「人狼ゲーム」はその“役割を演じて勝ち残る”という遊び方で、エリセに“「死神」という役割を演じていた自分”を意識させるのが目的なのだと思います。
「新しいルールを作って良い」というのも
“生き方を考える・変える”という行為のメタファーと。
まぁそれ含めて“人狼ゲームシナリオ”として読んでも
「面白い!」と思えるモノを読みたいのが理想なんですが。
では、本題に入ります。
《そもそもアマデウスはどんな人物なのか》
ゲーム1日目、役職が決まりアマデウスが
「発言は1日1回、10分以内」
というルールを提案する前のセリフ。
「ありがとう、ジル
愛してるよ、マリア
そして落ち着こうぜサリエリ先生」
「愛してるよ、マリア」なんてアマデウスが言いますかね?
いや、好意を示す言葉自体はわりと言うんですよ。
けど“本人に向かって、アマデウス個人としての好意を言葉にする”という事はしないと思うんですよね。
例としては特異点オルレアン、マリーに向けての台詞
「君が国に恋していたんじゃない。
フランスという国が、君に恋をしていたんだ」
アマデウス個人の感情ではない。
その後、マシュに「マリーさんを愛しているのでは?」
と問われた時のセリフ
「ああ、うん。愛してるよ。
ただもう恋してないだけ。それがなにか?」
本人が聞いてなければサラっと言う。
ロシア異聞帯でもサリエリに分かりやすく好意を示すセリフはない。
「君、僕を殺したいほど憎いんだろ?
ならここで一つ、サクッとやっちゃいなよ」
鬼ランドでマリーにサリエリと仲良くしなさいと言われたら
「えー。精一杯仲良くしてるんだけどなー?
ボク、サリエリ大好きだし」
バレンタインイベントでも好意を伝えてくれるけど、
ストレートな言葉を口にしない。
そんな感じだからマリーからは
「あなた、お友達に誤解されるタイプだから」
「あなたはもっと言葉を飾らないことを憶えるべきだわ」
と言われ
マテリアルでは
「彼は自分が非人間的な性格だと自覚している為、
親しい人にこそ距離を取りたがるのだ」
と語られている。
アマデウスがこんな性格なのは
生前のマリーへのプロポーズ以降、
彼女への好意を行動として起こせなかったから。
というのがあると思います。
音楽は常に彼女へ捧げられていたけど、
プロポーズ以降は直接マリーに
アプローチすることが出来なかった。
その根本の原因が魔神王による冠位指定。
“絶対遵守の命令”という呪いへの苦悩でしょうが…
それら色々が枷になっている。
そうしてアマデウスは親しい人に対して一線を越えた言葉をかけれない。行動を取れない。
オルレアンでマリーと別れる時の会話でもこれは窺えます。
「アマデウス、仲良くするのよ
あなた、お友達に誤解されるタイプだから」
「君に言われたくないよ。それより、マリア」
「うん?」
「いや、何でもない。道中気をつけるように。
空腹になったからって洋菓子店を探すんじゃないぞ」
「なあんだ! わたし、てっきりまた
プロポーズされるかと思ってドキドキしていたわ!」
「--待て。なぜ今その話をするんだ君は!」
マテリアルでもコレは示唆されています。
“アマデウスは、マリアが死すよりも先に急逝した。
故にこそ、彼は悔いる。もしも、私が生きていれば。
あのような惨いギロチンによる結末を、彼女に迎えさせることはなかったのに。
その資格はないと弁えながら、彼は願わずにはいられない。
輝くべきマリアに、どうか、
幸せの日が訪れんことを--”
そんなアマデウスが
なぜマリーに「愛してるよ」と言え
彼女を助けるために自らの命を賭した行動をとれたのか。
やはり“マリーではあるが、マリーではない”
存在だったから。じゃないかと。
《あのマリーはどんな存在なのか》
・エリセから生まれ落ちた邪霊の集合体が形をとったもの。
・エリセが“後悔の想い・罪の意識”を型枠に
“自身を罰するに相応しい人”として作り出したもの
・庶民たちの思い描く絶対なるマリーの肖像。
マリーにとっての竜の魔女
・哀れな民を搾取する神に等しい絶対的な王妃
シナリオの記述だとこんな感じ。
「……邪霊たちが、この世界で形を成したのは
このわたしにも責任があるのでしょう」
「責任なんて、そんなはずはありません!
それが王妃の本意のはずは……ハッ……」
「……ええ。
たとえ、心の底から望まないことであっても--
それは、起こりうる。縁が結ばれさえすれば。
わたしたちのようなサーヴァントにとっては」
というセリフから遊戯界に本物のマリーが現れたからこそ、邪霊たちがマリーの形を成せたようで。
「エリセの」ではなく「庶民たちの思い描く絶対なるマリー」というのが重要だと思います。
マリー自身の別側面ではない。
民衆が想い描いたマリー・アントワネット。
マリーであって、マリーではないが、
このマリーは偽物だろうか?
