文久土佐とりあえず1周目クリアしました!ちょーそん先生の語る刀剣男士解釈を聴いて首がもげる勢いで頷いてる。刀剣乱舞くんの世界観の作り込みの丁寧さがやばいなって改めて。刀剣乱舞めちゃめちゃ楽しいな~!
※人外審神者さんのことも大好きですが、ここではあくまでゲーム公式の見せてきた「刀剣」「刀剣男士」「人間」「審神者」について話をしています!
※現実のプレイヤーが人間であることを前提とした話
「刀剣にまつわる逸話の収集は、重要事項だよ。忘れ去られれば、僕らは顕現できなくなる」
これよこれ。そうなのよね。
何度も言った話ではあるけど、刀剣男士は「付喪神」、つまり「神様」だから存在するのに信仰が必要になるんだよね。
でも「物」でもあるから、主となる信仰は「その刀剣に纏わる逸話」になる。
人々がどれだけその逸話を認知し、どう認識しているかでその刀剣の核が決まる。
だから我々人間である審神者が必要になるし、その審神者が刀剣についての逸話を収拾してしっかり記憶していくことが大切になるのだなと。
先生「元々僕達は、人間に使われる為の形態をしていた。だからそう、ちょっとした延長線上だ。刀の延長線上に人間がいる」
むつ「人間の腕の延長が刀じゃろう。おんし面白いこと言うのう」
先生「自分が人間でないことに、自覚的なだけだよ」
これ、「何故刀が人の形を取るのか?」を話しているのよね。凄い面白い。先生本当に刀目線で話をしてる。むっちゃんはむしろ人間目線で自分を見ている。
人間が使う為に刀はある、ならその奥にイメージされるのは紛れもなく人間。
柄の先に人間がいても刃先に人間がいても(斬った側でも斬られた側でも)、変わりなく「人間」のイメージがついてまわる。
「認識」によって核が作られるというなら、人間自身も刀剣自刃も「人間と刀剣は線で繋がる(起点がどちらであっても)」と認識している現状、刀剣男士が顕現するなら「人間の形」以外有り得ないわけだ。
でも刃先にいるのは人間ではない場合もある。その上でそれが事実でない場合もある。
・青江や獅子王、同田貫あたりは「斬った」という確固たる逸話のもと刃先の延長である幽霊や鵺や兜を付属させて顕現した。
・五虎退は「調子の良い話をつけられて…」と言ってたように、当刃としてはやってないと認識してるものの人間の認識が強すぎる為に虎と共に顕現できる。
・浦島虎徹は彫り物が浦島太郎かは分からないものの、やはり人間の認識が強すぎる為に亀と共に顕現できる。
ただやはりある程度刀の意思が反映されるのか、あまり快く思ってないものは一緒に顕現していない傾向にあるような。
(いや実際長谷部が棚と一緒に顕現なんてしたら笑ってしまうけれども)
そして源氏兄弟は様々なモノを斬っては名前が変わったものの、二振りが表したかったのは自分達が「源氏の重宝で二振一具」であるということだったからそちらが色濃く現れてる。
ちょっと稀有なのは鳴狐。ここは考察深めていきたいところ…
とまぁ、いやほんとすごい作り込みよねこれ。
昨今擬人化ブームでそれはもう色んな擬人化は見てきたけど、刀剣乱舞を擬人化と言われてしまうと「ウウンチョトチガウンデスヨネェ…」「ツクモガミナンデスヨネェ…」って思うじゃない。
思ってたわ。でも上手くその感じを説明できなかったわ。
ここにきて刀剣男士当刃から解説があるなんて思ってもみなかったというか、あの予告の意味はそういう話だったのかー!というか。
審神者に関しても「何でわざわざ審神者を用意して本丸を作るのか?」「政府が一気に戦力投じれば良くないか?」という疑問も出たことあったけど、審神者は本当に必要な存在だったんだなと。
言ってしまえば「その本丸の刀剣の所有者にして、逸話保証人兼信仰者」なんだわ。
歴史にどんなことがあっても、その本丸の審神者がしっかり認識していればその本丸の刀剣男士の存在は揺るがないものね。
(ここで。人外審神者であってもしっかり彼らを認識が出来ていれば何も問題は無いのかも、とも)
確かに世界観の作り込みがすごいな~とずっと思ってはいたけど、「何故人ならざるものが人の形を取ることが出来るのか」も懇切丁寧に作りこんでいたんだなと思うと脱帽すぎる。すごい。超絶楽しい……
実際各刀剣の認知度が上がって、現実でも色んな奇跡が起きて。
本当に私達は審神者なんだなって。
ところで。
逸話だけで顕現した今剣達や、贋作でも虎徹の名で顕現した長曽祢虎徹や、逸話なく顕現した薙刀達がちょーそん先生の目にどう映るのか、とても興味深い。是非じっくりと、お話をお聞かせ願いたい。