日替わりカクトラ診断短編SS㊼『みやびと『なご』と、夏にまた会いましょうということについて』
うちには、忘れたくなかったのに、忘れなくてはならないものがある。
この、高地という土地に。
差し込む日差しに、思わず目を細めた。「……暑っ」
まだフランスに行く前の話。たぶん、もう二度とある種の目的でここに来ることはないだろう、と思って、うちは高知まで墓参りに来ていた。むろん、まほさんの許可は得てある。
新幹線と電車とバスを乗り継いで、最後に歩いてやっとたどり着いた馴染みのお寺。お盆前なので、墓地に人気はない。いや、人気のある墓地なんてあったら困るか。中途半端に朽ちたお供えの花が、うちのココロをほんの少しだけささくれ立たせた。
「……あった」
その墓石には、『恋ヶ崎家之墓』と書かれていた。
なごちゃんが死んだ、とは毛頭思っていない。それは過去から現在、未来永劫に至るまで変わることはない。だけど、もしかしたら、と思うのが嫌で、なごちゃんが死んでいないという確認のために、かつてのうちはここに足繁く通ったのだった。
「汚れちょるね」
つう、と墓石の表面をなでて、ボソリと呟く。そんなことだろうと思って、用意はしてあった。
お墓を綺麗にして、ついでにご先祖様に挨拶して、よし、と思う。さて、目的は果たした。となればここにいる理由はもうない。……帰るか、と立ち上がる。
「……みや、もう帰りゆうがか?」
――その時、ふと、聞き慣れた声が、背後から聞こえてきた。
「……なごちゃ、」振り向いて、一瞬息が詰まって。うちは、唾を飲み込む。「……いや、『なご』。こうして会うのは、久しぶりやね」
「やね。ひさに見えんかったき、心配しとったよ」
その少女――着物を着て長い黒髪の、年端もいかない少女――『なご』は、不機嫌そうに、それでいて少し嬉しそうに言った。
「すまん。色々と事情があって」
「じじょー?」
「ほら、トライナリー」
「ああ、前に話しよったあれ?」と『なご』はなにか思い出すように空を見上げ、顎に人差し指を当てる。「みやも大変やね」
「まあ、それも一段落したき、こうして挨拶にきたっちゅうわけや」
「それはそれは、ご丁寧にどうもー」
ぺこりと頭をさげる『なご』。一挙手一投足すら記憶と違わなくて、それがなにぶん痛かった。
墓所にある休憩用のベンチに座って、二人で話す。先述のように人気はない。だから、気兼ねなく話せる。
『なご』とは、しばらく会わなかった時間を埋め合わせるように、色々なことを話した。学校のこと。三戸浜の家のこと。劇場のこと。トライナリーのこと。千羽鶴ちゃんのこと。
そして、相棒のこと。
「ふぅん」と『なご』はちょっと子供っぽく下唇を突き出した。「みやにもついに理解者が現れよったか。ほんなら、うちはもう用無しってわけがか?」
「いや、そうでなくて……」
「洋梨コンポートってわけがか?」
「……『なご』、何て?」
「ラ・フランス?」
「……そういうとこ、なごちゃんには似てないね」
「そういうふうにしたんやろ?」
「…………」
うちは、思わず下を向いて閉口した。ざぁ、と風が木を揺らして、遠巻きに雑木林がざわめく。『なご』がベンチからふわりと立って、うちの前に立った。
「うちは、おまんのイマジナリーフレンド」
そして、言い放った。「本物の七五三を失った悲しみを埋め合わせするためだけの存在。想い出に取り憑く幽霊。やき、うちの代替が見つかったらもううちは丸めてゴミ箱にポイって、そういうことやろ? 違うがか?」
「……いや、違う」
「なにが違うがよ」
何が違うのか、うちにも正直分かっていなかった。『なご』が言ったことはすべて事実で、うちにとってココロを深く抉った瑕疵でもある。でも、ここでなにか言わなければ、本物のなごちゃんなんて見つけられないような気がして。
だから、意気込む。顔を上げて。
