リメンバー・ミーって、ミゲルのおばあちゃんのエレナが一番母親に言いたかった言葉なんじゃないか
※映画ネタバレあり
※以下、映画ネタバレあり
※吹替え版1回視聴後の感想なので、記憶違いあったらごめん
リメンバー・ミー面白かったですね!
いろんな所で評判になってるのは知ってましたが、あれは観れて良かったです。どのキャラクターも好きでしたが、特にエレナ・リヴェラのラストに涙が止まりませんでした。
というと、一緒に映画をみた家族に「なんでミゲルのギター叩き割ったあのクソババアに?」と言われたので、私的な映画感想を載せてみました。
映画冒頭、「僕は呪われている」というミゲルの独白から始まる。
ここで言われてる呪いは
・家族の鉄の掟「音楽禁止」
その後はその掟破りと死者の私物を窃盗して追加された、
・家族の赦しを日ので前に貰わないと、そのまま死者になる
この2つ。
ただミゲルが何故「音楽禁止」を強く「呪われてる」と思い至ったのか?
勿論、ミゲルが音楽好きだからというのが第一。
作品の舞台はメキシコ。有名なセレナータという習慣は、男性が夜にバンド引き連れて(または一人で)好きな女性の家に行き、窓の下で、愛の歌を高らかに歌い上げて告白やプロポーズする。日本なら間違いなく苦情案件、それが許されるほど歌が身近な国だ。
「歌う」というコミュニケーション方法が禁止されるミゲル少年の一族、リヴェラ家。原因は、ミゲルの曾々祖母イメルダが、音楽での大成を夢見た音楽家の夫に出ていかれたことにある。以降イメルダは夫を思い出す音楽の一切を切り離し、一人娘ココを育てるために製靴業に着いた。当たり前だが夫の仕打ちを激怒したイメルダは、子孫に製靴家業と共に音楽を聴くことも奏でることも禁止する、という厳命を継がせる。そもそもメキシコは日本より家族意識が強いし、愛に関しても情熱的。その最もたる家族愛を捨てたら、こんな事態になるのも無理ないのかもしれない。
音楽に溢れる国で脈々と音楽を拒絶し続ける様は、確かに呪いのようだ。が。作中で明確に「音楽は呪いだ」と言っている人物がいる。それがミゲルの祖母エレナだ(※注、吹替え版の台詞。記憶違いならゴメン
エレナは大家族をまとめており、リヴェラ家のほぼ家長。気性が荒めで、初対面のギター引き殴るわ、野良犬(ダンテ)にサンダルを投げつけるわなど、観る人に「ヤベェババアが出た」と思わせる女性だ。作中でエレナのシーンはとても多く、キーパーソンなんだとはすぐ分かる。
映画序盤で他家族がミゲルに「音楽をやるな」という理由に「ママ・エレナに怒られるから」といったことを挙げている。勿論家族を捨てた曾々祖父の在り方に似てほしくない、というのはあるが、作中でエレナが厳守しているからするな感は少なからず描写されてる。
というのも、エレナの息子でありミゲルの父エンリケだが、映画クライマックスで怒りを露にするエレナを制止している。音楽というものにどんな思いがあるかわからないが、息子ミゲルの様子を見て考える余地があると判断できている点で、音楽をそこまで嫌悪していないのでは、と思えた。
国柄的に一族の鉄の掟は絶対だろうが、何分町には音楽が溢れてるし、一族の外から婿やら嫁やら娶るのだ、音楽禁止令の効力はイメルダが亡くなった時点で弱くなりそうなもの。変わらぬ鉄の拘束力はエレナによって保たれている節がある。
そのエレナが「音楽が呪いだ」と言ったのは何故なんだろう。
エレナが音楽禁止を強く主張する要因としては、やはりイメルダの影響が強そう。イメルダは「ミゲルが生まれるずっと前には亡くなってる」とミゲル自身も言っているが、エレナはイメルダに直接祖父の家族への裏切りを教え説かれているわけだ。
リヴェラ家の製靴業は観て分かるように家族経営。おそらくだが、若者の方が年長者よりも稼ぐために仕事量は多いだろう。年老いたイメルダが、娘の子どもの面倒を引き受けていたことは想像に難くない。
