『Smited, Smote, Smitten: A Reading on Queer Longing in Good Omens』https://www.tor.com/2023/10/04/smited-smote-smitten-a-reading-on-queer-longing-in-good-omens/ の稚拙日本語訳
Well, that went down like a lead balloon.
Smited, smote, smitten, here at the end of all things.
***
“I won’t be forgiven. Not ever. That’s part of a demon’s job description. Unforgivable. That’s what I am.”
“You were an angel, once.”
“That was a long time ago.”
—(S1E3)
これは私がずっと待ち望んでいたものだった。
この言葉を知るより以前から、私は、自身が慣れ親しんでいた壮大なロマンスや古典的な冒険物語、あらゆる物語がシシェット(cishet: シスジェンダー的でありヘテロセクシュアル的であること)であることに衝撃を受けていた。物語の中に自分の姿を見出すためには、物語か、もしくは自分自身を常に置き換える必要があった。私はTumblrファンダムの時代に育った。それについては昨年の『Our Flag Means Death』第1シーズンへ寄せた記事(https://www.tor.com/2022/04/25/act-of-grace-masculinity-monstrosity-and-queer-catharsis-in-our-flag-means-death/)でもう少し詳しく書いたが、その一行目がここでも当てはまる。クィアの心の痛みをこんなにも感じたことはない。
最近では多くのクィアの物語を読むことができるようになった。そのほとんどはシス男性同士のものだが、そればかりではない。けれど、クィア”担当”の存在する物語の主流には依然として、周縁化されたクィアが何世代にも渡って警戒してきた規範を核としているものも少なくない。社会への同化。尊敬。「ほら、私達だってあなたと同じようになれる。私達も結婚を望んでいるし、帝国主義の暴力装置の歯車として加わりたい。あなた方に奉仕し忠誠を尽くす権利がほしい。あなた方の軍隊に加わりたい」もちろん、私はそういった物語だって楽しんできた。けれど私は、シシェットに合わせて浄化され平坦化された物語ではなく、リアルなクィアの物語を切望している。それはお互いを傷付け合う物語だ。時に、愛はそれだけで十分ではないからである。
Good Omensはある意味ではまだシス男性の物語ではあるが、完全にそうであるとも言い切れない。私が本当に打ちのめされたのは、この物語が「では、この愛が脅威であるならば」という忌々しい命題にまで掘り下げられているからである。
もしもこの愛が、あなたの規範や生き方を崩壊してしまうものだとしたら。あなたの慣れ親しんだシステムへ危険を及ぼすものだとしたら。この愛が全てを破壊し尽くしてしまうとしたら。神の意思にもサタンの意思にも背き、計り知れない計画に反していたとしたら?
クィアな登場人物がそれに伴う複雑さを抱えている物語を待っていたのだ。クィアなものとして意図して描かれた物語は観客に彼らの存在の権利の正当化を求めはしない。その代わり、一般的には扱われることのないクィア体験を具体的に代弁し、優しさを与えてくれる。私達には切なく、壮大で、悲劇的なクィアのラブストーリーがふさわしい。それは彼らが同性だからではなく、クィアの愛には安全とトラウマという問題が切り離せないほど絡み付いているからである。作品の根底から本文、比喩、プロットに至るまでクィアな物語。クィアな愛がいかに無限の多様性を持っているかを探求している物語が必要だった。不老不死やそれに近い存在が恋焦がれ、切望し、この宇宙で手に入れることのできないたった一人を求める物語が、私達にはふさわしい。
本質的には悪人ではなく理解の段階が異なるだけ、という使い古された同性愛嫌悪の含まれない物語が私達にはふさわしい。
ニュアンスや詩や歴史を吹き込んで、めでたしめでたしや”will-they/won't-they(ロマンチックな関係にありながらも外的、内的理由により継続が不確実な関係性を表す表現)”、特権的白人シスのカミングアウトを超えるものを見せてほしい。傷の深さが愛の深さを証明する、私達クィアは壮大なロマンスにふさわしい。
クィアとして育つことは時に怪物のようにも感じられる。お前のような人間は地獄へ行くのだと説教されれば、悪魔にも共感するようになる。生まれ持っての真実であり喜びであるはずの自分のアイデンティティを不道徳だと断じられてしまえば、「私にはコントロールできない理由で私を憎む、そのシステムを、どうして私が尊重しなければならないのですか」と問いかけたくもなる。
自分の欲望を偽ることを学び、それがあなたを変えていく。感情を押し殺し、否定し、罪なのだと信じるようになる。幸運にも巡り会えた誰かへの言葉に愛情を潜ませることを覚え、言葉にすることを学ばない。(彼らの取引、”little demonic miracle of my own”、第4のランデブー。これこそがクィアの愛が何千年も紡いできたものだ。美しく真実のものであるのに、それなのに、それなのに、それなのに)。愛が常に合法であり、許容され、”普通”で、”祝福されたもの”であった人々とは異なり、あなた達の関係は背後にある脅威によって否応なく形作られる。望むだけ会えるわけではない。他者に語ることも許されない。二人で築いてきたかけがえのない関係を壊すことになるかもしれないからだ。言い訳をしなければならないし、誰にも打ち明けられないせいでその問題と直面する機会を失い続ける。
同時に、だからこそクィアの愛は宇宙で最も強力な力になりえるのだ。それは一度は世界を救った。彼らがまだそれを愛と呼んでいなかったとしても。アジラフェルとクロウリーはお互いの詳細を知らない代わりに、重要なことならほとんど知っている。
これが愛だ。それと気が付かずに滑り込んでいき、必然のようにあなたを包む。
この磁力に抵抗する術はないと気が付くかもしれない。その人の元へ戻る足を止められない。その人へ続く道を探し、危険を冒し、心地良いスリルに浸る。
この結末が、この物語が、このふたりが私に突き刺さった理由はそこにある。これはクィアの物語だ。これまでを超えて、S2は新たなレベルでそれを明らかにした。
***
“We’ve known each other a long time. We’ve been on this planet a long time, you and me. I could always rely on you. You could always rely on me. We’ve been a team, a group. Group of the two of us. And we’ve spent our existence pretending that we aren’t. I mean. The last few years, not really. And I would like to spend—I mean, if Gabriel and Beelzebub could do it, go off together, then we can. Just the two of us. We don’t need Heaven, we don’t need Hell, they’re toxic. We need to get away from them, just be an us. You and me, what d’you say?”
