ドラマCD千秋貴史を聞いて改変してしまった過去の幻覚 (ドラマCD千秋貴史のネタバレあります)
ある土曜日の朝、千秋は目覚めると先日越してきたばかりの新居のものではない、知らない天井が目に入った。
昨晩は特に誰と過ごしていたわけでもなく、実家の妹から「映画館で友達と見て面白かった映画がテレビで放送されるから見て」と言われた映画をなんとなく見て、そのまま眠りについたはずだ。
横になっていたベッドから起き上がって辺りを見回すと、側にあったローテーブルの上の飲みかけのスポーツドリンクのペットボトル、乱雑に置かれた声楽の楽譜、経済学の教科書が目に入った。
とりあえずこの家が誰のものであるかの情報はどこかと思い、枕元に裏返されている充電ケーブルに挿さったままのスマホを手にした。それは明らかに千秋のものではなかったが、指紋認証で容易にロックが解除された。
まさか、と思い千秋はそのスマホのカメラアプリを立ち上げ、自撮りモードにしてみた。
するとレンズには高校時代にいつも華桜館の円卓越しに目にし、そして今では大学の授業で目にする、四季斗真の眠そうな顔が写っていた。
入れ替わり。それこそ自分が昨日見た映画のような、フィクションでよくある展開が頭に浮かんだ。
信じ難いと思ったが、意外と冷静に考えられた。もし入れ替わりだとしたら、おそらく相手も自分と似た状況に驚いていることだろう。
とりあえず、自分が今手にしているスマホに入っているメッセージアプリを開いた。
最近四季と個人のチャットをした記憶はないから、高校時代に作った華桜会5人のグループトークのメンバーリストから、自分のアイコンをタップして通話ボタンを押した。
呼び出し音が鳴っているとき、千秋は四季のメッセージアプリのトーク履歴の一番上に幼なじみである冬沢亮のアイコンがあったのを思い出していた。
高校時代に華桜会だった5人は同じ大学に進学したため、高校のときのように5人で顔を合わせる機会は少なくなっていたが、誰かしらと同じ授業を受けたり話したりすることは多かった。
高校時代の業務連絡が中心だった会話とは違い、雑談したり笑ったりすることが多かったその時間は、とても楽しく感じた。
そんな付き合いの中で、本人たちからそういう報告を受けていたわけではなかったが、自分が見た光景や聞いた言葉、いくつかの情報が繋がったとき、千秋は一つの結論に辿り着いていた。
幼なじみである冬沢亮は、元華桜会の首席であり、千秋の同級生でもある四季斗真と付き合っている。
男同士なのだから、付き合っているという表現が正しいのかはわからないけれど、おそらく友達ではない特別な関係であることはなんとなくわかっていた。
本人達から聞いたわけでもなく、ましてや自分に関係のあることではないしと、なるべく考えないようにしていたことを思い出し少し気が滅入ってきたところで、呼び出し音が切れ相手が出た。
電話で四季と話したことは、
とりあえずまた数時間寝て、起きたら元に戻っているかもしれない、明日も休みだから明日も元に戻っていないなら明日考えよう、ということ。そして、今日冬沢と会う約束をしていたので、四季の携帯で断りの連絡を入れてくれないか。ということだった。
千秋はのんびりしたことを言っている場合かとも思ったが、だからといって急いで何をしたから元に戻るというわけでもなさそうだし、四季の提案も正解ではなかったとしても別に間違いではないと思い、ひとまず今のところは再び眠ることに同意した。
問題は冬沢への連絡だった。冬沢のことだから、急用ができたと言ったら面倒なことを言ってきそうだと思ったし、四季が体調が悪いと言ったら死ぬつもりかと家に押しかけてきそうだ。だがそう考えたところで、冬沢が交際しているような相手のそういう行動にどんな反応をするかなんて知らないし、知りたくもないことだった。
あれこれ考えるのも面倒な上、当日の連絡なのだから早めに伝えたほうがいいと思い、一番手っ取り早いと判断した体調不良ということにした。
当たり障りのない言葉を使って断りのメッセージを入れた後、既読がつくのも見ずにスマホを放り出した。
返事をしなかったとしても体調が悪いんだから仕方ないだろう。そんな言い訳を心の中で唱えながら、四季と冬沢のチャットの履歴の内容をなるべく見ないようにメッセージを打ち込んでいた先程の自分を思い出し、再び気が滅入ってきたところで眠りに落ちた。
