【その魂の行く末を・1】
体と魂、どちらが欠けても生きていくことはできない。
体がひどく損傷すれば命が零れ、命が尽きれば魂も体を離れ行く。傷付かずとも年月が経てば古びていき、やがて体はその機能を止め、やはり魂は離れ行く。
そうして魂は次の体を得て、また新しい命と共に生きていく。
その繰り返しで魂は摩耗する。
摩耗した魂は体との繋がりを保つのが難しく、命満ちる体であっても機能不全を起こしやすい。難聴、弱視、虚弱はザラ、他にも半身が急に固まったり長く眠ったり、様々な異常を引き起こす。
そしてその体が役目を終えた時、一緒に消えるのだ。
けれど魂が摩耗するのは生き死にの繰り返しだけではない。
心がひどく傷ついたり、希望の無い日々を過ごしたり、そういったことでも魂は少しずつ削れていく。
いつか、どこかで誰かから言われたことがある。
『きみは祈る時に魂を砕く。そうして編まれた祈りだからこそボクらに届きやすいのだろうけど、気を付けるんだよ。あまり多くに心を割いては、きみはその体が役目を終える前に魂を使い果たしてしまう』と。
その言葉を思い出したのが、あの白い闇の中だったのは幸運だったのかもしれない。思い出していなければきっと、彼を救うために自分の全てを差し出していた。
この旅を始める前、“彼女”を喪って深く傷付いた彼と話したことがあった。
この旅の中で、“彼”を喪って深い悲しみに落ちた彼女のことを知った。
私の死を悲しむ人がいるのなら、死ぬわけにはいかない。
彼が死ぬのもごめんだ。そんな未来はあまりに悲しい。
だから私は、“私”も“彼”も生きて帰る未来に行くと決めた。
「だからどうか――命宿りし聖なる指輪よ、全ての魂に…光ある未来を―!」
指輪は願いを聞き届けてくれた。
けれどあれは一種の契約。神に望みを叶えてもらう代わりに、己の生命力を捧げるもの。私は共にオルステラへ帰ることを望んだから何とか生き残れたけれど、本来は他の指輪の所持者たちと同じように消えていた筈だ。…まあ一人例外がいるけれど、あの人は並外れた精気を持っていたから命を使い果たさずに済んだのだろう。
オルステラへと戻った私はその場で倒れ、深い眠りに落ちた。
目が覚めた時には聖火守指長をロンドが継承していて、共にオルステラへと戻った筈の彼の姿は教会内に無かった。
彼のことを尋ねると、エドラスの地下に囚われていると教えてくれた。ロンドや一部の教会幹部が異を唱えたそうだけど、彼に唯一対抗できる私が目覚めないままなので、大陸を再び危機に晒さないための処遇として獄に繋がれたのだと言う。彼も、同意したと。
その中で彼は、静かに座っていた。ひと月かふた月は経っていると思うけれど、時間の経過をあまり感じさせない……いや、少しやつれたように見える。さすがに拷問などは受けていないみたいだけど、それでもどこかくたびれた姿に胸が痛む。
私が来たことは気配で気付いているだろうに、声をかければ「目を覚ましたか」とだけ返ってきた。そんな彼に、手を伸ばす。
「また、一緒に旅をしましょう? あなたが見る世界――時間の許す限り、私に教えてくれませんか」
「……そなたが拾った命だ。好きに使うがいい」
素っ気ない返事に笑いつつ、彼を牢から解き放った。私の後ろにいたエドラス兵の皆さんは警戒を強めていたけれど、結果としては何事もなく。そのままアラウネ女王に挨拶をして、彼を連れて街へと繰り出した。
「まずはごはんにしましょうか! サザントスさん、何が食べたいです? クラグスピアの名物レプタリオルの香草焼き…は、さすがに重いですかね」
なんてことを話しながら、もう一度大陸を廻る旅に出たのが半年前だ。
違和感を覚えたのは二ヶ月前。
指先や足の感覚が鈍く、動かしにくいことがあった。フロストランドにいたから寒さの所為かと気に留めなかったのだけれど、ウッドランドに行ってもそれは続き…少しして治まった。
その後も、体のどこかの調子が悪い状態が断続的に続き、『ああ、終わりが近いのか』と一人納得した。
さて、彼にどう話そうかなと考えている内に、あの事件が起きた。
ハイランド地方のとある街で遭遇した、少女連続誘拐事件。大きな盗賊団が裏で糸を引いていて、アジトの中には薬漬けにされた少女たちが溢れていた。幸い盗賊団自体は強くなく、おおよそ壊滅まで持っていけたのだけれど、少女たちを救出するのが難しかった。
戦闘中に私が毒を受けてしまい、彼に後を頼まざるを得なくなってしまったのだ。でも未だ薬に染まっていない子たちは男性を見るとひどく怯えてしまう状態だったから、彼には応援を呼びに行ってもらい、私は毒を緩和させつつ彼女たちをアジトの外まで連れていく役目を負った。
