【その魂の行く末を・2】
それからまた、一週間が過ぎた。
私の体は傍目からは問題なく動くように見えていた筈だけれど、その実、着実に弱ってきていた。
視界はぼやけたままだし、指先の感覚が無いから物を強く握りすぎたり、逆に取り落としたり。歩くのは問題ないけど、走ると転びそうになる。唯一耳だけは変わらず聞こえていたから、何とかそれで判別していた。
でも旅はもうできない。
「――なのであなた一人でもと、一昨日言ったと思いますが…?」
「ああ、言っていたな」
「…戻らないんです?」
「急ぐ旅ではない。そなたを見送ってからでも問題あるまい。加えて……この手紙だ。これはアルティニア王からの続報だな」
どうやら彼は私の状態について、ロンドを始め守り手たちへ連絡したらしく、ここ数日手紙が引っ切り無しなのだ。
そんなこともあり、いつまでも宿のお世話になるのは迷惑だろうと考えていたら、助けた少女の一人―あの日私を支えてくれた薬師見習いの娘、リリィが「近所に空き家があるから」と滞在場所を用意してくれた。彼女は、薬師である父・ゲイルさんと一緒に私の体を看てくれている。
ただ何故か、サザントスさんがいる時は離れたり、別室に行ってしまう。今もリリィたち親子は別室で待機中だ。
「伝承や薬師たちの記録を当たっているものの、近しいものは見当たらぬようだ。だが引き続き調査する旨が記載されている。それと何かあれば頼るように、と」
「アラウネとシャルルからの手紙も同じ結びでしたね…」
「こちらはヴァローレからの見舞いの品だな。シロブドウのワイン……否、これはジュースか」
「ええええ? 届くの早すぎません?」
「最もこの街に近い流通先から隊商を走らせたのだろう。今朝方商人たちが宿屋に雪崩込んでいた」
それはちょっと申し訳ない。
「ではさっそく頂きましょうか。サザントスさん、瓶を貸し―」
「そなたは座っていろ、割られては敵わぬ」
「………はい」
程なく、台所からきゅぽんと小気味良い音が聞こえ、彼がグラスを手に戻ってきた。
渡されたそのグラスを慎重に握り、零さないように傾ける。華やかな香りに胸が躍った。
「…これは……」
「どうかしたのか」
「良ければサザントスさんも飲んでください。私一人じゃもったいないです」
「…では相伴に与るとしよう」
グラスに注がれる音と共に広がる甘く華やかな香りが心地良い。喉を滑り降りる感覚も爽快で、とても飲みやすいジュースだった。彼も気に入れば良いのだけど、と思いながら注視していると、一口飲んだ瞬間彼の纏う空気が少し柔らかくなったように感じた。
「お口に合ったようで何よりです」
「まだ何も言っていないが」
「ふふ。雰囲気が少し和らいだので、美味しかったんだろうなと。お酒じゃないのが残念でした?」
「そうだな、ジュースでこれなのだからワインになれば格別の味わいだろう。だが、これはこれで十分美味い」
「バルジェロにお礼を言わないといけませんね」
「…直接言いに来るのを待っている、と手紙にあった」
「それは……また、無理を言いますね、バルジェロ…」
彼の願いなんだろう。また会えるように、と。でもそれを叶えることはできない。
ハイランドからウッドランドは遠い。この体はそんな長旅には耐えられない。
何しろ感覚がまた一つ消えてしまったのだ。
「そうだ、リリィたちにも振る舞いましょう。いつもお世話になって―」
「ミトス」
和らいだ筈の雰囲気が引き締まる。
「そなたの口には合ったのか」
「私が、美味しくないものをあなたに勧めると思うんですか?」
「そなたが私に詳しくなっているように、私もそなたに詳しくなっていることを覚えておくのだな。そなたが答えを返さぬ時は隠し事をしている時、だ」
「……!」
「味覚を失ったか」
「…はい」
そう、グラスから上る香りは判る。でも口に含んでしまうと判らない。
バルジェロが用意してくれた物だ、きっと美味しいのだろうし余らせるのは忍びない。かと言って味の判らない私だけで飲むのはもったいない。
「なので、美味しく飲める人に飲んでもらった方がいいだろうなと。あなたが飲み切ってもいいですし、リリィたちに飲んでもらってもいいです」
ふむ、と軽く息を漏らす音が聞こえた。
「診察の時間もある、薬師を呼んで来よう。そなたは休んでいるがいい」
「わかりました、お願いします」
白銀に霞む後ろ姿を見送り、耳を澄ます。
彼がゲイルさんと何か話しているらしい声が聞こえてきた。窓の外からは家の近くを駆けていく子供たちの笑い声が。
事件を解決できて良かったと、降り注ぐ陽の光を浴びながら思う。
今この街が平和なのは、盗賊団が壊滅し攫われていた少女たちが帰ってきたからだ。長く薬を飲まされていた子たちは、薬が抜けるまでまだ時間が掛かるらしいけれど、どうか彼女たちの未来が穏やかなものでありますように、と願わずにはいられない。
「ミトスさん、体の調子はいかがです?」
「あはは…これがなかなか厄介で」
そして…この先を一人往く彼の旅路が、どうか光あるものでありますように――