金カム253話感想。暗き産道を行く者たち。
札幌ビール工場における網走編の再演舞台に更に「谷垣狩り」編が重なる混戦模様引き続き。その中で、”勇作の影”の存在を意識し始める尾形と、海賊房太郎に”望む未来の形”を問われたアシㇼパが、それぞれに”引き出される”ものに抵抗し、危機と再生の狭間を歩み始める姿が描かれる。酔っぱらってる場合じゃないぞ杉元佐一。
土方組は都丹組と合流。第七師団乱入による闘争に巻き込まれるのを避けつつ、一度 逃してしまったジャック・ザ・リッパー(網走ののっぺらぼうの位置)を再び追う。
一方の杉元組はそれぞれがバラバラに引き離されている状況なのも、やはり網走再演の佳境である。杉元はなかなか第七師団とのグダグダの戦闘から抜けだせず、白石は行方が分からず、一方アシㇼパは網走編でのインカラマッの位置に居る菊田のそばで父の謎の核心に関わる対話を続けている(というか、なかなか離してもらえない)。尾形がはした金で物乞いかなにかのおっさんに、宇佐美が牛山と取っ組み合った際に落とした銃を拾いにいかせ、おっさんがヘッショされた直後の弾丸装填中にその場に飛び込み、三八をかっさらって逃げ建物に飛び込む姿は、撃たれた杉元を助けに行って右腕を撃たれながらも弾丸装填の隙に彼を助け出し、銃弾の届かない建物の陰に身を隠した谷垣の姿を思い出す(ここは谷垣狩りにおいて囮で二階堂を引っ掛けたのも重なってるのか)。こういう展開を見ると、この網走編再演も後半戦に入ってきたなと感じる。
宇佐美はアシリパを取り押さえるというよりは、先に弓を取り上げようとしているように見えるが、あれだけ宇佐美の事を怖がっていた門倉が、自ら宇佐美に向かってタックルをかまし菊田の追跡を妨害する姿、本当の危機に面してクソ度胸を示すタイプなのが関谷編以来の格好良さだ。凶運の男は大凶の状況にこそ強い!?しかし門倉が女物の着物を引っ掛けたままなせいか、さっき門倉を男娼扱いした宇佐美が門倉を「アバズレ」と罵倒するの、その感性は何なのでしょうね。
かつて登別編で、互いに並外れた探索・追跡能力を発揮ししのぎを削り合った都丹と有古が、共闘して暗く見通しのきかない夜の工場内でジャックを追う姿がそれぞれに本領発揮という感じで久々に格好いい。そしてその中に身をひそめるジャックが見つけてしまったアシリパに、いったい何を仕掛けるのか。次号もハラハラだよ!
〇”産まれる形”の行方
一方尾形の物語は、網走編の要素も演じつつも”谷垣狩り”の再演の要素が色濃く出ている。前回物見櫓の上で危うく撃たれかけた尾形がなお天才狙撃手の銃口に狙われる中、銃弾が飛んできた櫓の入り口方向から反対側の壁を破って脱出、その際に狭い通り道をくぐって行くのも、使えなくなった銃を捨て置いて行くのも、谷垣狩りで谷垣がフチのチセから脱出した行動をなぞっている。(前回の銃撃を受けた三八は、中に残った弾丸は使えるのかと思ったが、撃針を壊されたために全く撃てない状態になったらしい。)恐らくは狭い階段かはしごから成っているであろう真っ暗な通路を下り、板壁を自ら破って出ていくのは、ある種産道の暗喩であり、188話で右目と三八を喪って以降”黄泉入り”していた状況を脱して行く姿であるが、その陣痛となった”勇作の気配”について、自らを『助けたもの』なのか『邪魔するもの』なのかを測りかね、苛立ちをこめて”悪霊”と呼ぶ姿、そして使える銃を手に入れるために、哀れな浮浪者らしき男を小銭で釣って容赦なく殺される身代わりにする様子は、谷垣の『勃起!』宣言のような”産声”にはいささか間がある印象を与えてくる。意識明朗な状況で自分の周りに現れ始めた”勇作”を前に、尾形がどのような”生まれる形”を示してくるのか、次回以降の展開がとても気になる。
〇父の示す道は
