bbbネタバレ有り考察
正直こんなのほんとにやだなんだけど乱数は短命の定めか体が正直よくないと思う。
先ずそもそも、乱数とは「次に何が来るかわからない状態で配列された数字」ことを示します。要は、「良くも悪くも先が分かりません」
これを前提に考えた上で、寂雷先生の歌詞を考えると、「君の未来 不安定」なのはよく分かるんですけど、じゃあ、「気づけば僕のクランケ」って何?ってなりません?
あのバトルでてひどくやられて、私に体を治療されるハメになるよ?ということはよく分かるんですが、じゃあ、このバトルで負ければいいと述べればいいんです。なのに、君の未来が不安定だから気づいたら僕のクランケになるよって言ってるんです。しかも、一人称が基本的に「私」であるはずの寂雷先生が「僕」って言ってるんです。
もうこれは、正直、乱数の身体はあまり持たないことの示唆として考えられると思います。そう考えると、辻褄が合う部分が沢山あります。
先ず、迷宮壁について。
「雑踏に紛れ込んだ民たちもいずれ息絶える。
明日かもしれない。
いや今かもしれない。
だとすりゃ笑ってられない。
黙ってはいられない。
正解はない、だが追い求め走りたい。
嘲笑いも仕方ない、命は儚い、
ならばこの身一つで死ぬ直前には笑いたい。」
ここの雑踏に紛れ込んでいるPV演出がなされているのは、シブヤだけです。シンジュクもヨコハマもイケブクロも人口は多いのに。そう考えると、唯一、寂雷先生が黙っていられないから「特別に礼儀を教えられる」人は乱数だけです。
次に、
「十二色の色彩じゃ収まりきれないほどの
何種類の声や表情がある。
一筋の光明、手を伸ばす、
記憶にも残るの?
今も尚、蔓延ってる、世の不条理、
誰だって笑いたい。誰だって夢見たい。」
誰だって笑いたい、誰だって夢見たいと言っているのはどちらかと言うとシブヤです。世界を面白くしたいという目的そして、PCCSの歌詞からも明らかでしょう。そう考えると、「シブヤの考えを肯定している」のに「否定せざるを得ない」のが寂雷先生のスタンスです。
正直、迷宮壁に関しては歌詞を読んで、「乱数の身体が弱くてもう持たない」そして「過去に誰か失っている」ことを前提に読んだ方が色々と納得する気がします。
次に、乱数のbbbのリリックに移ります。
「フランケンみたいにかっこよくて強いやつじゃなきゃ不満です。」→今の身体に納得が行っていないことの示唆。
「何度だって懲りず復活できる今日から」→何度だって立ち上がってきたからこその「出来る」という言葉→復活しなければならない状況にずっといた。
ということなんだと思います。
一郎の「与えよ生命 それだけが業」より、わたしは山田三兄弟は恐らく通常の生殖の下に生まれていないと考えているのですが、仮に乱数が似たような状況であったとします。個人的ですが、具体的に設定するなら、ブラックジャックのピノコみたいなものを想像しててもいいのかなぁとは思ってます。
そうなると、シブヤのドラマCDで「臓器を売る」ことに対する「当たり前」とでも言いたげな軽さがやけに引っかかります。普通は「誰にでもわかる冗談」の筈なのに、乱数にとっては「そうでなかった」可能性を考慮した方がいいと思います。
以上より、私は寂雷先生の元患者が乱数であるとほぼ断定します。
で、そう断定した上で話を進めます。
寂雷先生の行動理由は人を救うことです。その中で、もしも「寂雷先生の手のひらから零れ落ちようとしている生命」があれば、絶対に寂雷先生は動く筈です。そう考えると、寂雷先生が、「そろそろテリトリーバトルの時期だから」テリトリーバトルに出るというのも分かると思うんです。
それは、「乱数がテリトリーバトルに出てくることがわかっているから」という理由です。ヒプノシスマイクが性質上、体に良くないのは明瞭だと思います。それを分かってて止めないのが寂雷先生なのか?という話なんです。そして、それに賛同しない観音坂独歩と伊弉冉一二三なのかという話になります。二人は命を脅かしたストーカーの女性ですら助けようとした二人です。仮に乱数がこんな状況なら助けるために「真剣に潰し」てもおかしくないと思います。
これなら、薬師如来のアナグラムの名を持つ先生が、神にすがる構図が出来上がります。これこそまさに、仏にすがることで、真理を得る修行の道のあるべき姿かと思います。