「『なご』。貴女はもう自由や」
「…………」
「知っとるか? フェノメノンは、外と内の差が少なければ、繭が発生しないもんなんよ」
「……それがどういた?」不機嫌そうに『なご』が言う。
「なごは、うちのセルフクランの名前。でも、つばめちゃんにとっての千羽鶴ちゃんと、司書の百鶴ちゃんみたいに――セルフクランにも似た人格が、ココロの中には存在する。つまり」すう、と息を吸う。「貴女は、うちの消極的葛藤によって生み出されたフェノメノンによって生み出されたクラン。うちの中のなごに近くて、遠い存在。そして、フェノメノンが展開されゆうは、この墓地の近辺」
「……ほう」
ふわり、と『なご』がまたうちの隣に座る。それから、名探偵、とでも言いたげに、ぱちぱち拍手した。「よう分かったね」
「気になったことは、骨の髄まで調べるたちやからね、うちは。知っとろう?」
「他でもない、うちのことやからね」ふん、と不機嫌そうな『なご』。「うちを壊さんの?」
「壊さんよ。うちかて、まだ死にとうないし。それに」とうちは言う。ふ、と少し笑って、「友達に会えなくなるんは、悲しいからね」
「友達、か」『なご』が少し寂しげに呟いた。「妹とはもうゆわんの?」
「うむ。うちの妹は七五三だけ。なごも『なご』も、うちにとってはうちやから」
「……まぁ。せいぜいうちを壊さんかったことを、後悔しないようにな」
「……うん」
「みや」
「何?」
「もうすぐ夏やよ。墓参り、また来てな」
「うむ。次がいつになるかはわからんけんど、本物のなごちゃんも連れてくるき、期待しとってね」
「あんまり期待せんと待っとるわ。ずっと、ここで」
「そか。……またな」
「うん、また」
うちはベンチから立ち上がった。後ろ手に手を振りながら、『なご』に別れを告げる。
そして、遠くまで歩いていく。墓所を出て、寺の門をくぐって、長い石畳の階段を折りていく。
振り返ると、階段の上に、『なご』が見えた。陽炎に歪んだその姿は、うちがずっと追い求めていた少女の姿にも似て。
それが、歪んで消えた。「さようなら」
「ちゅうわけでほれつばめちゃん、高知土産のラ・フランス。しばらく熟成させてから食べてな」
東京に帰ってきて早々、うちは劇場を訪れて、つばめちゃんにお土産を渡した。
「ありがとうございます! ……えっと、高知の特産なんですか?」
「いんや。目に入ったから買ってきただけぞね。同じ柑橘やったら文旦のほうが圧倒的に特産ぞね。なんと驚くなかれ、シェア占有率九〇パー超え!」
「わあすごい!」
つばめちゃんと二人できゃいきゃい騒ぐ。すると、その騒ぎを聞きつけたのか、アーヤがぬっと顔を出した。
「あらみやび。今日シフトないけど?」
「たまには顔出すだけゆうのも、悪くない思うてな。アーヤもラ・フランスいるが?」
「いらないわ」
とアーヤにべもない。何だつまらん、と唇を尖らせていると、「ちょっとこっち」と引っ張られる。何ぞ何ぞ。「……みやび、大丈夫?」
「何が?」
「ちょっと無理してるみたいに見えたから」
「…………」
バレちょったか、と思った。さすがはアーヤとでも言っておこう。
「高知で、何かあったの?」
とアーヤが重々しい様子で質問してくる。うちとしては、まさか本当のことをありのまま伝えるわけにもいかず、また、それは彼女に失礼なような気がしてあまり気が進まず――ためらいがちに、口を開く。「まあ、昔の友達に別れを告げてきたゆうか……」
「えっ!?」
「まあ、詳しくは後で話すぞね」
たぶん、ココロの中で踏ん切りがつけられたら。いつになるかは、わからんけんど。
窓から外を見ると、日差しが視界に差し込んだ。それは、あの日みたそれに、彼女が溶けていったそれに似ている。
遠巻きに蝉の声。みんみんぜみ、あぶらぜみ、つくつくぼうし。もうすぐ本格的な夏が始まるな、と思った。