午前中考えていた
リルという名前に込められた、制作陣の思いについての考察
リルの名付けシーン、あんだけ歌で真心込めて〜とか歌ってたのに、結局リトルでリルなんだ?って思った方いっぱいいると思うんだけど。
これは多分このシーン単体では意味を成さなくて、最後にウタウーネが「私達もそう呼んでいいですか」って聞くシーンで、リルという名前である意味が完成してると思うんですよね……
名前には色んな意味が込められていて〜って歌にする一方で、逆にそんな深い理由もない名前を持つ人も少なからずいるじゃないですか。誰も彼もが、贈り物のような名前を持っている訳でもないと思うんですよ。そうでない人は、あの曲を聴いても「自分はそうじゃない……」って思っちゃうかもしれない。
ある意味「リル」という名前もそうだと思うんです。リトルだからリル。安直で見たまんまで、どう育って欲しいかとかの願いや祈りもない。作中ではリルが喜んだからこの名前に決まったけど、現実には赤ちゃんが名前に反応することは出来ない。不本意でも、安直な名前が自分の名前になってしまう。
でもその安直な「リル」という名前は、作中で色んなキャラクター達から愛情を込めてたくさん呼ばれる。ウィンディはもちろんシーナにも、メタルクにも。結果として、「リル」という安直な名前は愛情たっぷりに呼ばれ続けて、唯一無二の彼女の名前になって。ウタウーネ16世も、彼女のそう呼ばれた経験を汲んで、呼び名を変えたのだと思う。
この一連の流れは、現実で自分の名前を不本意に感じる人たちへ向けた希望でもあるのかもしれないと思って……
どんな由来の名前であっても、周囲の人や友人、仲間から、愛情を込めて呼ばれることで、「大切な自分の名前」と捉えることもできるんじゃないか?
そんなメッセージが、何となく最終的に決まったこのリルという名前には込められているんじゃないかなと。そんなことを思いました〜おわり。
あともうひとつ。リルがフレイミーやモータロンのくれた名前を嫌がったように、「贈り物を拒んだっていいんだよ」という許容、肯定も、あの曲には込められている気がする。親の思いやりは時にエゴだものね。