茨木童子と渡辺綱の関係性って渡辺綱の思い人だった女性の娘が茨木童子ってことですよね!?説について自分なりのまとめ
今まで各所で小出しに触れられてきた情報と5.5章の情報から見てやっぱり渡辺綱→茨木童子への感情って「初恋の人の娘」なんですかね......?というまとめです。FGOマテリアルとか各サーヴァントの幕間やマイルーム台詞のネタバレとか当然5.5章のネタバレがあるので注意だぞ!
○茨木の母親について
茨木の母親について一番詳しく書かれてるのがFGOマテリアルⅣの茨木童子の項目なんですが、ここで茨木の母親は
「母親は高貴な血を引く者であり、幼少時はその母親に厳しく仕付けられ、鬼としての矜持を学んだ。......もっとも。第三者から見れば、あの母鬼の躾に愛があるようには見えず、迫害に近いものだったとも言われているが。」
と描写されています。5.5章にて綱は自分の思い人について「貴人の娘」と表現していたり「自分とは身分違い」と表現しているので、茨木の母親に関する「高貴な血を引く者」という特徴に当てはまっています。一つ気にかかるのが茨木の母親は恐らく人間なのでマテリアルⅣの「母鬼」という表記が当てはまらないのでは?という点なんですが、マテリアルⅣ発売から暫く経って実装された紅閻魔ちゃんが茨木宛のマイルーム台詞にて
「あちきは地獄の鬼でちが、あちらは現世の鬼のようでちね。酒呑童子にはやんごとなき神の血を感じまちゅが、茨木童子からはあちきと同じ匂いがするのでち。……元は人間、だったのでちね」
と言っているので人間の親から生まれたと見ても問題無いかな、と思います。母鬼の表記はマテリアルⅣ発売当時そこまで設定が固まってなかったのか、「鬼のように恐ろしい母親」という意味なのか、実は綱の思い人も鬼だったのか、そこら辺は分からないですね......。
もしもマテリアルIVの「母鬼」の表記通り綱の思い人が実は鬼だったとするなら、鬼としての性質が色濃く出始めた娘を父親が屋敷に隠して、人間の子を身ごもった鬼の母親がその子供に無理やり鬼になるよう教育をしたのかもしれん。茨木ちゃん、根が真面目な子なので人間の頃に「鬼のように振る舞え」て言われてもそれは無理な話だっただろうな……。
「人間が鬼の子どもを生めるの?」問題に関しては頼光さんと巴さんが人の親から生まれた鬼なので特に不自然ではないと考えられます。ちなみに頼光さんの親は父親が鬼子の頼光さんを殺そうとしたのを母親が止めて頼光さんを寺に送り、巴さんの親は両親ともども「珍しい子どもだなあ」と思いつつ健やかに育てているぞ!鬼の親 皆違って 皆良い(虐待は良くない)
そもそも頼光さんや巴さんは生まれた時から鬼子だったのに対して茨木は恐らく人の子供が鬼に変生しているのでそこら辺の違いもある。
○茨木の境遇について
紅閻魔の幕間にて、酒呑と茨木は
「苦しいことより楽しいことがしたくて、屋敷を飛び出したんちゃうん?」
「う――うむ! その通りだ! ”鬼は鬼らしくあれ”そう誇りをもって、母上に送り出されたのであった!」
という会話を交わしています。酒呑が茨木の境遇を「屋敷を飛び出した」と捉えているのに対し、茨木自身は自分の境遇を「母上に送り出された」と認識しています。
この認識の違いは、茨木が人から鬼に変生した際に認識が反転したか、茨木が虐待を受けていた事実に対する防衛本能で認識を歪めているかのどちらかではないかと思います。実際には「屋敷を飛び出した」ことを「母親に送り出された」と認識し、迫害の言葉の数々を「鬼はかくあるべしと教えられた」と認識しているのではないかと思います。
実際に、この会話の直前、茨木は紅閻魔の境遇に思いを馳せながら
「哀しくなった。よく分からない気持ちが湧いた。できない事をしようと努力する。血を吐くような気持ちのまま笑顔を作る――。......何か、昔。吾にも、そんな事があったような――」
と話しています。この「できない事をしようと努力する」「血を吐くような気持ちのまま笑顔を作る」といった思い出が、茨木が忘れている母親に虐待されていた頃の記憶なのだと思います。
○5.5章で語られたこと
以上のことを踏まえて、5.5章での綱と茨木のやりとりを振り返ります。
まず、綱の思い人についてです。綱は彼女について
「あの御方は誰と結ばれることもなく。いつしか、父君にあてがわれた屋敷に籠もった。様々な噂があった。二度と見られぬ姿へと変わる病に罹ったのだとか、何かの罪を犯して蟄居の身となったとか、狂を発して言の葉を失ってしまったとか。......さる貴人の子を身籠もったとの噂もあった」
「俺は――いつ頃まで顔を出していただろうか。あの笑顔、穏やかな天女の如き横顔を目にしては、何が何だか分からずただ首を傾げていた。病であるものか。罪など犯すはずもない。狂を発しているものか。子については、よく分からなかったが」