—(S2E6)
ようやく上手くいく、とクロウリーは思ったに違いない。
何千年間も感情を押し殺してきた。何千年もの忍耐、そして我儘。アジラフェルがクロウリーのために何を犠牲にするのか、クロウリーほど理解している人はいない。アジラフェル自身が欲していると確信が持てるまでクロウリーからはそれを求めなかったし、求められなかった。誰かが先にそれを達成し、できないだなんて言い訳が通用しなくなるまで。ガブリエルとベルゼブブが前例を作る、その時までは。やっと自分にもチャンスが巡ってきた。S2はクロウリーの願いの、その破壊的なまでの大きさを正典とした。アジラフェルが自分を求め愛するだけではなく、口付けすることさえ望んでいた。かつてクロウリーが食事の悦びを教えたように、彼に触れ、その空腹を満たすのを。アジラフェルがクロウリーをダンスに誘うための、捻くれた古臭いロマンス。ニーナが見たもの。アナセマが見たもの。天国と地獄、そして多くの人々が見たもの。彼らが育てるつもりのなかったものは、それにも関わらず取り返しのつかないほどに花開いてしまった。
ガブリエルが再び彼らの前に姿を現し、クロウリーは燃え上がった。世界の終わりは私達の中の優先順位を再編成させる。クロウリーは天国を助けたいわけではない。地球を守りたいわけでもない。たった一度、身勝手に愛したいのだ。”If Gabriel and Beelzebub can—“ クロウリーは全てを欲しながら、アジラフェルが差し出すものだけを受け取ってきた。アジラフェルを失うくらいなら、彼の沈黙の中に心を留めておく。だから車の鍵を渡すのだ。宿敵へココアも作る。雨を降らせる。彼は本を守り、そうすることを愛する。”Shut up,” 彼は言う。”Anywhere you want to go.”
***
アジラフェル。クロウリーはかつて神を愛していた。
彼が天使であったことは覚えているはずなのに、どうしてかあなたはその可能性を考えない。
クロウリーは神を愛し、アルマゲドンの際にも神に語りかけた。クロウリーは神を愛し、天使として愛され、宇宙創造の主要な要素を任されていた。クロウリーは星の光、星雲、星座、そしてケンタウルス座α星を完璧に作り上げた。それらはとても美しく、彼はそれらを深く愛した。今になっても彼は、何かを育てることをやめられない。全てを手放しても植物だけは投げ出すことができない。彼もかつては神の意志に従っていたんだよ、アジラフェル。驚きと美しさと好奇心から宇宙を作り上げた。彼が心から愛し、愛されていると思っていた神がそれを求めたから。そしてその神は、この創造物が6000年しか保たれないことをクロウリーへ告げなかった。神がそれをいつ決めたのか、誰が知っているだろうか。神は地球の終わりを、それが始まるより前に書き記し、それに疑問を持つ者は永遠に神の恩寵から堕とされると決めた。アジラフェル、善人だからといって彼らの考えや道徳感に同意するだけではいけないとわかるはずだ。ヨブやウィー・モーラグから何も教わってこなかったのか。自分は彼よりもわかっているはずだなんて、思い上がりも甚だしい。かつては「光あれ」と遣わされた天使であった悪魔に、真実と光と善について説こうとするなんて。
***
“You don’t know me.”
“I know the angel you were.”
“The angel you knew is not me.”
—(S2E2)
アジラフェルは墜落の意味を理解してはいない。
これは彼のせいではない。天使は自身が堕ちるまでその意味を知ることはないのだ。
けれど、悪魔と天使について、そのメカニズムやモラルの違いについて理解していると思い込んでいるのは彼の問題だ。両方を経験しているのはアジラフェルではないのに。
クロウリーは天使に戻れない。彼を追い出した場所に戻れとどうして言えるだろう。ましてや愛を餌に、条件にして。
クロウリーは忍耐力と丁寧さでアジラフェルを愛してきた。彼を守るため、時間を止めて世界を救うため、爆弾から本を守るために、天使である必要はなかった。アジラフェルのために天国へ行きガブリエルに火を吹くためにも、彼にココアを入れるためにも、天使である必要はなかった。彼はアジラフェルの愚かさに腹を立て、天使の頑固さにも怒るが、救える者は救うという価値観を共有していることを知っている。クロウリーはこれをずっと悪魔としてやってきたのだ。
そして”I forgive you”と聞いて、
***
“I never asked to be a demon. I was just minding my own business one day and then…ah, lookie here, it’s Lucifer and the guys. Oh hey, the food hadn’t been that good lately. I didn’t have anything on for the rest of the afternoon. Next thing, I’m doing a million-light-year freestyle dive into a pool of boiling sulphur.”