似たようなケースを上げてみる。
例えばジャンヌ・オルタ
本来はオルタの側面はないジャンヌだが
・ジルドレェが聖杯に願い“竜の魔女ジャンヌ”が誕生。
・“サーヴァントとしてのジャンヌ”が処刑時に意識してしまった「生きたい」という“殉教に背いた心の闇”を核にオルタとしての可能性を獲得。
・そこから贋作イベを通じて民衆が想起した復讐を望むジャンヌとして霊基数値を向上(自身を確立)
・カルデアに観測され倒されることにより「この世に存在する」と認識される。
という経緯でサーヴァントとなったもの。
彼女は偽物だろうか?
もう1人のジャンヌ・ダルクだろうか?
他にも、アーチャーのナポレオンは
・人々の期待によって生み出されたナポレオンの偶像。
・民衆が想起した“期待と願いに応える”存在。
であって、史実のナポレオンそのものではない。
けれど彼は偽物だろうか?
そもそも英霊自体が、その功績から人々の信仰を集めたことでなれる存在なわけで……。
あの昏き王妃もまた、マリーと言えるのかもしれない。
マリー自身もオルタになり得る暗い感情を内に秘めているし、民衆が想い描いた昏き王妃を「もう一人の私」と呼び続けている。
《昏き王妃だからこそ、アマデウスは救える》
話を戻します。
とにかくアマデウスは
いつもならこんな事はしない(出来ない)
それが出来たのはマリーが
“マリーであってマリーではない”存在だからだと思う。
マリーを貶めるために産まれた存在でもない、
というのも大きいか。
とにかく“民衆が想い描いた王妃マリー”は
魔王であろうとアマデウスにとって守るべきものだった。
たった今、頭に浮かんだけど
昏き王妃は彼が“恋したマリー”ではないが、
彼が愛する“王妃マリー”ではある。
という感じなのかなと。
そしてそんなマリーが人狼ゲームの人狼…
“民に追い詰められ、処刑される力あるもの”
という役割をしている。
今のマリーの状況は彼の死後に起きた
「フランス革命」に近いのではないか。
先程話したようにアマデウスはマリーより先に亡くなり、彼女を助けられなかったことを後悔している。
いつものマリーなら、
誰かを犠牲にしてまで生き残ることを望まない。
オルレアンでもそうだった。
けれど、昏き王妃ならば。
それがアマデウスが自らの命を賭して
マリーを守りきれた理由なのではないか。
ちなみにアマデウスがマリーの正体に気づいたのは人狼ゲームの前…「プレイヤー宣言(サーヴァント革命)」をした時だと思っています。
「マスターの言いなりになっているのは退屈過ぎる。
わたしたちも楽しんだっていいじゃない?」
民のためではなく、自身のために振る舞う王妃は
彼の知る、民を愛し、民の幸せを願う王妃ではない。
しかし、だからこそ民を犠牲に生き残ってくれると。
《番外 サンソンについて》
(※ツイート後に気になり、書き直しました)
処刑人であることが彼の在り方なのだから
民衆が想い描いた=処刑されるべき王妃としての
マリー・アントワネットに反応するのは分かる。
更に言えば、彼女はエリセの罪の意識でもあり
罰を求めているのだから。
しかし
「例え人狼ではなかったとしても
君をこの手にかけたい!」
とバーサークみ入ってる発言をするのは不思議。
こう……頭では止める自分がいるが
本能が君を処刑するべきだと感じている。
みたいな困惑した反応をするのではと。
史実でも作中でも死刑反対派ですから。
直後に昏き王妃が
「このゲームに没頭しすぎて、
ちょっとだけバーサーカー風味になってるみたい」
と発言しているあたり
昏き王妃が意図的に狂化に近い何かを
付与したのではないかと。
元が邪霊ですし、精神を蝕む力を持っていたと。
イベシナリオクエ最終戦で昏き王妃が使う
スキル「疑心暗妃の舞踏会」あたりでは。
ゲーム中ではスキル封印という効果でしたが。
アマデウスもこの影響を受けているのだろうか
狂うことでアマデウスの中の「獣」が表に出ていた?
