維伝 鶴丸と小烏丸が話しているところについての考察メモ
ちょっと暗い
あの者って言ってる対象は、前半は山姥切国広で、後半は三日月宗近だと思われる。おそらく、カシ(瑕疵?仮死?)というのは山姥切のことで、
刀剣として歴史を守る役目よりも、三日月の救出を優先してしまった山姥切を、刀剣男士としてカシと判断した。ということだと思われる。
ここまでが会話に対する推察メモ。
以下はそう考えた理由。長くてちょっと暗いかも。
維伝は多分我々が観た慈伝からの直列ではなく、あの本丸の山姥切国広は、行方をくらませてもう長いのだと思う。
鶴丸が「まさか」「こんな形で」と言っているので、何事もなく無事に極への修行が進んではいないことは間違いないだろう。
その時点で、慈伝最後の「まんばから手紙が届いた」の直列と思うには違和感がある。
そして、陸奥守がエンディングで自分「は」刀だと不穏なBGMの中で言っており、陸奥守が龍馬と一騎討ちをする前に南海が「僕たちは刀だよ」と言い含めている。これは「刀」の範疇から逸れてしまった存在が、もう既にいるという示唆であると考える。
三日月はもう悲伝で刀解をされていることと、たとえループをしていようと、そもそも同じ時代に何度も出陣すること自体がループに似ていると思うので、刀の範疇からは外れていないと思う。
おそらく、ループする「目的」の方が問題で、歴史を守るためのループではなく、自分の願いのためのループをしてしまうことが、NG。なぜなら「道具」は「自分の願い」を持たないと定義されるだろうから。
(なので、三日月は主と共犯関係を結び、「主の願いを道具として遂行している」というギリギリラインの落とし所をつけているのでは?)
そのため、刀から外れたカシは山姥切国広のことを話していると推察する。
ただ、山姥切国広から直で堕ちてあの遡行軍のようになったのか、後悔の念が朧の志士のようにまたは鵺のようにああなったのかは判断できない。
が、悲伝後にドングリを貰っていない、遠足義伝を通っていないのが初回であるなら、山姥切国広の修行の手紙の内容的にも、色々な歴史を巡るうちに自分自身のことが見えなくなってしまうということもありえそう。
(そして、悲伝で結いの目に見せられたものは修行で巡った様々な時間軸ということではないかと思う。ゲームでも、色々なところに行ったというような内容の手紙なので。
その結いの目を見せているのが、物語をおくれマンの遡行軍打刀(まんばオルタ)なのかなと思った。だから結いの目に選ばれたのは山姥切国広だった。ただ、三日月との一騎討ちのことについてはまだよくわからないので、これは一旦おいておく)
そのため、維伝は、カシとなり刀剣から外れた山姥切国広と、時間軸に囚われてループを繰り返している三日月宗近の両方を、なんとかして救いたいと考えている鶴丸と小烏丸と主が暗躍している。
ただ、パンフ維伝の先が焼けて消えていること、助伝が載っていないこと、限りなくハッピーエンドに近そうに見えるドングリありの慈伝と繋がっていなさそうなこと、から考えてあの維伝軸はほぼ失敗ルートではないかという気がしてならない。
(また遡行軍打刀の姿の山姥切に、陸奥守が助けられてしまったため、この維伝が正史だった場合、ハッピーエンドに辿り着くためには必ず一度失敗して山姥切に後悔の念を産み出させなければならないことになってしまった。シュタゲのように「世界を騙せ」の何らかのギミックが必要になる)
しかし、南海が言っていたよう、正史ではない時間軸がその他の時間軸に影響を及ぼす(その逆も)を利用して、ほぼ失敗ルートと思われる維伝の鶴丸や小烏丸が何かを行うことで、他の時間軸が影響されて三日月救出ルートに進めるようになるのかなという気がした。