そして、Fling posseに話を移します。
夢野幻太郎の元ネタは夢野久作だと思います。彼はご存知、ドグラ・マグラの作者です。このドグラマグラという作品の最大の特徴だと私が思うのは「メタフィクション」作品であるということです。
メタフィクションとは、それが作り話であるということを意図的に読者に気付かせることで、虚構と現実の関係について問題を提示することを示します。
ここで、虚構を話す幻太郎の話しが「病に臥せる青年の話」です。そして現実が「乱数の身体が持たない現状」だとします。この二つを持ってして、メタフィクションを成立させようと思えば成立させられます。
そしてここで、「ジョーカー」である帝統です。もし、「メタフィクション」を「覆す」ためのジョーカーなら、そうであって欲しいと思うばかりです。
加えて、乱数の「今を生きている」「世界はもっと面白いはず」「人の過去のことを何度も持ち出すんじゃねぇ」ここら辺から、もう過去に関してはお察しという感じなのですが、乱数には「未来しかない」と考える方が妥当なのかなという気がします。
過去VS未来、現実VS夢、忍耐VS挑戦、安定VS博打
という構図の中、乱数が「せめて生きているうちに」と思ってテリトリーバトルに参加することも、「できるだけ長生きしてほしい」から寂雷が参戦することも対立構造からも分かると思います。
あと、寂雷が礼儀を教えようといったりする所から、恐らく乱数への嫌悪ではなく、乱数の態度、生き方への嫌悪があると言えます。その上で昔に戻ってほしい、と彼が願っているならそれは恐らく「大人しく治療を受けてほしい」ということなんだと思います。それがたとえ「乱数の夢をぶち壊す」ことになったとしても。
そのような行為をマキャベリズム的だとも言えますし、オスカーワイルドの「人生には選ばなければならない瞬間がある。自分自身の人生を充分に、完全に、徹底的に生きるか、社会が偽善から要求する偽の、浅薄な、堕落した人生をだらだらと続けるかの、どちらかを。」という言葉通りの状況の中で、乱数が前者を選んだとしてもおかしくはないと思いますし、オスカーワイルドも前者を選ぶでしょう。
あと、乱数が声を甲高くしたのは、女尊男卑社会で「差別され不満を抱く男性」の「都合のいい捌け口」として「まるで女のような男」という存在があると思っています。それに対する、「女性という盾」を使った防衛方法と考えても悪くは無いかなぁとは思います。そして、そういう防衛方法に対して、「男性として立場も容姿も恵まれた」寂雷が不寛容、不理解を示しても変な話ではないかなとは思います。
以上のように考えると、辻褄が色々あうなぁ・・・と私は考えました。凡そ与太話であるので、参考程度にしてくださったら幸いです。
正直、乱数が短命とかそういう考えに至ったのを認めたくなくて見て見ぬふりをしてたんですが、それじゃ気持ちが持たなくて気持ちに整理をつけるために書きました。
長々としたものですが、読んでいただいてありがとうございました。
シブヤ!Fling posse!キングとってかっ飛ばそう!!!!
追記 乱数の現状について、一二三や独歩が知らない可能性多分にありますし、何にせよ、独歩はサイコ気味だし、麻天狼は最高だし、彼等が破天荒なのはその通りです!!
更に追記
有栖川有栖→ミステリー小説家
飴村行→ホラー グロテスク小説作家
なので、飴村行に関連する乱数が何かしら体にトラブルを抱えていたりしても、また、飴村行の代表作粘膜人間も内容が内容なので話は伏せますが中々ヘビーな作品ですし、とある登場人物の身長が「195cm」であったりします。その上、内容を考えると、何かと関連しててもおかしくはないかなぁとは思います。
また、有栖川有栖はミステリー作家ですし、「ヒプノシスマイクの世界の謎」を何らかの形で解き明かすのが帝統の「ジョーカー」としての役割なんだと思います・・・!
物凄く大きな反応を頂いておりますが、重ね重ね申し上げますように、これはあくまで予想されてもおかしくない道筋の一つに過ぎない、謂わば冗談や可能性の類の不確定なものです。皆さんのヒプマイライフのスパイス程度に考えていただければ幸いです・・・宜しく御願い致します・・・