補足だが、エレナは家族愛深い女性として表現されている。ミゲルが広場でギター引きと話している時「うちの天使のような孫に何を吹き込んでいるんだ!?(意訳)」と割込みする。またここまで一切触れなかったが、ご存命のイメルダの娘でありエレナの母ココが痴呆で自分のことを忘れていても、優しい言葉を母親にかけて抱き締めている。愛する自分の母を捨て、祖母イメルダが物心着いた時からずっと悪く言う、顔も知らない祖父の印象は最悪もいいところか。
勿論、祖父ヘクターはそんなに悪い男ではないわけだが。家に帰ろうとしてたんだし。
ここで次の重要人物になるのがミゲルの曾祖母ココ。
ココは痴呆で自分の娘エレナに向かい「(あなたは)誰?」と言う。ミゲルも別の家族と見分けがつかず、名前を間違う。だが、ただ唯一、自分と母親を捨てたはずの父を「パパが帰ってきたの?」と待ちわびて家族に訊ねるのだ。ココは父を忘れないほど、強く想っていることが伺える。
そんなココだが、ミゲルは名前間違えられても曾祖母大好き!といった感じでココとよく遊んでる。痴呆であっても家族の愛を受ける、優しさと朗らかさを持った人柄なんだろう。
繰り返すが、エレナにとって祖父ヘクターはそんな母ココを捨てた悪い男である。それにしても、会ったこともないヘクターへの嫌悪の仕方はすごく強い。ココが会いたがる祖父のことを、そこまで悪い人ではないのでは?とは考えたことがないのか?
考えたことがあっても、そんな事はどうでもいいと思う程のことがあったんだろうな、と映画を観ていると思う。
どこ?と言われればもう映画冒頭からピンとくる人もいそう。エレナの母ココは、車椅子の要介護の老人である。
車椅子に乗って自宅内を移動できるようになっているが、ココが自力移動しているのか疑問だ。なんせ彼女はあまりにも年老いて力はなさそうだし、痴呆で父以外の家族を判別できない様子。
いつからココは要介護なのか。その面倒は主に誰が看ているのか。家族の絆が強い国柄、家族全員で面倒は見るだろうが若手は仕事をするのだし、ミゲルのような子どもに出来ることは少ない。次に年老いていてまだ体の自由がきく娘エレナが、ココを看ていると思われる。介護はどんなに相手の老人を尊敬し、相手が手のかからない人でも、体の自由のきかない大人の世話をするということはそれだけで大変疲労することだ。
しかも、ココは自分の世話をする娘エレナに対して「あなたはだぁれ?」と言うのだ。たぶん、会う度に。
想像してみてほしい。自分の親に誰?と言われるのだ。
これは私個人の介護の経験だが、祖母と同居してた際、ほぼ毎日「誰だっけ」「あなたの他に誰かいないの」と言われていた。文章にするとなんて事はないが、毎日言われると気持ちはささくれ立つし、そんな自分に悲しくなる。なんでって、相手は歳で痴呆、あたって治るものでもない。
他にも介護には悲しい、と家族が感じることは多い。国こそ違えど、ココの娘に向ける「だぁれ?」には、身構える一定の層がいるだろう。
ココの場合、さらにヘクターのことは覚えている。痴呆の老人には多いことかと思うが、若い時の楽しかった事は繰り返し思い出す。それが実は家族の負担になることがある。すごく極端な話だが、エレナからすると、ココの中ではエレナは大事なことに含まれてないのか?と考えてしまいそう。だって自分のことを母親が忘れてるのだ。勿論ココのような慈愛深い女性がそうであるはずないし、好きで忘れたわけではない。だが毎日「だぁれ?」と言われるのだ、母親に、祖母と母を捨てた祖父のことは忘れないのに。
エレナはミゲルに言い募る、「音楽は呪いだ」と。どんな意図でエレナは言ったのか。その台詞を言う時、母に唯一忘れられない祖父の事を思い出してたのか。
エレナはミゲルから手作りのギターを取り上げて、何度も何度も地面に叩きつけた。祖父が祖母と母を捨ててまで、愛したものだ。
