骨と十字架、観てきました。TLで流れてきた噂によると巨大感情とかBでLな執着とかがかぎとれたらしいけど信仰観にひえってしていてそこ追う余裕がなかった。ところで今日でっかいカメラ入ってました。
・ブルオレと同じ方が関わってる。なるほどわかる。
・白い人原理主義か…?
・どうしよう偏見なの分かってるんだけどカトリックがそれを言うかって思っちゃう……これ完全に偏見だからごめんなんだけどさ……。
・人は裁かない、その権限は人に与えられていない。裁くのは神だけだ。
・「告解」でなく「世間話」にしたの二幕でまずいことになってくるのではと思ったけどそんなことはなかった(ブルオレの見過ぎである。)そらそうか科学と信仰の話だもんな。
・一幕、岩に腰掛け目に涙を乗せたリサンの独白が憎しみに見えた。嫉妬ではなく。場面と流れから考えると嫉妬が根っこなんだろうけど。
・リサンが十字架から手を離さないのは己の内にある疑いを自覚して恐れているからなんじゃないかって気がした。片手で十字架を握っている、学問も信仰も片手だけで掴めるものではない、つまり、彼はどちらも捨てられないようでどちらも選べていないんじゃないかなあ。
・リサンがいう「私にはわかる」、私もそうだった!って空耳が聞こえる。リサンは“気づいて”信じきれなくなる前に目を逸らすことにしたんだ。十字架から手が離れる前に。
・一幕でも思ったけど自称「弟子」、先生を信じてないんだな。「心配」なのは信じきれていないからだ。
・己の信仰と向き合おうとしてるのが主人公だけだから白い人だけが「彼の側に立った」のだろうか。
・問答、一幕とは打って変わって白い人が必死に手を引こうとしているように見える。
・主人公は己の信じている異端を宣言したのでなく神を信じているために異端を宣言したのかなって。
・これはお話関係なく私の宗教観なんだけど、西洋科学の探究は信仰心と一体のものだったと思うんだよなあ。世界を矛盾なく説明する美しい答えがあるって科学者の探究心は、世界は主がお創りになったからだって信仰心から芽吹いていると思う。誰かが作った世界だから正解があり、世界の凡ゆるところに宿る神の言葉を聞くために研究をする、そういうものではないのかしら。なおしつこく言うけど私の宗教観とお話にある宗教観が違ったってだけの話で正しいとか間違ってるとかそういう話ではないです。
追記。先に言っとこうと思いますすみませんネタ元の本は読んでません。
・一幕の終わり頃にテイヤールが「人はいずれ神に届く」って言ったときリサンが顔色変えた(スポットライトの当たり方も変わった?)んですよ。羨望やら何やら色々あれど、二幕でリサンが訴える「テイヤールの思想は危険だ」って主張の動機はたぶんあの瞬間だと思う。あの瞬間はリサンと心が一つになれた気がしたんだけどあれって話の流れで皆んなそう思うものなの?
「人はいずれ神に届く」、それはやべえやつだって。その思想は異端と言われかねない。進化論(人の祖先はサルだった)よりフォローきかないやつなのでは……。
というのが聞いた瞬間の感想。あれはやべえやつだって。他の発言、「神の言葉は自然に刻まれている」や「ヒトは昔サルだった」より数段まずいやつだと思う。
“神の言葉を知る”のは問題ない、“人は昔サルだった”も創世記を「比喩」と考えるなら矛盾させない解釈はできなくはない。サルの中からヒトになる存在を“神が選ばれた”と考えれば良い。
“進化を続けた人はいずれ神に届く”これはまずいよ(個人の感想です。)だってそうならないように人は楽園を追放されたんだから(個人の解釈です。)
創世記の話をします。
神は自らの姿を模して人を創り楽園に置いた。それを比喩と考えるなら人はだんだん神に似て来るのだって発想するのはわかる。でも知恵の果実を食べた人は楽園を追放されたんですよ。同じ楽園に生えていた命の木の実を食べないように。「神のようになり善悪を知る」ようになった人間に、神のように永遠に生きることを選ばせないために。
これは説教の受け売りだけど、原罪や七つの大罪って「与えられた以上のものを欲する」のがいくないらしいんですね。御心がなる(神の意思する通りの世界/人物になる)ことより自分に都合が良くなることを優先して行動しているから。自分のためだけに動く意思が罪(神の意思に従わない)なんだそうで。
まあでも人間は皆(原罪を犯した)アダムの子なので罪を犯すのはしょうがない、本来許されない罪だけどキリストが代わりに罰を負ってくれた(だからキリストは「人の子」で「救い主」なんですね)から人間は罪を犯していることを自覚して(自分も神に赦されるために)他人の罪を赦し合い(御心をなすために)助け合って生きましょう、というのが新約です。少なくともプロテスタントはそうだったと思う。複数人の牧師さまから同じような話を聞いたので(受け取り方が違ってたらすみません。)
話がずれにずれた。
テイヤールがなぜ北京原人の骨(だけ)を「神の教えに結びつけられない」のかわからないんですが、「『私の』神を信じる」ことにしたテイヤールの行く先に「彼らの」神があることを祈りたい。
(彼らが進化論の先に見たものと信仰を紐付けできなくなった理由はわかった。リサンが言ってたので、「神がいなくとも起こってしまう」って。)