【その魂の行く末を・3-3】
これは私が暮らしていた集落に伝わるお話。
昔々、この森に人の手が入らず、魔物と毛物とが多く潜んでいた頃。森の奥に神代から生きると伝わる竜が棲んでいました。
竜は己以外の生き物を遠ざけ、ひとり静かに暮らそうとしていました。
けれど…竜の持つ力を狙い、何人もの人間が森に分け入り挑むものだから、なかなか静かな生活を送れません。
業を煮やした竜は森に術を巡らせました。この静けさを破ろうとする者は永久に森を抜けられず、朽ち果てるという呪いを。
竜を倒すと意気込んだ勇者も、竜の持つ力や宝を狙った盗賊も、森に分け入っては皆等しく魔物に成り果てていったのです。
かくして森は静寂に満ち、踏み込む者がいなくなったことでいっそう深く生い茂っていきました。
竜は、日々彼方から届く鳥の声を聞き、降り注ぐ陽と月の光を浴び、泉の水を飲んだり果物を摘まんだり、気ままな生活を満喫していました。
しかしある日、竜が目を覚ますと眼前に己を覗き込む者がいたのです。
驚いた竜が咄嗟に火を吐くと、その者は叫びながら洞窟の出口へと逃げ――少ししてちらりと顔を覗かせました。
『何者だ、どうやって森を抜けてきた』
竜が問うと男は目を輝かせながら近付き、言いました。
「本当にいたんだな…! お伽噺だと思ってた!」
『何者かと問うている』
男は“ニール”と名乗り、伝説を確かめたかっただけだと告げました。
術が消えたことを懸念した竜でしたが、森には依然として呪いが濃く漂っています。
では何故お前は森を抜け、ここに辿り着けたのかと重ねて問い掛けても、ニールは「さぁ?」と首を傾げるばかり。
本人にも理由が判らないのであれば、竜に何かできる筈もありません。
『疾く去るが良い。然もなくば骨も残さず燃やし尽くしてやろう』
「わ、わかったって! だからそう怒んなよ! じゃあな!」
軽快に手を振って去っていくニールの背中が見えなくなるまで、竜はじっとその場を動きませんでした。耳も澄ませて本当にいなくなったのを確認してから、ようやく長々と息を吐き出して…もう一度眠りに就きました。
しかし、静寂は続きませんでした。
いつにない騒がしさに怒りのまま起き上がれば、ニールが何かを喚いていたのです。
『貴様、よくも――』
「良かった起きた! 三日も寝てたんだぞ!? お前ももしかして魂が残り少ないのか?!」
『……何を言っている?』
聞けばニールは竜が眠ったあとに戻ってきて、お詫びの品を置いて帰ろうとしたものの竜がうなされているのが気になり、傍にいたと言うのです。
「まあ翌朝にはうなされなくなってたし、大丈夫だろうとは思ったんだけどさ…。これで俺が帰ったあとにまたうなされたらと思うと、ちょっと心配で」
『…ああ。自分の棲み処に騒々しい異物がいたから寝つきが悪かったのだな』
「え。えっとー、それってもしかして…俺の所為?」
『他のものが原因に聞こえたのなら一度生まれ直してくるが良かろう』
「いやぁだって!! 心配にもなるだろ! 三日だぞ!? お前三日も寝て」
『我ら竜は人間と時の流れを異にする。三晩が何だ、うたた寝程度だろう』
「はーーーー!?」
『それと魂の残りがどうのと言っていたな。それは人間の理だ、竜は魂を磨り減らすことなど無い』
「はーーーーーーーーーーーーー!?!?」
『騒がしい黙れ。いや、疾く去れ』
「待って待って、魂が減らないってどういうこ……」
『去れ』
「~~~~~っああもうわかったよ! またな!」
また…?と竜が嫌な予感を覚えましたが、その予感は当たり、翌日にまたニールがやって来たのです。
それからもニールに起こされる、少し言葉を交わす、追い返す、という日々が続きました。森に術をもう一度かけ直しても何故かニールには効かず突破されてしまいます。
諦めた竜が渋々ニールの雑談に付き合うようになり、一週間が経った頃―
ニールが現れなくなりました。
ようやく訪れた静寂を堪能する竜ですが、何故か、少し物足りなさを覚えます。まあ明日には顔を見せるだろうと思うことにし、その日は再び丸くなりました。
けれど…それから二日が経ってもニールはやって来ません。妙な胸騒ぎを感じた竜は棲み処を出て、森の中を巡ってみました。
魔物を適度に蹴散らしつつ、毛物を威嚇で遠ざけつつ歩き、空からも気配を探ってみましたがニールは見付かりません。
そうして夜が近付くにつれ大きさを増していく胸騒ぎを宥めようと、泉に寄った時でした。
畔に、倒れているニールを見付けたのです。
『おい…!』
竜はニールの傍に降り立つと、少々雑に彼を仰向けにひっくり返しました。
呼吸はしているようで、特に怪我なども見当たりません。どうやらただ眠っているだけのようです。