《夜の女王のアリア》※6/12夜に書き直しました
アマデウスが発現制限ルールを提案する前に
「指揮棒をちょっと振ろうか。
気分としては“夜の女王のアリア”って感じかな?」
と言います。
夜の女王のアリアは
モーツァルトが作曲したオペラ「魔笛」の中で
登場人物である「夜の女王」が歌う2曲のアリアのことです。
この場合は
2曲目「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」
原題「Der Hölle Rache kocht in meinem Herzen」
を指すでしょう。
ボイジャーのゴールデンレコードに
載ってるのもこちらです。
コレは夜の女王が娘のパミーナに
「ザラストロへの復讐心が燃え上がる
パミーナよ、ザラストロを殺せ。
殺さぬなら、もはやお前は我が娘ではない。」
といった復讐の神への誓い(パミーナへの殺人強要)を
苛烈に歌いあげる曲。
王である“夜の女王の夫”は死に際、
夜の女王に魔法の笛などの数々の財産を渡します。
しかし太陽の力を宿した権力の象徴たる「七重の太陽の環」は神々に仕えるザラストロに渡してしまいます。
これにより夜の女王は太陽世界から追い出され
怒り狂い、ザラストロへの復讐心を抱いていると。
劇中の流れを考えると
「夜の女王」は昏き王妃を、
「パミーナ」はアマデウス、
そして「ザラストロ」はカルデア…というよりは
“王妃に逆らう者”を指している…
というのが率直な解釈でしょうか。
「私に従え」と夜の女王(昏き王妃)が迫り、
迷うパミーナ(アマデウス)の心を表している?
もう少し深く考えてみる。
「魔笛」は夜の世界の支配者たる「夜の女王」と
太陽の世界の統治者たる「ザウストロ」の対立を描いてます
物語前半では夜の女王が善で、ザウストロが悪と
後半ではザウストロが善で、夜の女王が悪とされる。
夜の女王が激情的な女神であり
ザラストロは美徳や規律を重んじる人物で
あることから、魔笛は様々な解釈をされています。
いわく
夜の女王の国は女性社会であり
ザウストロの国は男性社会である
いわく
夜の女王は自然的であることを尊び
ザウストロは社会的であることを尊ぶ。
夜の女王は過去、前時代的な者で
ザウストロは未来、新時代的な者だ。
夜の女王はパトス(情念・感情的思考)であり
ザウストロはロゴス(理性・論理的思考)である。
などなど…
これらの解釈から考えると
「夜の女王のアリアの気分」というのは
“激情に身を任せるという誘惑”
みたいなニュアンスじゃないかなと。
型月的には反転衝動ですかね。
大我(世界全体/社会/周囲の人を鑑みる意識)を
小我(自己中心的な考え・自己完結の世界)が
飲み込もうとしている。
何よりも愛する人を優先しようと考える、
理性よりも本能で動きたいという感情。
といったことの示唆かなと。
(新国立劇場の「魔笛」が丁度配信されてるので
興味があったら見てください
リンクをツイートしておきます
12日まで無料で公開されているのです!)
《人狼ゲームにおけるアマデウスの行動について》
こうしてマリーを生き残らせるために、
アマデウスは全力を尽くします。
発現制限ルールをつくり、場を引っ掻き回し
デオンやナポレオンを煽る。
マリーはマリーで王妃に尽くす民(騎士)ではなくなったジルやデオンを狩る。
ではアマデウスはマリーを守ることに終始しているのか?と言えば、そうとも言えない。
アマデウスは主人公組と占い合戦をします。
ここで占いの対象として選んだ人々、
・ナーサリー
・エジソン
・エミヤオルタ
の3人は主人公と一緒に遊戯界に来た
遊戯界の役割に囚われてないサバたちという。
アマデウスは狂信者で、
マリーとナーサリーが人狼だと分かっている。
占い師は主人公組。
つまり残るは大多数の村人と1人の騎士となる。
つまり、あの占いの誘導は
「この人は吊るす必要は無い」と
生き残らせようとしていた意図もあったのではと。
役割を主人公組より先に言い当てたのは
狂信者ゆえに人狼だと分かっているナーサリーだけで
それ以降は主人公組に役割を言わせているの
賢いよね。(唐突な褒め)
昏き王妃に何らかの目的があるようだから
目的の地まで行けるよう、この場は守る。
が、昏き王妃が悪さをした時のために
カルデア側も可能な限り傷つけない。
カルデアが健在なら昏き王妃が
問題を起こしても解決してくれるという
彼なりの信頼だったりしないかなと。
人狼ゲーム終盤、
エミヤオルタはルールの外に出た上で
騎士で在り続ける(=人狼が狩れない)
「ふざけるな! それじゃあ人狼の勝ち目がない!」
と声を荒らげるも、状況は好転せず。
追い詰められたアマデウスは
ルールを破り、人狼に化け
キーパー(裁定者)であるジャンヌを殺害。
人狼の姿がとけても人狼として振る舞い続け、
そして本来のマリーならば出来ない
“自身のために民の命を犠牲にする”
という行動によって退場する。
「マリア、おおマリア! 最高の幕切れだよ……!
僕の騙り(芸術)は、これで完成したんだ!」
こうしてアマデウスにとってのフランス革命は
最愛の人を守りきって終わる。
レクイエム(葬送曲)は
死者が安らかに眠れるように願う曲だ。
そしてアマデウスの宝具
「死神のための葬送曲」の本質は
“慈悲なき「死神」をいたわるもの”である。
「幽霊屋敷の人狼たち」は
昏き王妃(死神)のためのレクイエムであり
アマデウス(死者)にとってのレクイエムでも
あったんじゃないかなと思う。