つついて一番最初の「それなら良い」で息が止まって鍛刀台詞で視界が霞んで近侍曲がサビに来た瞬間ぼろぼろ泣いてしまった 本当に泣いてしまったので恥ずかしくなっている
取り繕うでも偽るでもなく本心の「それなら良い」だから泣きたくなってしまった
言っていることが悲しげだろうが喜びだろうがその感情にぼかすことも滲ませることもしない澄んだ声で言ってくれるから、自分が従うための自分の意志に迷う必要も無くなっていて 彼はいま自分の感情の正体に視界良好なんだと思えて
一期が自分の中の枷をはっきり「欠落」と呼んだ瞬間から彼は修行の過程としてその欠落を乗り越えるでも否定するでもなくそれまでの己ごと受け入れて、役目(欠落というものに自分自身で意味=役割を与えられた事、が一期の修行だったと解釈してる)を果たして消えるべくして消える時までそれと一緒に生きていくことにした、それをあるじに伝えてくれた、私が手紙で天を仰いだのは一番にそこだったんだよ
鍛刀台詞で決壊したのは、修行先でみてきたものは豊臣の興亡そのものだけではなくて秀吉を、その家族をみてきたんだろう(血にまみれた事実もあり必ずしも綺麗な姿ばかりではないけれど)、あるじにとっての四日間それだけの年月を見守ったんだろうとぼんやり思ったから
悲剣の修行、欠落の意味をどう自分の中に落とし込むかだと思うようになった そこに彼らの本望があると信じたい
悲剣に対して本望という言葉、ずっっっと火に還ることの意味で使ってきたからここにきてアップデートされつつある…………かもしれない
余談だけど私は鯰の修行が実装されるのが本当にあのタイミングで良かったのか疑問だし(一切手紙の内容も極台詞回し知らない)、今この形にすると決めたことがうちの本丸にとっての正解であって欲しいからやっぱり確かめに行かないといけない