胸騒ぎは安堵へ変わり……けれどそれもすぐに違和感へと転じました。
『何故目覚めぬ』
本当にただ眠っているだけならば、降り立った時の風圧で、あるいはひっくり返した時の衝撃で目覚めていてもおかしくありません。
『おい、起きろ。何日経ったと思っている。―――起きろ!!』
ついに竜が吼えてもニールは目を覚ましません。竜は怒りに任せ火を吹こうとしましたが、いつかニールが言った言葉が脳裏を過ります。
『…まさか』
竜がニールの気配を探ると…彼の体は目の前に横たわっているのに、“ニール”がどこにも感じられません。
ニールは、いつ動かなくなるとも知れない体で、竜に会いに来ていたのです。
魂を使い果たした人間は、器の消滅を以て完全な死を迎える。その理は竜も知っていました。
人間たちが、愛しい者を助けようと足掻く様を対岸の火事のように見ていたこともありました。消滅を免れようと、竜の力を狙ってきた人間を返り討ちにしたこともありました。その全てを、愚かだと呆れつつ――
けれど今、竜は己の角を折り、鱗を剥がし、それらを細かく砕いてニールに飲ませようとしています。愚かだと思ったかつての人間たちと同じ想いを抱きながら、竜は泉の水を掬い取りました。
竜の縄張りにあったことで人の手からも魔物からも守られていた泉は清く澄み、竜の細粉を見事な飲み薬に作り変えました。
それを飲ませて、どれくらい経ったでしょうか。一分、二分……いえ、実際にはほんの数秒だったかも知れません、不意にニールが激しく咳き込んだのです。
「っほ、げほっ!? んあっ、なんだこれ、にっが!!」
「ニール…!」
「ちょ、待って、ほんと待って、苦い。あと不味い。水飲ま――」
「好きなだけ飲めこの馬鹿者!!!」
「ぶっふぁ!?」
竜の命薬を飲んだニールは目を覚まし、何なら以前より元気に、騒がしくなりました。
それからニールと竜は親友になり、やがて洞窟を飛び出したふたりは、あらゆる世界を巡る旅に出たのです。
「だから森の奥にある洞窟の手入れを怠ってはいけないよ、いつかニールと竜が戻ってくるかも知れないからね――というお話です。語り部によって細部が異なるのですが、竜が自分の角と鱗から作った薬で青年を助ける流れは変わりません」
「……………。」
しばらく、誰も何も言わなかった。沈痛と言うよりはどこか呆然とした空気が漂っている。
「……何故、早く言わぬのだそなたは」
沈黙を破ったサザントスさんが心底呆れたという感情を隠しもせず呟く。たぶん額に手を当ててもいるんだろう。
「忘れてたんですよ。この話も洞窟の手入れを忘れないようにするためのおとぎ話として伝わってましたし」
「竜…竜ですか…、闘技場の深くにいるという竜では駄目でしょうか」
「えっ? どうだろう…オルステラの竜とこっちの竜が同じ存在か判らないからなぁ…。というかロンド、同じだとしたら闘技場に行くつもり?」
「それであなたを救えるのなら」
「物語の竜は神代から生きると伝わるほどのものだ、人に飼い馴らされた竜で同じ効力は見込めまい。神界にいるものなら或いは―」
「ま、待ってください。神界に竜いましたっけ? と言うかそもそも―」
「探せば一体くらい見付かるだろう。いなければ、…サンク・コシュマールの角や蹄が代わりになるか…?」
「サザントスさん、そもそもがおとぎ話なんですって…! それにそんな理由で神界に行くなんて聖火神が許してくれませんよ!」
「そなたを救うためならあの神も道を開く。それに今更私が神を畏れるとでも?」
「そこは畏れてください。あと本当に落ち着いてください…」
本当、どうしたと言うんだろう。私が寝てる間にいったい何が? 今にも神界に向かって行きそうな気配は気の所為だと思っていいの?
「ちょっと待ってくださいサザントスさん」
「ロンド…!」
さすがにロンドもサザントスさんの異常に気がついて――
「探すなら人手が多い方がいいです。僕も同行させてください」
「ロンドーー…!」
だめだ、誰かこの暴走師弟止めて! 助けてください教皇様、聖火神―…!
という心の叫びが届いたのか、リリィが小休憩を提案してくれた。お茶も冷めてしまったし、そろそろゲイルさんが来るだろうから診察もしたいということで。
ありがとうリリィ。目が見えていたら、力加減がわかっていたら、きっとあなたを抱きしめていた。お茶淹れ直してきますの声がとても楽しそうだったのがちょっと気になるけど。
何はともあれ、ひとまずその場は彼女の退室で落ち着いたのだった。
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