—(S1E5)
アジラフェルは本当に、クロウリーがこれを望んでいるのだと思っていたのだろう。
きっとクロウリーは喜ぶだろうと期待に胸を膨らませていた。彼はまだ、堕天するより天使でいられたほうが良いと思っているし、天国が善の側にいると信じて疑わない。彼はまだ自分が、そしてクロウリーも、悪魔よりも良い存在だと信じている。
クロウリーの墜落は間違いだったと思っているのだ。
クロウリーの堕天はバグであり、信頼しているシステムそれ自体の機能ではないと思っている。クロウリーの悪魔的性質を、アジラフェルは他の誰かから押し付けられたものだと認識している。天国は罪のない人々を殺し、それに疑問を持つ者を追い出してきた。この神のシステムがあるかぎり、クロウリーはどうあってもいつか堕天するのだと、それをアジラフェルは理解できていない。クロウリーは無垢なる者の死に疑問を持たずにはいられないのに。そして根本的、かつ皮肉にも、アジラフェルがクロウリーを愛している大きな理由のひとつもまた、そこにある。
クロウリーの存在が示しているのは、彼の堕天を決めた神の判断が過ちだったということではない。全ての悪魔が地獄にふさわしいわけではないし、このシステム、それ自体に恐ろしい欠陥があるという事実である。
クロウリーはアジラフェルが知る、世界で最上のものだった。彼が唯一信頼できる存在。エデンの東の門で、アジラフェルはためらいなく蛇に自分の罪を告白した。”I gave it away!” アジラフェルはシュア人ビルダドへ笑いかける。悪魔であるにも関わらず、彼がヤギを傷付けないと知っているからだ。クロウリーは何度でもアジラフェルの信頼へ応えた。アジラフェルはクロウリーの手に銃を持たせ、引き金を引くように頼む。奇跡もなく、代わりの計画もない。神はお前を追い出すかもしれない、ガブリエルはお前を燃やそうとするかもしれない、けれどクロウリーだけは、クロウリーだけは頼りになるとアジラフェルは知っている。(“Run me through,” says another wounded would-be lover, in another universe. “Stab me.” Here is my heart, here in your crosshairs. Take aim. Because when tenderness opens you both to threat, this is the closest thing you get to a confession. I trust you, you say without saying.)
それなのに、彼は本当に必要な場面でクロウリーを信用しない。自分の方が物事をよくわかっていると思い込んでいる。彼は地獄からクロウリーを救いたいと思い続け、すでに救っているのだとは理解しない。クロウリーにとって地獄よりも悪いのは、彼を墜落させた場所だということがいつまでもわからない。
アジラフェルは、それぞれの所属である天使や悪魔より、自分達がはるかに多くの共通点を持っていることを理解しない。ガブリエルとベルゼブブの件があってすら、天使と悪魔の違い、善と悪の違い、それらが神、アジラフェルが会話すら許されなかった神の気まぐれであることを、ほんの少しも理解しないでいる。ヨブの子供、洪水、炎の剣を手放した後でも。彼の知るかぎり最高の人物を天国が追い出してしまった後で、アジラフェルはその関係を公的なものにしたくなってしまった。彼は間違った結論を出した。クロウリーの申し出をしっかりと受け止めて話を聞くことができれば、せめて天国の状況を変えられるよう試みてほしいと頭では考えながらも、正しい結論に辿り着いたに違いない。”I think I’ve—“ 牛肉の件とは似てはいないけれど、あのエピソードはどこまでも啓示的である。ショックを処理しきってから、彼は自分が飢えていたことに激しさと悦びをもって気付くのだ。
***
シーズン1が終わってからは天国も地獄も、彼らを気に留めていなかった。世界は救われ、クロウリーは十分に休息を取るつもりだっただろう。
けれどアジラフェルは目覚めたばかりだった。
***
エデンの蛇、庭から追放された庭師、地獄の淵へと運命付けられた星の光の彫刻家。天国から堕ちるより辛いことはないと思っていたのに、彼へと恋に落ちてしまった。
クロウリーはずっと待っていた。自分が欲に塗れた哀れな人間だと知ることになった。それは彼の指のしなり、顎の形、背骨のライン、そして車の植物に現れている。アジラフェルから言ってこないかぎり、彼は決して本屋へ住まわせてくれとは言わないのだ。”You are too fast for me, Crowley” たとえ時間が掛かったとしても同じ場所へ辿り着くという意味だと受け取ってもおかしくはないだろう。クロウリーは、アジラフェルがクロウリーのために何を諦めることになるのかよくわかっていた。そして本当に長い間、ふたりを罰するはずの上司が揃っていなくなってしまうまで、アジラフェルに犠牲を強いることに抵抗し続けていた。