と言っています。ここで注目すべきは、彼女が屋敷に引きこもった理由について実際に彼女と出会った綱が唯一否定できていない可能性が「子を身籠もった」というものである点です。彼女に関する様々な噂について文末に据えられ特に強調されているのが「子を身籠もった」という噂であることからも、恐らくこの噂こそが彼女が突然屋敷に引きこもった理由なのだと思います。引きこもった理由については望まない子供だったとか子を成した相手が公になったらまずいひとだったとかその辺かな……。望まない子供だから茨木を虐待したのかもしれないですね。
綱は思い人との思い出の回想で、彼女が亡くなっていた時の状況を
「すべて死んでいた。主人も家人もすべて諸共に、死んでいた。あの御方も、死んでいた」
「其処を走り回ったらしき、小さな足跡を、俺は見た。足跡の主は誰も生かさなかった。すべて、殺した。喰らわずに、ただ噛みつき引きちぎって殺していた。喰らわなかったのか。喰らえなかったのか」
と言っています。「走り回った小さな足跡」という文章が表示された時に茨木の立ち絵のシルエットが出てくることから、この足跡の主は茨木であり、綱の思い人を殺したのも茨木と見て間違いないでしょう。
気にかかるのはその後の綱の言葉です。
「晴明殿の結界を越えて京に入り込んだ小鬼の仕業であろうと、検非違使庁は断じた」
と彼は話しています。「検非違使庁は断じた」という物言いは、「綱はそう思っていない」ともとれる表現です。彼がこの惨状を「鬼による惨事のありさま」と言っており、実際に綱の思い人を殺したのが茨木である以上、「小鬼の仕業」であることは間違いありません。
ならば、綱が検非違使庁と見解を異にしているのは「晴明殿の結界を越えて京に入り込んだ」という点だと考えられます。綱の思い人を殺した小鬼=茨木は、結界を越えて京に入ったと綱は思っていないということです。それでは、茨木はどこからやってきて屋敷の人たちを殺したと綱は思っているのでしょう。
外から入ってきたのでなければ、茨木は元々京の中にいたということになります。そして、茨木の母親の描写と綱の思い人の描写に幾らか共通点が見られること、綱の思い人が子どもを身籠もっていたのであろうことを考えるならば、茨木は元々綱の思い人の娘として屋敷にいた、と考えるのが妥当ではないかと思います。
ちなみに綱の思い人が籠もっていた場所が「屋敷」と表現され、酒呑が話している茨木の境遇が「『屋敷』から飛び出してきた」と表現されていることからも、茨木は母親と屋敷の人たちを殺して屋敷を飛び出したのではないかと考えられます。
更に綱は頼光の屋敷で茨木と相対した時
「未だ、人血の一滴さえ啜れずにいるのか。茨木よ」
「未だ、何一つ思い出せぬのか? 己が何者か。己が如何に産まれ、如何に育ったのか。あの屋敷で何があったのか――。あの御方を、お前は......」
と話しています。
「未だ人血の一滴さえ啜れずにいるのか」という言葉は御山から京へ襲来してきた時の彼女の行動を指しているようにも思えますが、回想で綱がわざわざ屋敷の人たちを殺した鬼の殺し方について「喰らわずに、ただ噛みつき引きちぎって殺していた。喰らわなかったのか。喰らえなかったのか」と言っていることから、この言葉の意味は「(かつて屋敷で人を殺した時のように)未だ人血の一滴さえ啜れずにいるのか」という意味だと思います。
更にその後の「己が何者か。己が如何に産まれ、如何に育ったのか。あの屋敷で何があったのか――」という言葉は、さも綱が茨木の産まれ、育ちを知っているかのような言葉です。茨木がどのように産まれ、育ち、あの屋敷で何があったのか。それまで出ている情報を合わせて考えるならば、その答えは「綱の思い人の娘として産まれ、迫害されながら育ち、虐待に耐えかね鬼となった茨木はあの屋敷で『あの御方(綱の思い人)』を殺して飛び出した」となるのではないかと思います。
5.5章において、茨木は綱に対し
「吾のこの姿に他の何をも重ねることは許さぬぞ」
「汝の前に立つは吾だ。であるのに汝は他の誰を見やるのか」
と頻りに言っています。こういった言葉から、綱は茨木に対して誰かの面影を見ていると考えられます。
そしてそれが誰か、というヒントが出ているのがメディアリリィと綱の別れの場面です。メディアリリィは綱が茨木を見る視線について
「綱さまが仰っていた、憧れのお方について......そのお方と茨木童子には、何かの謂われがあるのでしょうか。綱さまが彼女を目にするときの眼差しには、どこか、失われた尊さの欠片を慈しむような、そんな気配があって――」
と話しています。それに対して綱が「お前は本当に敏い女だ」と返していることからも、メディアリリィの指摘は的を射ているのでしょう。
ということは、やはり綱の思い人と茨木にはその姿を重ねて見るような関係性があるのだと考えられます。面影を見るような関係性として、それまでの情報から見て最も可能性が高いのは、綱の思い人と茨木が親子だったという可能性ではないかと思います。