今更のトゥルーエンディング感想。永夢の行動とまどかと影成の結末はハッピーエンドだったかについて。自分の中で整理する意味も込めてまとめます(VR世界の設定についてはよく分かっていないので想像です)
※3回観ただけの個人的な感想です。※めっちゃ長い
まどかはVRの世界で運動会を楽しみ、ガシャットロフィーを生み出しました。
それを見ていない永夢は、まどかをVRの世界から連れ出そうとします。
しかしまどかに「ここに居たいの」と言われ、永夢は手を差し伸べる事ができなくなり、崩壊しつつある世界にまどかを置き去りにしてしまいました。
この描写から、永夢はまどかの気持ちを考えずに現実世界の方が幸せだと決めつけたわけではないんだな、とまず思いました。
後のシーンで「黎斗とパラドとまどかの3人を救えなかった」と永夢が言ったのは、
まどかをVRの世界から連れ戻す事ができなかったという意味ではなく、
まどかの幸せだったかもしれない世界を壊してなおかつそこに置き去りにしてしまった、
という意味だったのではないかと思います。
その後の永夢は再度VRを使ってまどかを説得しようとはせず、どうしたらいいか悩んでいたのでそのように感じました。
(黎斗とパラドについては、ゲムデウスを抑制することが二人の生きる目的ではないからだと思われます。)
現実世界に戻った後の影成に永夢が怒ったのは、
まだ手術して助かる可能性もあるのに影成自身がまどかの手術の成功とその後の成長を諦めていたからです。
成功するかもしれない手術を親が諦めていたら、誰が現実で生きたいまどかの味方をするのでしょうか。
VRの世界で生きたいまどかにとっては今の影成は味方かもしれませんが、この時点ではどちらか判断できません。
この時の永夢はドクターの立場で発言しているので、まどかがもし本当にVR世界を望んでたらどうするんだという感じが残りますが、影成もまどかの気持ちをきかずに勝手にVR世界に連れて行ったので、おあいこだと思います。
それを差し置いても「子供の笑顔を守るのは僕たち大人の義務」という台詞は本当にいい台詞だなと思いました。
そもそもあのVR世界は現実のまどかが死んでしまったらどうなるものだったんでしょうか。まどかの意識は消えてなくなるんでしょうか。バグスターのように、体がなくなってもデータとして生き続けられるんでしょうか。
(もしかしたらパンフレットに書いてあるかもしれませんが、買えなかったので確認できませんでした。)
その後、手術中のポッピーの説明で、永夢はまどかの本当の幸せを知ります。
映画を観れば分かりますが、まどかの本当の幸せは、体が自由に動く都合のいい世界で、運動会をする事ではありません。
かけっこで一等をとりたいと言ったのも、VR世界で運動会を楽しんでいたのも、
自分が運動会を楽しめるくらい元気になれば、父親が喜んでくれると思ったからです。
まどかの本当の幸せは、父親の影成に喜んでもらうことです。
永夢はそれに気づいたからこそ、影成を説得し、まどかの元へ向かわせました。
例え仮想の世界でもまどかが元気に走り回れる事が影成が喜ぶ事じゃないの?というみかたもあるかもしれませんが、
影成が最初にそう願ったのは、まどかの本当の幸せを知らなかったからです。
まどかの幸せが、運動会で一等をとる事で、VRならそれが可能だと、その方が幸せだと勝手に決めつけていたからです。
永夢の説得がなければ、お互いの本当の幸せを知らないまま、お互い幸せにしてあげられたと思い込んだまま、
VR世界で永遠に運動会をしていたかもしれません。こういうのをメリーバッドエンドって言うんですかね。
永夢が説得したことで、影成はまどかに自分の本当の幸せを伝えることができました。
まどかが自分と同じ世界で生きていてくれる事が、影成の本当の幸せでした。
まどかも父親の本当の幸せをきいて、現実の世界に戻って来てくれました。
永夢は、まどかの本当の幸せを知ったので、影成にそれを伝えただけにすぎないと私は思っています。
最後のシーンの説得で永夢はVR世界を否定したわけでも、現実世界の方が良いと価値観を押し付けたわけでもありません。
また、永夢は、選択肢の多い世界を希望と呼んでいるのではないかと思っています。
まどかがVR世界を選んでいたら、父親のいない世界で本当の笑顔になれないまま永遠に運動会をしているかもしれません。
まどかは頭のいい子なので、そのうち大勢の人を苦しませて自分の世界を作った事に気づくかもしれません。
まどかのデータを管理する誰かが永遠にいる保証もないので、突然プツンと暗闇だけの世界になり永遠に取り残される可能性もあります。それでもし死にたくなっても、データなのでどうやって死んだらいいかも分かりません。
まどかには、もう何もできません。
そんなよく分からない世界に残る事と、難しい手術に挑んで死んでしまう事は、どっこいな気がします。
現実世界で手術に耐えたまどかに、影成の言った通り後遺症が残ったとします。
まどかはその先どうするか、自分で選ぶことができます。
また走り回れるようにリハビリを頑張ってもいいし、諦めて別の楽しみを見つけてもいいです。
父親はもういます。今度こそ、父親と一緒にVRの世界に行くのもいいかもしれません。
諦めずに選択をしていけばまどかが本当に笑顔になれる未来がまっている、という考えを、永夢は希望と呼んでいるのではないかと思います。
永夢の行動や台詞は少々説明不足かもしれませんが、患者の気持ちにしっかりと寄り添っています。
私は南雲親子が本当の意味で笑顔になれたので、ハッピーエンドだと思いました。
主題歌のLife is Beautifulの歌詞も、映画を観た後に聴くと「自由に走り回れたVRの世界には戻れないけど、現実で病気と闘った先には新しいキミが待っているよ」と永夢がまどかを励ましている曲に聴こえてきます。いい曲すぎるだろ…。
永夢はいつも、患者が一番望んでいる事を探して、そこに導こうとできるだけ努力をします。思い込みで間違うこともありますが、人間なので仕方がありません。そこが永夢だけ許されないのはちょっと理不尽です。
たまにやり方が突拍子もないのでそういう所が患者の笑顔を自分の理想にあてはめて決めつけているように見える原因かなと思ったのですが、患者の気持ちが分からない時は行動に移さずちゃんと分かるまで悩んでいるので、自分の理想だけで患者の笑顔を決めているというのは誤解です。
例えば黎斗の時は、本来ゲームは人に楽しんでもらうために作るものなのにクロニクルは人が苦しむゲームになっていたので、いいゲームが作れていないよ、昔みたいにみんなが楽しめるいいゲームを作る黎斗さんになってほしいよ、という意味で本当の笑顔を取り戻したいと言ったのだろうと思っています。
こういう理由で、私はいつも一生懸命にライダーでドクターを頑張っている永夢が本当に大好きです。
以上ですが、個人的に本編の表現のまま一番自然に全てを繋げられると感じた解釈を並べただけで、公式で説明されていない部分も多いので、正しいとは思っていません。たぶん間違いだらけです。でもこれで少しでも誰かの心の霧を晴らすことができたら嬉しいです。
長い時間お付き合いいただきありがとうございました。
トゥルーエンディング、とても面白い映画でした。