そこから数時間も経たないうち、数回のチャイムの音と、ガチャリという鍵の開いた音で目が覚めた。身体は元には戻っていないようだった。
嫌な予感はしていたが、案の定玄関に面したキッチンから繋がる部屋のドアの前には冬沢が立っていた。四季から合鍵をもらっていたから中に入ることができたのだろう。手には黄色いドラッグストアのものと見られるビニール袋を持っていた。
本当に体調不良が悪いわけではなかったので、起き上がって対応するのにはリスクしかないと思った。しかし、こちらが起きているのに気付いた冬沢はこちらに向かって強い口調で話しかけてきており、最早狸寝入りをするのは不可能だった。
ベッドから体を起こし、買ってきてくれたものを受け取り数分話して帰ってもらうつもりだった。
自分だって役者の端くれである。その上に四季の振りもしなくてはならなかったが、数分間の体調不良の演技くらいやってやれないものではないだろうと、それらしい演技でやり過ごそうと思った。
「四季、おまえ体調なんか悪くないだろう」
しかし、自分の演技が下手だったのか、そういう勘が冴えているのか、それとも四季の様子を冬沢が見破れないわけがないというのか、あっさり冬沢は自分の体調不良の演技を見破ってきた。
「急用があったのならそう言ってくれればよかったのに。それとも俺に会うのが面倒になった?」
長らく見たことのなかった彼の心許ない様子にびっくりしたものの、あまりにも冬沢が不安そうに言うので、千秋は思わず罪悪感がこみ上げてきてしまった。しかし、本当のことを言って信じてもらえるのだろうか。千秋の部屋で千秋として過ごしている四季のところへ2人で行って、状況を説明するべきなのか。
どうしたらいいか必死で考えて黙っていると、冬沢は膝をついて自分の胸に彼の頭を当て、四季が着ていたパジャマの袖を摘んで押し黙ってしまった。
「亮、」
これ以上は無理だ。そう思って、本当のことを話そうと、千秋が呼んでいる冬沢の名を口にした。すると、冬沢がぱっと顔を上げて言った。
「こんな状況で俺を下の名前で呼ぶなんて、ちょっと薄情なんじゃないか」
「初めてだったか」
言葉が返ってきてしまった流れで、四季の振りをし直してそう言うと、初めてだよ、と返してきた。
高校時代、冬沢は決して自分のことを見ない相手のことを想っていた。そして千秋は、そんな冬沢をずっと見てきた。冬沢もまた、千秋のことを振り返って見てはくれなかった。
華桜会として運営をしていた綾薙祭でのあの日、確かに四季も冬沢も千秋も、それぞれに対する向き合い方を見つめ直すことができたと思う。
それでも、自分はいつまでも後ろから冬沢のことを見守るばかりだった間に、四季と冬沢は思いを通わせあったのだろう。
かつて一方的な気持ちを拗らせて仲違いしかけた相手と、新たな関係性を築くことができた冬沢は、「千秋貴史」が散々呼んできた下の名前で四季に呼ばれたというそれだけのことで、こんなに嬉しそうな顔をするのか。
「千秋貴史」には決して向けられないであろうその顔にしばらく見入ってしまった四季の姿をした千秋は、気づくとその顔に口づけを落としていた。
もうやけくそだった。
「亮、おまえが好きだ」
我ながらストレートにも程がある言葉だが、それしか言葉が見つからなかった。
四季の演技など忘れ、紛れもない「千秋貴史」が冬沢亮に溢した言葉なのに、千秋にとってそれは冬沢には一生届くことのない言葉だと思った。
ずっと嫌いだと言ってきた。
そうやって自分を縛ってきた。
自分がずっと見つめ追いかけてきた幼なじみと、今後寄り添い、共に生きていくパートナーとなるのは後にも先にも千秋貴史ではない。
そんな人間が初めて冬沢を下の名前で呼んだのが、四季斗真本人の意思ではなかったというのは冬沢にも四季にも悪いと思った。
しかしせめて今だけは、という欲と、
それに対する後ろめたさと、
誰に向けたものかもわからない「ざまあみろ」
が入り混じった何とも言えない気持ちだった。
自分がどんなに演りたかった役でも、自分の力でその板の上に立つことができないのなら、惨めな思いをするだけだというのは児童劇団にいた頃、冬沢の役のアンダーに選ばれたあの日に痛いほど分かっていたというのに。
ついでに、体調不良のフリだって分かるヤツには簡単にバレちまうんだぜ、と千秋はあの日の幼い冬沢の顔を思い浮かべながら、目の前にいる青年のセーターの裾に手をかけた。