レンアとパツァ連邦の年表というか、学校で習う歴史の教科書みたいなあれ
30歳の時に始まったスイッゼ統一内戦をおさめ、32歳の時にスイッゼ共和国を統一・建国した。翌年にはオースタブルクと手を組みスイッゼ=オースタブルク共和国が成立。怒涛の勢いで翌年2月にはジェアマン連邦とポウ共和国を取り込み、4国が出揃ったところで名前をパツァ連邦に改称。
卓越した内政力と国民をまとめあげるカリスマ、そして演説力によりわずか2年で7倍にもなった国土の人々をひとつにした。それだけでは飽き足らず、世界統一による平和を真剣に目指していたレンアは続けざまに併合のためチェシュカ共和国を侵犯(『交渉訪問』)し、これに抵抗したチェシュカにより戦争勃発
しかし4カ国の軍事力を統合したパツァ連邦軍の前にチェシュカもその奥のスラヴィカもなすすべはなく呆気なく併合。あくまでも軍事的優位を見せて相手国が軍事力を持たなくてもいいことを示すためであったとしたが、誰の目から見てもそれは軍事侵攻に他ならなかった。
この頃に北方に地続きのバリシュ・ルージェとの不可侵条約を結び、ベルロシアやユークレイシュカといった親バ国との国境を接するパツァ連邦は西南部の制圧に集中出来るようになる。
南のイツリオや西のフランチェへと足を伸ばしたパツァ連邦は革新的兵器と士気の高い軍隊により連戦連勝し、大陸西端を制覇するまでに至った。
しかし戦争後期には最後まで抵抗していた大陸北方の極小国や北アフリーコ、北アメリゴなどといった様々な国に包囲され、占領したはずの領土には上陸してきた敵兵がD国の兵器を完封しうる改良型を持って進軍しており、身動きの取れない状況に陥る。それでもなお世界統一を諦めないレンアを差し置いて、国務長官の独断により降伏調停がなされ、平和のためのはずだった死の戦争、灰の戦争は集結した。若く期待の星として人々に慕われた英雄は今や、50近い死刑囚となっている。