今がその時なのだと心の底から信じていなければ、彼はこんなことはしなかったろう。アジラフェルがクロウリーに、クロウリーができるはずのないことを求めた後でさえ、彼は行動に出たのだ。
彼は間違っていなかった。アジラフェルは準備ができていた。”Our side”へ同意した。S2の間アジラフェルはずっとクロウリーを欲しがっていて、それを隠そうともしなかった。舞踏会、ダンス、そして”rescuring me makes him so happy”。あからさまにクロウリーを求め、触れるための口実を作ってきた。天国ではなく、クロウリーの味方に立っていた。何度も、何度も。彼らはすでに愛し合っており、まさしくそのように振る舞っていた。
それがこの一撃を重くする。愛だけでは、十分ではない。
***
神の祝福のもとにクロウリーを愛し共に善を成すという、アジラフェルが何千年も渇望しながら深く眠らせていた夢が、突然目の前に差し出された。まさに、他の方法でもクロウリーを愛していくことができるのだと証明された直後のことだ。アジラフェルにはその望みを手放すことができない。彼は最終的には全てが上手くいくと考えている。アジラフェルとクロウリーのどちらも愛してくれるよう、システムを変容させられると信じている。
助け続けてくれていたクロウリーを、今度はやっと自分が救う側になれる。アジラフェルはその可能性に興奮していて、本当に救われるべきは自分自身であること、天国も地獄ももう自分をほとんど気にしていないこと、ただ武器として必要とされていることに気付けない。
そしてアジラフェルは、彼にしかできない方法でクロウリーを深く傷付けた。”Our side”に何が起こったのだろう。アジラフェルは、クロウリーがずっと望んでいたのかもしれない人生を拒絶した。ふたりで救った世界を拒絶したのだ。クロウリーを選んだ、というだけではない。アジラフェルはクロウリーに、長年連れ添ってきたクロウリーよりも、彼を文字通り地獄へ突き落とした天国と同盟を結んで戦うクロウリーを選ぶと、そう明言したのだ。
当然クロウリーは、アジラフェルは一体どの程度自分を理解してくれていたのだろうと疑いを持つ。
しかし、全てがあっという間の出来事だったのだ。もっと時間があれば、アジラフェルがクロウリーに先に話させていれば、クロウリーがどう受け止めたのか確認する時間があれば…
けれどそんな時間はなかった。彼は不可能に近い見通しに眩暈を覚えていた。どちらにせよ、アジラフェルはこの誘いを断ることはできなかっただろう。挑戦しなければ彼自身を許せなかっただろうから。
こんなにも傷付くのは、アジラフェルがこの選択をしている理由が、彼がこれほどまでにクロウリーを愛していることにこそあるからである。彼は自分のせいでクロウリーが傷付くこと、アジラフェルを守り、愛し、共にいることで罰を受ける可能性に耐えられない。
だから、この愛がふたりを呪う心配のない未来を得られるチャンスがあるのなら、彼は手を伸ばすのだ。
そしてこうやってクロウリーの全てを拒絶する。クロウリーが愛し始めた全てのものを。
アジラフェルはただ、ふたりが再び善の側へ戻れると考えている。共に神の寵愛を受けることはとても正しいと感じるだろう。クロウリーは永遠に安全で、悪を愛する恐怖からは解放される。クロウリーが望むような方法で自分を求めているとは、アジラフェルは思いもしなかったのだろう。
クロウリーはありのままの自分ではなく、他の形の君を愛すと言われたのだ。選択肢があるならば、君を地獄へ突き落とした場所へと戻り、彼らの意志と軍隊のために戦う君を愛する、と。君を拒絶した神の権威に基づいて行動する、と。そしてこれは君のためなのだ、とも。
天国も同じくらい悪であり、システムそれ自体が酷いものだと、アジラフェルはもう少しで理解できるところだった。けれどずっと叶わぬと夢見てきた、祝福されて一緒になれるという可能性に目を奪われた。神に祝福され、許され、自分のせいでクロウリーが抹消されてしまう不安のない、たったひとつの可能性である。
そしてもちろん、それが神聖な方法だと感じるからだ。神聖なるものこそ、アジラフェルが知る最も善なる形なのだから。
「どうか、どうか、今度こそ、私に彼を救わせてください」
天使よ、あなたはまだ理解していないのか。
あなたはすでに彼の救いであったのに。
***
S1でクロウリーは、自分にとって最悪の事態はアジラフェルが死んでしまうことだと思っていた。
それは間違いだった。
アジラフェルは最後のカードを投げ返し、ひどくクロウリーを傷付けた。それは聖水より、神や地獄が彼にしたことよりも、よほど破壊的な言葉だった。
***
“You can’t leave this bookshop”と口にしながら、クロウリーは「俺を求めてくれないのか」と尋ねている。
“Nothing lasts forever”と口にしながら、アジラフェルは「君のために犠牲にできないものなど何もない」と答えている。
***
“I forgive you.”
“Don’t bother.”