受けた毒が少女たちに使われた薬と近いものだったらしく、気分は変に高揚するくせに頭は酩酊し、何より体が熱く、勝手に命を燃やされているような感覚だった。
正直、この救出劇の間のことはよく覚えていない。薬師の娘だという子が傍で支えてくれ、おかげで何とか脱出できたのだ。
残党を散らしつつどうにか外まで辿り着き、彼が連れてきてくれた街の警備や聖火騎士、それに少女たちの家族が攫われた彼女たちを迎えるのを見て、張っていた気がふつりと切れた。
少女の一人が叫ぶのをどこか遠く聞きながら、私は意識を手放した。
そこから目を覚ますまでに一週間かかった。
毒は癒えた筈なのに、体にはどこにも異常が無い筈なのに、目を覚ますまでに一週間。
兆候は最初からあった。
オルステラに戻った私は深い眠りに落ちた。
そして今、薄くぼやける視界と感覚の消えた指先。
眠りが深かったのは疲労の所為もあるのだろうけれど、一番の原因は――魂の酷使。もはや体との結びつきを保てないほど魂が磨り減っているのだ。
自身の異常を落ち着いて受け入れている私に理由を問うた彼へそう返せば、「そのような話は聞いたことがない」と。
苦笑する他なかった。
「でしょうね。私はオルステラの生まれではありませんから。きっとこの大陸にいる人たちは、魂を使いすぎる、なんてことが無いんだと思います。だからあなたも今の私みたいになる心配は――」
「それはいい。それよりそなたの生まれた地では、皆そうやって自身の死の運命を受け入れるのか」
「どうでしょう? さすがに取り乱すんじゃないでしょうか。生まれつきではなく、歳月を重ねる内に体を動かせなくなるほど魂を酷使するなんて、聞いたことがありませんから」
「では何故そなたは倒れ、にもかかわらずそうして落ち着いていられるのだ」
「理不尽に時間を刈り取られたのではなく、自身の選択の結果だから…でしょうか。前にも話しましたが、私の目的は“あなたと生きてオルステラに戻ること”。そのために指輪の力を使い、代償として自分の命と魂のほとんどを差し出したんです。…全てが終わった後、あなたと話すだけの時間が残れば良かった。なのにここまで生きてこれた、ここまで生きていられるくらいの時間を、指輪が残してくれた。これ以上を望むことなんてできません」
「望めば良いだろう。そなたの生を望む者は多くいる」
「でもあなたはそうじゃない、でしょう?」
「…!」
「この半年、一緒に旅をする中であなたも変わってきたなぁと思います。困っている商人さんに手を差し伸べたり、泣いている子を心配したり、使命とは関係なく“誰か”を助けるようになってきた。…悪い人への追及は相変わらず激しめですが」
「世を乱さんとする邪悪に対し手を緩める理由はあるまい」
「理由があれば良い、なんてことは言いませんが、いつか“悪の理由”を聞くようになってくれたらなと思います。まあそれはさて置き。あなたは人間という種ではなく、誰かという個に心を傾けるようになりました。でもそれは誰かが喜ぶからであって、あなた自身の望みではない」
彼の場合、誰かが喜ぶから、誰かの救いとなるから、助ける。理由の根が他者にあるのだ。
私の場合は困ったり悲しんだりしている人を見るのがどうしても苦手で胸が痛むから、というのが理由だ。誰にも悲しんでほしくない、幸せであってほしい。だから助ける。自分本位な人助けなのだ。だから彼を責めることはできないし、そんなつもりもない。
「誰かが喜ぶなら、助かるなら、その手を差し伸べる。でも本人の意向を捻じ曲げてまで他者の願いを優先するようなことはしない。だから、私が自身の死を受け入れている以上、あなたが私の生を無理に望むこともない。それに、延命を願うほど私を気に入ってくれている、ということも無さそうですしね」
「そう評されると、酷い冷血漢と言われているような気分になるな」
「ちゃんと本人の意向を優先してくれる優しい人ですよ。その先で誰かが悲しむことになっても、それを受け入れる強さも……、っ」
「ミトス―! 大丈夫か」
目が回り倒れ込んだ私をすかさず助け起こし、ベッドに寝かせてくれた彼を冷たいなんて誰が言うだろう。
「さすがに話しすぎましたね…」
たぶん、無意識の内に急いているんだろう。いつまでこうして話せるか判らないから。
でもそれを告げるのは気が引けた。
「また明日来よう。しっかり体を――その魂を休めることだ」
「ふふ、ありがとうございます。また明日」
扉が閉じられ、気配が遠退くのを待って、完全に一人になったと実感した瞬間、胸に鈍く重い痛みが響いた。
「誰もが明日への希望を胸に、また明日と言える世界――。私は見られないんだろうな…」