私は劇場版についてずっと否定的な人間だった。種デスが終わり、ファンの生み出す二次創作を通じて様々な解釈を永らく見たからこその意見だ。
二次創作とは、それぞれが本編を見て自分のなかで結晶化させたものだと思っている。
それがここまでふり幅のデカい作品を私は見たことがない。
・なぜ否定的だったのか
ふり幅がデカいから優しいキラもいれば冷酷なキラもいる。
イケメン紳士なアスランもいればぶっ飛びチートなアスランもいる。
彼らにはそう見えたのだ。それは否定しない、というか否定する権利は誰にもない。
ただ、自分の解釈を20年煮詰めてきた人たちを、満足させる劇場版など作れるわけがない と思っていた。
SEEDは『余白』が多いぶん解釈が極端すぎた。
また戦争がしたいのか!アンタたちは!! この言葉に尽きる。
・劇場版の感想
実際、私の口には合わなかった。
ネトゲだったらチーター認定、垢BANレベルに強いアスランも、
ステラが猫娘みたいになっても、「オイイイイ!!」と笑ってられたが、一番ガッカリしたのはラクスのパイロットスーツ姿だ。
彼女には言葉でこの戦争と向き合ってほしかった。
「見てるだけって辛いよね~」じゃあないんだよ。辛いからこそその位置から戦ってくれよ。
パーティーでのシンの振る舞いも気になった。彼はあんなに食い意地が張っていただろうか?
国の偉いさんが集まる場でガツガツ食えるほど「気にしない」人間だったのか?
これは私の中での解釈なので「彼はそういう男ですよ」と言われたら「そうですか」としか言えないんだけど。
だいぶ感情に支配された戦争だな……と思う。
プラントの偉い人が「いけないってわかってるけど、感情的にもなりますわな~(意訳)」と言い始めた時からそう。
『この戦争、最悪すぎる』 そう考えていた。
だからこそディアッカとイザークの「忘れてねえよ」「だから終わらせなきゃいけない」というセリフが沁みた。
現場の人間がそう言うのだから、この戦争はきっと終わらせてくれるはずだ。
ちなみにコンパスの人らは「私だって~!」「アタシは接近戦用なの!」「これであいつらに勝てる!」等々、
戦いに存在価値を見出しているように見えた。
悲しすぎる。
結局、ディアイザ以外は感情に支配された暴力の応酬でしかなかった。
キラの思考が乗っ取られて『自己防衛』の名の元に攻撃されたとき、民衆のコンパスへの不信感は如何ほどだったろうか。
各国の偉い人が説明を求めるなか、オーブ首長であるカガリの「キラはそんなことしない」発言。
みんな「いや……知らんし。じゃあこの事実はなんなの?」じゃないですか?
その後コンパスがファウンデーションをぶっ叩いて落着としたが、その後コンパスがどう動いたのかは気になる。
・実際のファンの反応は
私のTLには好意的な意見が多く見られた。
楽しめたならそれでいい。いいんですよ!!
私はあの映画を観て違う意見を持ったの。「悲しみ」って感情が残ったの!
・まとめ
私は劇場版をきっかけに「また争いが起きるんじゃないのか」と思っていた。
蓋を開けてみればそんなことにはならなかったようだ。
私が見えない「悪意」に怯えていただけなのかもしれません。
明日から劇場版に対する文句は言いません。