クロウリーに対する想いがあまりに純粋で美しく、神聖なものとしか思えないのだ。アジラフェルはそれを享受したい。祝福され、公然と愛し合い、正しい形に戻すことが待ちきれない。
天使よ、覚えていないのか。彼は何度も言っていたのに。”What else am I meant to be, an aardvark?“
悲しいことに、アジラフェルのこの不理解は、クロウリーが天使を守ってきたせいでもあるのだ。”We’ve been talking for millions of years”とクロウリーはニーナとマギーに対して唸るが、それは本物の会話ではないと指摘される。クロウリーは長い間アジラフェルを守ってきた。彼の好意が言葉に滲み出ている。”You could stay at my place. If you like.” “I’m so sorry, it’s gone. Your bookshop, it burned down.”。チーム。グループ。俺達ふたりのグループ。アジラフェルの表情にだって、同じような好意が幾度も滲み出ていた。クロウリーはアジラフェルを安心させる。大したことだと思わせないよう努力や罰、危険を隠し、”don’t call me nice”と言い返してきた。アジラフェルを危険から守り続け、そしてとうとう、ついにそれはクロウリー自身へ降りかかる。できることならアジラフェルへ助けを求めたくない。弱くなりたくない。愛の光からの追放がどのようなものだったか覚えている。光輪を使うのを見なくたって、アジラフェルが強いことは知っている。けれどアジラフェルはヒロインを演じ、クロウリーはヒーローを演じるのが好きなのだ。もしもクロウリーが「置いていかないで」と言えたのなら、アジラフェルは聞き入れたかもしれない。けれど言えなかった。何千年も言わないできたのかもしれない。もしかしたら、ただの一度でさえ言わずに。
“I think you’re overestimating the trouble we’re actually in” これは悪魔が本屋へ突入するより少し前のアジラフェルの台詞だ。まだルールがあり、誰もがある程度はそれに則っていると信じているのだ。天国が引いた善悪の境界線は、誰かがそれを壊す価値があると判断すれば窓ガラスのように簡単に割れてしまうものであると、彼はまだ理解していない。アジラフェルは間違っていたし、今も間違っている。彼を抹消しようとしたときのガブリエルの顔をアジラフェルは見ていないのだ。クロウリーが天国からも地獄からも罰せられているにもかかわらず、アジラフェルは天国から罰せられたことがないのである。
アジラフェルは正しい行いを成そうとしているが、その複雑さにはまだ気付いていない。クロウリーが世界を救おうとしたことだって理解していない。クロウリーは何度も何度も挑んできた。神の無関心からヤギさえも救った。”You’re being silly” いいえ、天使よ。あなたが頑固なのだ。
アジラフェルが内側から物事を修正しようと考えているのはクロウリーのおかげでもある。変えたいものがあること、それを認識できること。クロウリーがアジラフェルを勇敢で強くしたのだ。
***
“Not kind! Off my head on laudanum. Not responsible for my actions.”
“Will you get into trouble? Well, they’ll surely have noticed downstairs. You just did a very good deed indeed.”
“Trust me, if Hell noticed that little display, I’d already be—“
—S2E3
数年後のアルマゲドンの直前に、アジラフェルは再びクロウリーを”Nice”と評しようとする。クロウリーは彼の襟を掴んで壁に押し付けた。この時アジラフェルは、自身の身の安全の心配など少しもせず、クロウリーが”Shut it. I’m a demon, I’m not nice, I’m never nice. Nice is a four letter word”と唸るのを黙って見ている。
そこには何かがあるはずだ。本当の苦しみ、本当の恐怖、本当の残酷さを知らない存在が、膝の上で餌を食べさせようと愛を差し出している。あなたは自身の混沌から痛みと怒りを削ぎ落とし、一緒にいたいと思ってもらえるような自分を作り上げる。それでもまだ足りない。足りるということはない。“Deep down, I always said you were a little bit of a good person”とアジラフェルが言ったとき、クロウリーはそれを止めようとはしなかった。“None of this would’ve worked if you weren’t just enough of a bastard to be worth knowing” 「just enough of a bastard」では十分ではないだろう。クロウリーの優しさが端々に滲み出ているように、アジラフェルの身勝手さも滲み出ている。クロウリーの忍耐を前にした、アジラフェルの臆病さと頑固さ。
“To the world”とクロウリーは言い、アジラフェルもその意味を理解していると思っていた。双方共に、相手が自分と同じように考えていると思っていた。”I think your exactly and my exactly are two different exactlys.” “I thought we were carving it out together.” “So did I!” 彼らは本当の意味では話し合うことがない。
***
クロウリーは危険を顧みずに善を成す。彼がアジラフェルと取引をするのは、自分達に多くの共通点があることを理解させるためだけではない。クロウリーが善いことをせずにはいられないからだ。本物の、正しい善。天国の意志と地獄の陰謀を騙す行い。地球で暮らしたことのない者には決してできない方法で人間を助ける。彼は宇宙が存在する以前から、宇宙とそこにある全てを愛してきたし、それが消滅することを望んでいなかった。アジラフェルのように芝居がかったこともするし、アジラフェルの仕事を引き受けもする。クロウリーはそれを楽しみさえしていた。ふたりはそうやって互いに結びつけられてきた。それぞれに、互いの帰るべき場所を天国や地獄ではなく地球にしたのである。