ミゲル視点で考えると、どこから見つけてきたのか、頑張って張った弦に、音がちゃんと鳴るのかと思う釘を打ち嵌めたフレット、彼の狭い世界で知恵を絞って作り上げたギター。それを壊す祖母エレナは紛れもなく悪役だ。
だがエレナ視点で考えると、母に唯一忘れられない思い出、これがなければ覚えておいてもらえたのは自分だったかもしれない、顔も知れない家族を捨てておきながらまだ母親に愛されているヘクターの分身のギターが、今度は孫にまとわりつく。まるで呪いのようだ。
国が違うのだから、こんな考えを実際エレナは感じていないのかもしれない。
ただ、エレナはどんな気持ちで母ココに接しているのだろうか、と思う。
幼い頃から共働きをする靴職人の両親。その隣で、勤勉に働く優しい母を捨てた祖父をなじる祖母イメルダ。そのイメルダがいない時、もしかしたらココはエレナに祖父の作曲した「リメンバー・ミー」を、歌っていたかもしれない。映画ラストで、エレナは歌う母ココを驚きとなんとも形容し難い表情で見ていた。あくまでただの、そんな気がする、といった話なのですけど。
リメンバー・ミー (Remember Me)は、英語で「私を忘れないで」。
映画終盤は、ココがヘクターを忘れないのようにミゲルが曾祖母に歌いかける。
思ったのは、ヘクターは一度だってココに忘れられていなかった。忘れられそうにはなったけれど、ちゃんとココは父を愛して覚えていた。
ココに忘れられたのは誰なのか。ココに、「だぁれ?」と言われて、もしかしたらリメンバー・ミーと直接言ったかもしれないのは誰なのか。
それでも「だぁれ?」と言われ続け、いつしかグッと堪えて年老いた母にキスを送ってたかもしれないのは誰なのか。
ミゲルと共にリメンバー・ミーを歌い、ヘクターの事を思い出して嬉しそうに語るココは、ふと横に立ち尽くす女性に気づいて声をかける。
「エレナ、泣いてるの?」
エレナは、初めて穏やかな嬉しそうな顔で「ママ」なんでもないの、と応えた。
映画冒頭でミゲルは「僕は呪われている」と語りだしている。
でもミゲルは呪われていただろか、物心着いた時から音楽を愛して家族を大切にしてた。
「音楽は呪いだ」と言ったエレナは、何故呪いだと思ったのだろう。音楽を意識する時に、過る祖父の影がずっと彼女を苛んでいたのだろうか。
一緒に映画を見た家族が不服だと思ったのは、ラスト。
ヘクターの手紙と詞が見つかり、リブェラ家が有名になって、この中でミゲルが嬉しそうにギターを鳴らしていたこと。あれはミゲルが幼く寛容な心であった為に出来たことであって、自分にはギターを折られた時点で絶縁しそうだ、との感想。
その気持ちはよく分かるけれど。
ココの出してきたヘクターからの手紙は、ミゲルだけではなくエレナも読んだんだはずだと考えると、あの終わりで良かったなあと私は思いました。
ココに思い出して貰えた、それだけでエレナの長年の想いは報われて、その瞬間に音楽への負の感情は呪いが解けるように踏ん切りがついたのかもしれない。
ヘクターの手紙を読んで、顔も知らぬ祖父が祖母の言うほど悪い男ではないかもと思ったかもしれない。
1年後の死者の日に、母ココの遺影を祖父ヘクターも写る遺影に並べて置けるまで、エレナの中で気持ちの整理ができたのかもしれない。
それをずっとミゲルは家族として見てきたわけで。
ミゲルが生まれたばかりの妹と祖母エレナを祭壇の前で抱き締めるシーンは、なんとも言えない気持ちになった。
ところで
映画「リメンバー・ミー」の原題は「Coco」、ミゲルの曾祖母の名前だ。
あまり予備知識を入れないで映画を観に行ってきたが、なるほど、深い原題である。
ここまで何が言いたいのか、うまく纏められた気はまったくないけれど!エレナはミゲルのおばあちゃんなんだし、そんなに悪くないぜ?!
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。