刀剣乱舞ミリしらの源氏物語オタクが見た「舞台刀剣乱舞 禺伝 矛盾源氏物語」感想②
源氏物語オタクから見た本舞台のスゲ〜〜〜ポイント。主に神話と歴史と物語の関係性と和歌と物語の関係性について。
〈3 源氏物語オタクからみた本舞台のスゲ~~~ポイント〉
※源氏物語オタクと申し上げましたが、正確には平安王朝物語史を専門にしていた者です。
※本感想では一部政治的に複雑な問題に触れますが、書いている人に特定の政治思想を発信する意図はありません。書き方の問題でそう受け取られてしまったらごめんなさい。
※長い。
①「神話が歴史になるのなら、この物語が歴史になってもいいじゃないか!」
いきなりこんなクソデカ感情を浴びせられてビックリしました。要は物語を現実に存在した事実として現実の根本に据えるということですよね。刀剣乱舞っていつもこんなヤバいことやっているんですか?とんでもねえな……。
「物語」の語源は「モノ(人間に理解できないものを)語る」なので、物語の発生自体が神話性を帯びているんですけど、それを越えて光源氏を現実の存在まで推し進めようということか。「骨を埋めて」それが後代に残ることによって紫式部の書いた「虚構」を「罪ある嘘」から脱却させようと。なるほどね、いやとんでもねえな……。
これから申し上げることに政治的な意図はありませんので、そこだけご承知おきください。了承いただけない場合、ブラウザバックしてください。源氏物語は非常に危うい問題を孕んでおり、その点を語ることによって政治的な思想を煽っていると勘違いされたくないからです。
大丈夫ですかね。お願いしますね。
源氏物語が「現実」になったら結構大変です。源氏物語は、日本が良い意味でも悪い意味でも背負ってきた神代から続く「皇統」を犯す話だからです。
光源氏は最大の思慕の対象であった義理の母であり、父桐壺帝の中宮であった藤壺と密通し、子どもが生まれます。そこでは光源氏の子というのは絶対の秘密となり、桐壺帝との子として育てられ、やがて冷泉帝となる。本来帝というのは帝の血を引くものです。光源氏は臣籍降下して「源」の姓になっているので、臣下の子が帝になったとバレたら?それはもう国を揺るがす大事件です。
現実世界でも后が臣下の男と密通し、それが露顕した際に男も女も罰せられた例があります。特に帝(天皇)というものは政治的に国民を扇動する装置的な働きをした時代も少なくありません。源氏物語は虚構であってさえ、そうした“国”を揺るがす存在として発禁処分や取り締まりを受けた物語なのです。
そんな光源氏が現実に「存在」する、とわかったら?それが発覚した暁には神代から現代に至るまでの歴史に光源氏という男が刻まれるだけではなく、神代から現代に至るまでの日本という国の象徴のあり方そのものが毀損されてしまう。
この手の話題は言葉選びが難しいですね。ご不快な思いをさせてしまったら申し訳ありません。昨今の様々な政情を鑑みるに、この問題が現実に起こったら本当に大変だろうなと思います。おい時間遡行軍責任取れんのか???
②「和歌では、心や景色のほんの一部しか切りとれず、そうではなく心そのものを渡すことができたらどれだけ良かったか」「和歌ではない、和歌から溢れてしまうほどの、”物語”を!」
アッアッアッ!感情にクリティカルヒットする音がしました!
まさか刀剣乱舞の舞台でこの言葉を聞くことができるなんで思いもしませんでした。この脚本書いている方相当勉強されているんじゃないですか?本当にありがとうございます。平安の物語は和歌と切っても切り離せぬ存在なのですが、なんか福音みたいな作品になっちゃったな……。
和歌は31文字という特殊な表現形式で、主に自然と心情を重ね合わせることで自らの思いを美しく伝えることに特化した伝達様式です。でも所詮は31文字。やっぱりそこに収まりきらないものは多かった。その収まりきらなかったものが和歌における「詞書(ことばがき)」として機能し、その詞書が物語のように長めに書かれたものが伊勢物語をはじめとする「歌物語」です。
歌物語は言葉通り「和歌」が中心。「詞書(≒物語)」はその説明的な関係性でした。しかし、その後成立した源氏物語は、「物語」が中心。そしてそこに描かれた思いの結晶としての「和歌」の関係性でした。まさしく「和歌ではない、和歌から溢れてしまうほどの、”物語”を!」なのです。
この紫式部の台詞を聞いたときに思わず画面を止めました。源氏物語の文学史的な内容をここまで正鵠を射てしかも情緒的に表せるんだ!?これが令和のボーナスタイムか……。
源氏物語は「嘘」である。という内容を聞いていて思い出したことがあります。源氏物語の和歌の話をしますね。みなさんは和歌には「実詠」と「題詠」の二種類の和歌があることを知っていますか?
「実詠」は目の前にある現実を歌に詠むこと。「題詠」はお題に合わせて歌を詠むことです。要は「こんな時、どう歌を詠む?」ってことですね。
例えば百人一首の式子内親王の「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする(命よ、絶えるならば絶えてしまえ、この恋心を耐え忍ぶことがつらくなってしまうから)」という歌は「忍恋」という題で詠まれた題詠です。
時代の流行的には実詠→題詠でした。そりゃ自分の気持ちをそのまま歌にする方がやりやすいので、源氏物語が成立する平安中期ごろまでは実詠が和歌の主流だったのです。逆に題詠はお題に沿ってぴったりの和歌を詠まなくてはいけないので、少々レベルが高かった。
紫式部は、実詠中心で題詠の詠み方も一般的でなかった時代に登場人物一人ひとりの境遇(≒題)に合わせた和歌を詠みました。つまり一人で題詠を800首弱作ったのです。いやどういうことよ、おかしいやろ。私は源氏物語を研究してまだまだ若輩者ですが、老練の研究者もこれには動揺しています。現代でもビックリなので、源氏物語成立当時それはそれは大きな影響力を発揮しました。
「題詠」は「実詠」とは異なり、実際に起こったことではない「虚構」の歌です。そしてその隆盛に果たした源氏物語の功績は非常に大きいと思います。
鎌倉時代に「六百番歌合」と呼ばれる歌合がありました。歌合というのは紅白歌合戦みたいに左右で分かれて歌を競い合うものです(というか紅白が歌合から名前取ってる)。一つの歌に対して左右から一首ずつ提出し、勝敗が決められます。毎回「判詞(はんじ)」と呼ばれる評価がつくのですがそこで藤原俊成というメチャスゴ男性審査員が「源氏見ざる歌詠みは遺恨のことなり」と言いました。
ちなみに歌合は天皇すら主催することのあるものであり、男性も歌の積極的な詠み手でした。
紫式部は「男ではないことを嘆かれた自分に想像する自由を与えてくれた」と言っていました。彼女の幼少期の話は実際に紫式部日記にも書かれている実話です。その紫式部が男にも届く物語を書くことができたということ。それはあの時代において普遍的な価値を持つものであり、紫式部自身が学んできたことが実を結んだということです。
そして虚構の源氏物語がその後の虚構の和歌の文化隆盛の大きな礎となります。源氏物語が嘘になってしまうのが悲しいと言ったそこのキミ!!!源氏物語は嘘だからこそこんなに人の心を動かしたんだよ!!
長い!ここまでお読みいただきありがとうございました。感想③として「源氏物語オタクから見たここがもっと見たかったよポイント」もありますのでよければどうぞ!