アジラフェルも神へ疑問を抱いている。エデン以来、あるいはおそらく、クロウリーの堕天を知って以来。ヨブ記でさえそうであった。アジラフェルは天国に嘘を吐き、欺き、クロウリーと協力して神の計画に逆らってきた。なぜならアジラフェルは、死というものは「天国が気にかけないほどに小さな副作用」であり、システムそれ自体の機能の一部だとは考えていないからだ。“I don’t think it is what God wants”とアジラフェルは不安げに言う。翻訳中に一文が消え去ってしまっただけで、本当には神はただの気まぐれや地獄との賭けで罪のない人々に罰を与えるつもりなんてなかったはずだ、とでも言うように。S2でのムリエルの登場は、アジラフェルがいかに天国から離れてしまっているかを強調する。彼の多くは地球的なものへの愛情でできている。彼は善と悪の間にある、真の善へと近付いている。
たしかにクロウリーはアジラフェルを変えた。けれどもしもアジラフェルが、天国ではなく自分の信じる方法で人間を守りたいと思わなければ、天国が「誤っている」と判断したものの中にこそ人間を救う力があると気付かなければ、クロウリーにだってアジラフェルを変化させることはできなかっただろう。
クロウリーはそのことに少し気が付いている。だからアジラフェルの心を確認できたとき、彼はほっとしたのだ。
***
Good Omensはここで終わってもよかった。けれどS2の核となるガブリエルとベルゼブブの登場によって、これが全て見せかけであったことが突然明らかになった。アジラフェルにはもはや言い訳ができない。彼は自分自身で選択をする。
とても興味深く、そして彼らにふさわしい。ふたりは何千年もの間、本物の会話をしてこなかった。このズレは深く、”Our side”の根底に亀裂が走る。
これはもはや史上最高のラブストーリーである。ふたりは互いを愛し、守り、ルールの変化し続ける世界で愛し合う方法を模索する。彼らは文字通り”star-crossed(すれ違う、星回りの悪い、などの意”である。
私はこれをずっと待っていた。神に見放された時、何を、誰を信じればいいのかわからなくなった時、あなたを知る誰かを見るのだ。誰があなたを見ているのか、誰があなたのことを知りたがってくれているのか。
***
クィアの愛は綺麗なものではない。クローゼットやカミングアウトは単純な話ではない。愛は、愛は、愛は、愛ではない。私はこの表現がずっと嫌いだった。クィアであることは常態化されるべきであり、無力化されるべきではないからである。真に平等であると見なされるまでは、そうであるかのように装うのは虚しい。クィアの愛は簡単なものではない。一般的な愛と同じではない。最も腹立たしいのは、受け入れられているのではなく放り出されている気分にさせられるからである。この世界にクィアとして存在し、クィアとして愛を育むために必要なことを、シスヘテロ主義に牛耳られたこの世界から判断するなんて。あなたたちはあらゆるラブストーリーの中に自分を見つけられる。安全に恋に落ちることができる。シスヘテロとして安全に生き、それが続いていくと信じることができている。同じであるはずがない。クィアの愛は恐怖と切っても切れない関係にある。地球が時を刻み続ける今でも、この痛みは現在進行形にある。私は31歳で、私も私のクィアな大学時代の友人達も、私達が生きている間に同性婚が合法化されるとは信じていなかった。
彼らはなんだって違法化できる。彼らは誰だって奪い去ることができる。(天使よ。彼らは一度、クロウリーを傷付けた。もう一度同じことができるのだ)
秘密と羞恥の中で生きていると、物の見方が変わる。歯を食いしばり抑え込んでいると、愛はまた違ったものに感じられるのだ。暗号と密会によって愛を語るのは、文字通り天罰が下るからである。クィアの愛はトラウマから切り離せない。悲劇から、勝利から、悲嘆から。危険から、悲しみから、恐れからも。
***
“You should know why you’re about to die. God has abandoned you. The God who claims to love you, who demands your praise, has given you up to be destroyed. Bad luck.”
—(S2E2)
神への信頼を失うのは恐ろしいことだ。
けれど、まさにその天国が「知識は罪であり、慈悲は有限であり、権威は絶対であり、罪のない人々を救うことは反逆である」と定める時、自分の人生で最も神聖なものはなにかと問うてみるべきである。何があなたの崇拝と忠誠に値するのか、真に畏敬すべきはなんなのか。
天使よ、わからないのか。善の権威として信頼してきた天国の判断を疑い、神への信仰心を失うのは恐ろしいことかもしれない。けれど、あなた自身への信頼を失うことのほうがはるかに恐ろしいことなのに。
***
アジラフェルは躊躇う。オースティンのヒロインにも匹敵するような表情で震える唇に指を伸ばし、6000年が頭の中で砕け、並べ替えられ、そしてそれが全てまとまる前に、彼は選択を迫られた。「私は間違ってしまったのかも」と喉まで出かかっている。
“You’re an angel, I don’t think you can do the wrong thing.”
アジラフェルは決意を新たにする。すでに台無しにしてしまった。それなら、あとはそれに見合う価値を生み出せばいいのである。彼は、クロウリーが一緒に天使になることが正しいのだと確信している。”I need you” 彼がそれを声に出して認めたのは初めてだっただろうか。やはり彼はクロウリーのためにメタトロンに従ったのだと、私は思う。永遠に共にいられる未来を信じているのだと。”I forgive you”と彼は言った。天国を拒絶した悪魔に向けられる、最も残酷な言葉だ。”Unforgivable. That’s what I am.”
