源氏供養が生まれた時代背景とか宗教観について
禺伝とはあまり直接関係はないけど源氏供養を理解する一助にはなると思うしせっかく調べたのでお裾分けします
禺伝のOPの歌詞が能『源氏供養』のキリ、EDがクセを一言一句そのまま引用してるのはすでにいろんな方が指摘しているところなので、歌詞の詳細と源氏供養そのものの解説はそちらを探して読んでいただくということで丸投げして、『源氏供養』という風習が生まれた背景をざっと調べてみました。
そもそも、嘘をついてはいけない不妄語戒(を含む五戒)を守ることは権謀術数渦巻く平安時代の宮中ではそれほど頓着されていませんでした。不邪淫戒も不飲酒戒も破りまくってますよね。戒を破ると地獄に堕ちることも一応知ってはいるけど一般的な平安貴族は世渡り出世のために騙し騙されはやむ無しと開き直っていたようで、そんな平安マインドで源氏供養の発想が自然と出てくる可能性は低い
源氏供養が流行ったのは平安末期、保元平治の乱や源平の内乱、天変地異で世が乱れ荘園制が崩壊し貴族から武士へ権力が移行していく頃です。
そういうグッチャグチャな世の中で人々は世の無常を嘆き、浄土信仰は深く真剣に受け入れられていきました。そして仏の教えであり在家信者が守るべき五戒もこれまでのようになあなあで無視できなくなります。
しかし貴族にとっての詩歌、物語はもはやアイデンティティと言っても過言ではない。なのに詩歌物語は不妄語戒に抵触する。信仰が深くなることによってこの矛盾に苦悩することになりました。
果てはあの素晴らしい源氏物語を書いた紫式部は地獄に堕ちたのだという言説まで出てくる。
信仰のためにアイデンティティを捨てるか、アイデンティティのために信仰を諦めるか
政治・経済の実権すら武家に奪われつつあるのに、死後の極楽浄土のために詩歌・物語といった文化まで手放してしまうのか?
もちろん貴族たちは極楽浄土と創作活動どちらも諦められないので、両立させるために必死に屁理屈をこねるわけです
そのこねこねしてできた屁理屈の成果物の一つが行為としての源氏供養であり、能の源氏供養。
法華経の方便品や涅槃経に、御仏だって例え話を使って説法したりするぜ!(超要約)って書いてあるし、嘘の物語や和歌を作るのはこの例え話みたいなもので人々を仏道に導くための方便として許されるのである!『白氏文集』にも狂言綺語、つまり作り話は人を悟りに導く機縁になるものだと書いてある!中国のレジェンド詩人白居易大先生もこうおっしゃってる!という理屈で仏の教えと創作活動との齟齬を乗り切りました。
源氏供養が流行った時代背景というか事情を説明するとざっとこんな感じ
源氏供養の説明だけだとなんて勝手な…理不尽な…と思うかもしれないですが、源氏供養が生まれた当時の貴族たちの盤石だったはずの足元が揺らいでいる不安と焦り、公家から武家への権力移行過渡期といった背景を知ればまた違った感想になるのではないでしょうか。
そういえば禺伝では和歌はセーフ、物語はアウトみたいなこと言われてましたけど、当然和歌もアウト判定です。なんなら音曲もアウトだし舞もアウト、猿楽(能楽)もアウト。狂言綺語判定ガバガバすぎんか?意味分からん
ここからは私の考えですが、源氏供養は創作を手放したくない人々が仏道と創作の矛盾をなんとかしようと足掻いた末にできたものの一つだと思ってて、紫式部と光源氏のためというより、宮廷文学のビッグネームであり象徴だった源氏物語と紫式部を供養することで、むしろすべての創作者・読者が救われるためのものなんだと思います。書いてもいいんだよ、読んでもいいんだよ、それは仏の道に悖るものではないよと。
源氏物語が槍玉に上がったのは身も蓋もないこと言うと強火ガチオタいっぱい抱えてる有名税みたいなもんだと思ってる。
だいたい、葬式に始まり供養っていうのは故人のためというより残された人のためにするものですよね
行為としての源氏供養もそう。物語に耽溺した自分を救うための行為。
無名の読者である男も紫式部のためといいながらその実、自分のために、自分が救われるためにやらかしたんじゃないだろうか。源氏物語を読んで心が救われた自分を肯定するための源氏供養なんじゃないか。だから禺伝の紫式部は巻き込み事故に遭ったようなもので…あの世界の生者が男しかいなかったのもそういうことかなぁ。
結局供養して真に救われるのは生者だけ、と思うのは私が現代に生きてて薄っぺらい信心しか持ち合わせてないからかな