杉元と第七師団達の泥酔コントもあってやや呑気な印象のある今回だが、アシㇼパと菊田の駆け引きは緊迫の度を上げている。房太郎が支笏湖の湖底の丸木舟から見つけたのと同じ金貨について語り出した事で、彼らがアイヌたちを殺したのかどうかについてはやや確度が下がった感があるが、それを材料に駆け引きをしてくる菊田の誘いを、アシㇼパは「アチャの汚名返上より託されたアイヌの未来を優先する」と言って拒絶する。菊田の「金塊を放棄しなければ、お前の周りの人間はみんな殺される」という婉曲な脅しは、自分をその主体と言わない卑怯さと見る事も出来るが、菊田のこの言葉は”鶴見中尉の命令方針”というよりも、その所属に隠している”中央の手先”としての、幾分か憂いの籠った云いである気がする。彼が有古に「土方と鶴見どちらについても破滅しかねえ」と言って自分に付かせようとしたその背景を考えると、金塊を獲得して国家に逆らっていくならば、アシㇼパの祖母や親類たち、同調するアイヌたちもまた国家権力が制圧する対象になっていくのだという認識が、菊田の中にあるように思う。鶴見にも中央にも忠誠心を抱ききれぬまま、状況に合わせて自らを装い世を渡っていく菊田の姿は、ある意味一番のコウモリ野郎かもしれない。
そんな菊田の「周りの人間たち」という言葉を、アシㇼパがどう解釈したかはわからない。共に金塊争奪戦に参加している仲間というなら杉元や白石の事で、鶴見配下にはすでに何度も殺されかけて、共に戦って生き延びている。菊田の誘いをきっぱりと拒絶するアシㇼパの姿は、父の遺志こそを継がんとする立派な自立した姿にも見えるが、杉元が懸念した”ウイルクやキロランケが己の死をもって強烈に指し示したもの”に、いささか過剰適応になってきている感がないでもない。きわめて強力なバックボーンのある菊田を前にして少数民族の少女が自らの意思を示していくには、これぐらい毅然としていかなければとても対抗できないという部分もあるだろうが。
菊田の脅しに反駁しながらアシリパが思い浮かべた二人の後ろ姿は、おそらくは”過去”ではない。金塊が見つかれば杉元は”惚れた女”の元にいずれ去っていくが故に、父を遺志を引き継ぎたい自分自身のためにも封印しなければならない、”現状のまま金塊を見つけることなく、杉元と一緒に光の満ちる森をどこまでも旅していく未来の姿”であろうかと思う。かつて杉元の危機の際(辺見に襲われかかる)ですら削り落としていた即死の毒を、後を追おうとする菊田に向けて躊躇なく放っているアシㇼパの様子は、”杉元の身の安全とアイヌの未来のために戦っていく覚悟”にとどまらず、杉元と共に歩む今世の未来を封じていく反動として”杉元と未来永劫共に歩めるなら地獄に落ちてもいい”という危うい心の動きとなって現れだしているのではないか。
このアシㇼパの変化は、いずれ杉元の方に”地獄行き特等席”の自己認識の変更を迫るものに繋がっていく気がするが、杉元の様子を見るに彼の側にまだそこに至れるだけの思索と認識の熟成が生まれていないため、今しばらくは緩やかな形で進行していく事になる気がする。当分はハラハラしながら見守る他はなさそうだ。
そしてそんなアシㇼパに、「アシㇼパちゃんの想う未来に杉元佐一はいるの?」としつこく問い掛け、《そうやって押し隠してないでちゃんと考えよ》と促してきた、海賊房太郎の姿が前回今回と見つからない。有古たちと共に土方に合流しても良さげだったが、独自勢力色が強いうえに網走編には登場していない彼の位置は、この局面において未だ固定し比し得るものがなく、どのような動きを見せるか見定めがつかない。アシㇼパの魂が次第に危機を迎える中、彼がどのような役割を示してくるかが見ものである。
「再生の物語」も、難産を伴うとなればそれは生命や魂の危機と隣り合わせである。主人公3人組と尾形はこれまでの描写から相当な難産になる事が予想され、読者のメンタルも削ってくると思われるので覚悟してかかりたい。
おまけ箇条書き。
・網走のリベンジで杉元を義足の仕込み銃で撃とうとしても姿勢を支えられず、暴発で一回転してしまう二階堂が哀れ可愛い。杉元に置いて行かれて後ろに小さく描かれているのも可愛い。
・「機会はそうそう巡ってくるもんじゃねえぜ」、谷垣に(双眼鏡がなければ即死だった)の一発を決められ、杉元を仕留め損なわせられ、その反省からか国境で雪中で命を削る案山子化けで一撃勝利した尾形の自負が見えるな。
・毒矢を射かけて逃げるアシㇼパを「小賢しい娘」と呼ぶ菊田、”自分は権力がバックについてる強者側”の自己認識で、大泊でのことがあったにもかかわらずアシㇼパをなめてかかってる感があるのをきちんと描いて来るnd神の細やかさ。
・「なんで俺ばっかり追いかけるんだ!」とぼやきつつ逃げる門倉、ごもっとも。そして門倉追いかけモードの時はいまだに敬語で門倉部長呼びの宇佐美の妙な律義さが可笑しい。