頑固で熱心で、クロウリーの存在を当然のものと思ってきたアジラフェルにとって、これが最良の、そして唯一の償いなのである。
彼にもきっとわかるだろう。アジラフェルは自分に言い聞かせる。自信がなければ彼は行かないはずである(これまでアジラフェルは、クロウリーがいなければ自信を持てないできたのだ)。私がやり遂げれば、私達は天使として善の側に共にいられる。隠れることも逃げることもしなくていい。天国や地獄、地球までもが、クロウリーがいかに善い存在であるかを理解するはずだ。
キスから気を取り直すと、アジラフェルの決意はより強固なものとなる。これは神聖な方法であり、私にはその力が与えられている。私はまだ正義を信じている。だからクロウリー、君の罪を許そう。我らを試みにあわせず、悪より救い出だしためえ。国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり(『主の祈り』より)。
千年来悪魔であったクロウリーに天使の皮を着てくれと頼むことは、「許され得る方法で私を愛してくれたなら、私も君を愛そう」という最大の恐怖の実現であるのだとアジラフェルは気付かない。
天の愛は条件付きでありそれを必要とせずに生きる方法を学び取ってきたのだと、それに気付いてほしいと、クロウリーは静かに懇願してきた。そのことにアジラフェルは気付かない。クロウリーはアジラフェル以外の愛を必要としていない。
クロウリーがずっと望んできたのはそのままの自分でアジラフェルに愛されること、それだけなのだ。
そして彼はやっと、やっとそのチャンスが巡ってきたと思ったに違いない。
天才的で破壊的である。「元の場所へ戻ってこい」は「自分で道を切り拓け」よりもよほど安全で、他者を巧みに操る。この誘惑の影響は、アジラフェルが心の片隅に抱えながら断固として名付けまいとしてきたものを凌駕した。彼の目を見ればわかる。これは救済である。これを断ることはできない。もしも自分でルールを決められたなら、一体誰を救うことができただろう。ずっとそう考えてきたに違いないのだから。
彼は人間ではないが、クィアである。彼の愛は禁じられ、阻害され、教えられてきた道徳へ反している。そして、差別的なシステムの中で出世する機会を得られたクィア達と同じように、彼も内部からシステムを変えられると考えている。誰にもできやしない。だから悪魔が存在するのだ。システムがあなたを食い尽くすか道具に成り下がるか、それ以外にシステムの言いなりになりながら自分自身の感覚を保つ方法などない。
常態化。同化。尊敬。
クロウリーがずっと以前に通り過ぎた何かに、アジラフェルはまだ気付いてすらいない。彼らは神よりも互いを信じてきた。何度も手を取り合い神の意思に背いてきた。何度も、何度も。天界の誰よりも地上の善について明確な感覚を持っているからだ。
それにね、天使。堕天以降、クロウリーが唯一信じてきた存在、それがあなただ。
***
誰に隠すことなくクロウリーを愛すためならばアジラフェルはなんだってするのだと、そのことにクロウリーは気付いていない。アジラフェルにとってはこれこそが道であり、夢を超えるものなのだ。ついに、どれだけクロウリーを愛しているのか隠す必要がなくなる。ついに、皆がクロウリーの良さを知ってくれる。ついに気遣いや喜び、そして愛を、善の源である神聖さと一致させることができるのだ。
神への愛に匹敵するほど誰かを愛するとは思ってもみなかった。
けれどクロウリーを愛した。
だから、きっと、これは何かの間違いに違いない。
クロウリーは悪ではない。
そしてそれは完全には間違いではない。あまりにも表面的な部分を見すぎているだけだ。クロウリーが天使ではなくても、あなたは彼を愛せる。悪魔としての彼を愛したってさせて問題はない。あなたと彼とに大きな差はない。そのことにクロウリーは気付いてほしいのだ。それはあなたと彼が天使や悪魔として特別だったり、変わっていたりするからではない。その区分そのものが嘘だからだ。天国、地獄、それらはチェッカーのように魂を弄び、行く先々でルールを変えていく怪物の名前なのだ。
***
“One fabulous kiss and we’re good. I have a plan. Get humans wet and looking in each other’s eyes, and then—vavoom.”
恋に落ちる最善の方法は雨に濡れることだとクロウリーは思っている。遥か昔、クロウリー自身にそれが効いたものだから。
あのキスは絶望的で暴力的だった。半分は、クロウリーが自分を抑え切れず、やけっぱちで、失うものは何一つとしてなかったから。
そしてもう半分は、ほら、映画ではそういうことってあるでしょう。”I saw it in a Richard Curtis film.” ベントレーの窓にいまだに付いている007の弾痕風シールは、格好良いと思って1967年に買ったものだ。ジェイン・オースティンといえばダイヤモンド強盗の主役くらいしか知らないクロウリー。
唇を開き、胸を張り、整頓された本屋の中、サングラスすらなしにアジラフェルを見つめる。そのつもりだった。計画も立てた。クロウリーはその言葉を、おそらくはまったく違った口調で問いかけることを想像しながら、練習したに違いない。多くのことを一緒に経験してきた天使。ガブリエルがベルゼブブに手を伸ばした時、自分へと手を伸ばそうとした天使に。彼のために戦えと言われた天使に。天国が怒り、地獄が差し迫る中、踊ろうと手を取り誘った天使に。
クロウリーは焦がれるのをやめた。
これはクロウリーの愛を証明するためではなかった。彼はすでに何度も何度も、アジラフェルがアジラフェルだからこそ選ぶのだと、それを示してきた。アジラフェルが差し出すものならば全てが欲しいと、それを証明するためだった。「俺を欲してくれるのか、天使さん。俺もそうだ。俺もお前が欲しい。こんなにも。これが人間だ。お前の中でいらないものなんて何もない。俺はお前のものだ。お前がお前であるなら、お前の差し出すものは全て欲しい」
「本物の人間みたいにキスをしよう」
クロウリーは、神の愛を失って以来、ありのままの自分を愛してくれる唯一の存在を見つけたと思っただろう。
Smited, smote, smitten、全てが終わり、ここにいる。
