映画刀剣乱舞、本日二回見て思ったのが、特撮好きで小林靖子好きなら刀剣乱舞は設定をふんわり知ってれば未プレイでも楽しめるってこと。そしてさすが小林靖子と思ったのが
平成が終わるという大きな節目である今年に、「代替わり」という
テーマをぶっこんできたこと。時代が変わることによって起きるであろう危機に際し、できることは例え人でも神でも大きく変わらないということ。
この映画では「代替わり」が2通りの形で描かれている。
信長から秀吉へ。
前審神者から新審神者へ。
取り巻くのは人と歴史と神様と。
ああ、もっとちゃんと噛み砕きたい。ここらへん。
私たちにも、映画を通してなんかすっっごいことを訴えられた気がしてる。具体的に言葉に上手くできないのだけれども。
「女性をどうしても入れたかった」というパンフレットの靖子にゃんの言葉を大きな意味として受け止める。
あのラストの女の子を思うと私は結構、悲壮感もあった。無邪気で愛くるしいからこそ。
過去から未来へ繋ぐものが、幼子であったこと、女の子であったこと、これはとても大事な変化ではないかと感じた。
(1.19以下追記)
↑翌日に3回目おかわりしてきて少しだけまとまった感想。
「刀剣乱舞」という世界の深さや広さっていうのを「代替わり」という私たちが今年身を以て体験する歴史の節目に引っ掛けて、さらに感じられる映画だったと思う。
「映画刀剣乱舞」は、「どこかの本丸」の話であり、つまりは私たちも「審神者」であり、あなたたちと「繋がった」世界軸の一つなんだよって言われたような気がした。
その上で、歴史というものは過去のものだけれはない、「歴史は人」と三日月が言ったのは、私たちもまた歴史であるということ。私たちが生きていくことがすなわち三日月宗近が守りたいものであるという、私たちの未来でもあるということを感じられるメッセージがあった。
これは、もともとオンラインゲームが原作で、様々なメディアミックスをしてきた「刀剣乱舞」だからこその奥深さというか。
2次元が2.5次元へ、2.5次元が実写映画へ。美術館へ実際に行ってみたり、私たちは原作(2次元的)だけとは違う関わり方を、「刀剣乱舞」という作品を通してすでに行ってきた。
虚構と現実と過去と未来が混ざり合い、平面的なものが多角的になり、さらには過去も未来も巻き込んでいく。そういうダイナミズムを感じられる作品だった。
(追記終わり)