***
何かを育てるのが大好きなクロウリー。道徳的議論に重きを置く武器は盾と同じくらい脅威になりやすいことを理解しているクロウリー。どんな天使よりも人間の重みを理解し、ヨブのように、大洪水の犠牲者達と同じように、ヤギや多くの人間達と同じように、天国から見捨てられたクロウリー。気まぐれか計画か。無視され、答えをもらえず、尋ねただけで罰された。
アジラフェル、まだわからないのか。本当の善良さを、あなたはクロウリーを通して理解しているはずだ。それはクロウリーが天国にいるべきだという意味ではない。善と悪の区別は、あなたが信じ込まされてきたものほど二元的ではない。強力なシステムを内部から修正することなどできはしない。
クロウリーはそれを理解している。彼はアジラフェルにそれを知らしめようとはしてこなかった。ただ、アジラフェルもそれに気付くことができるのだと、そう示してきた。誘惑せず、懇願しない。アジラフェルが自ら気付くことが必要なのだ。
そしてそれ以上に、クロウリーはアジラフェルに自分を選んでほしいのだ。強要するのではなく、一緒に去ることを選んでほしい。それはクロウリーがその愛ゆえにしない、できない唯一のことだ。
アジラフェル、あなたは悪魔と恋に落ちた。悪魔を愛するために悪魔をやめさせることはできない。それはあなたの愛した悪魔ではない。クロウリーは良い存在だと考えるのではなく、クロウリーを悪と呼び追い出したことから天国は信頼できないと学び取り、善と悪との境界線についての考えを変えなければならない。天国は彼にとって安全な場所ではない。天国は誰にとっても安全な場所ではない。あなたはありのままの彼を愛さなければならない。それでないのなら、それはもはや愛ではないからだ。そしてたしかに、あなたはありのままの彼を愛している。メタトロンが聖なる方法でクロウリーを愛する力をあなたに与えてしまったから、そして愛がクロウリーを破滅させ得る状況に怯え続けることに疲れ切っていたから、あなたは選択を誤ったのだ。
皮肉なものだね、アジラフェル。ああ、本当に。
***
悲劇的なのは、根本的にはふたりともお互いを大切にしようとしているという事実だ。
けれど、クロウリーにはもう何もできない。
そしてクロウリーは待つ。おそらくテナントにとって、ローズ以来の最も破滅的で象徴的なシーンだ。
クロウリーはキスのためにサングラスを掛け直した。アジラフェルが”if I’m in charge…”と言いかけたとき、クロウリーにはすでにわかっていた。彼がサングラスを掛け直したのは地獄の黄色の目を隠すためだっただろうけれど(それはアジラフェルのお気に入りの色だった。”but it’s pretty”)、避けられない心の痛みを必死に信じまいとして張ったバリアでもあったはずだ。
***
“I’m not taking you to hell, angel. I don’t think you’d like it.”
クロウリーは優しく忍耐強い。アジラフェルに献身的である。彼は喧しく、興奮しやすく、あまりに気難しく、非常に賢くて同時に救いようのないバカだ。クロウリーだってそうだ。
***
“No nightingales.”
ふたりとも、初めてのキスを台無しにされてお互いに腹を立てている。
アジラフェルの”I forgive you”がキスへ向けられたものではないと、私は思っている。とても些細で瞬間的なことだった。まだ次のチャンスがあると考えているだろう。彼はまだ、これが謝罪ダンスレベルの問題だと思っているのだ。アジラフェルは許すことが好きだとE1でマギーに語っている。彼の好きなことのひとつなのだ。けれど、私達のように教会で育ったクィアは、優しさではなく支配から生まれる「許し」があると知っている。「あなたを許す」という言葉は、あなたの行為を罪とし、許す側に慈悲深さの優越性を与える。アジラフェルにはその生意気な態度がよく似合う。けれどこの状況には見合わない。彼はまだ事の重大性を理解していないからだ。
“I don’t think you understand what I’m offering you. We could be together!”
“I understand a whole lot better than you do, angel.”
アジラフェルは初めて、クロウリーと共にあることは運命なのだと信じ始めた。
クロウリーは初めて、運命などではないのかもしれないと考えることを余儀なくされた。
***
クィア・ストーリーテリングとは美学を超えたクィアを意味している。クィアとは、恐怖や脅威の元に下される困難な選択のことである。クィアとは、悪影響があるから一緒にいてはいけないと追い出された親友への、混乱した愛である。私達の未来はどうなるのだろう。どこでなら安全に一緒にいられるのだろう。どこに行けば私達の間にあるものを育んでいけるのだろう。そして、それは何を意味するのだろう。クィアとは台本のない愛であり、その定義はふたりで決めるものである。
クィアの愛が時に激しく、急なものに感じられるのは、自分が何に踏み込んでいるのか、そのリスクを、少なからず理解しているからだ。許可は取り消されることがある。法律は変わる。彼らがいつまた敵対するようになるのかわからない。全ての瞬間があまりに脆い。欲しくて、どうしても欲しくて、そして手に入らない。それだけがはっきりとわかっている。
ベントレーが黄色になっていくのをクロウリーが感じられていたのであれば、世界の果てにある空軍基地へ、アジラフェルを目指して炎の中を走り抜ける、それがどんな気分だったのか想像に容易い。
ああ、これこそ、私がずっと待ち望んでいたものだった。クィアの愛は、シシェットには想像もつかない方法で癒し、傷付ける。ラストの痛みは凄まじかった。彼らが深く愛し合っていなければ、アジラフェルがこんなにも深くクロウリーを傷付けることもなかった。ふたりを打ち砕くために作り上げられたこの物語が、彼らを手厚く元に戻すことに正義を尽くしてくれるだろうと信じている。
未だこの物語のあまりの正当性にショックを受けている。これはずっとラブストーリーだった。アジラフェルとクロウリーが今や言外の愛を探り合う必要がないように、私達ももう行間を読む必要はない。そのことに、私はやっと安堵している。