fffとルイと結婚
ルイはどうしてあんなに「結婚したい」んだろう。と思っていました。
音楽は誰のもの。何に勝つのか。生きるとは。
みたいなテーマと並列に「結婚したかった」が来るのが不思議で大好き!と思っていました(雪原でナポレオンに問われた時の「え?その答え?」の衝撃!!←そんなルイが大好き)(「お前はモテたじゃないか」には「モテとはちょっと違うんじゃ」とアナザーストーリーなナポレオンを思い浮かべてしまうけれど。笑)。
また。
私は朝月ロールヘンにもちょっと違和感を感じていました。
星南ロールヘンとはちょっと別人というか、その成長後の姿とはすんなり思えなかったのです。
もちろん成長過程で変わっていったのかもしれないし、それはそれで普通のことだとは思うのですが、自分に恋心を抱いているのがわかっている相手とその望みに応えることは出来ないのにああいう風に繋がりを(主に彼女からの具体的な働きかけで)持ち続けるのって、それはそれで(2回目)罪深いんじゃ?残酷なんじゃ?とも思わずにもいられなかった。
それにそれに。
ゲルハルトはずっと朝美さんが演じているのに、ロールヘンには星南さんと朝月さん2人がキャスティングされてるのも不思議でした(ルイだって「少年時代」「青年時代」があるのだから、ゲルハルトにも青年時代と朝美ゲルハルトがいてもいいんじゃ?)(注:私個人はルイと出会った時のゲルハルトとその後の彼の、朝美さんの声の演じ分けが大好きなので、別の人に演じてほしいと思ってるわけじゃありません)(単純に「ロールヘンとルイは役を分けているのになんでだろ?役を増やす目的ならゲルハルトだって分けてもいいんじゃ?」と思っただけです)。
というわけで。
その辺りを色々考えた結果「朝月ロールヘンとは?」という己の疑問にはざっくりと「概念である(朝月ロールヘンはルイの中にある幸せの象徴であり、彼女個人ではなくブロイニング家そのもの)(だから「帰ってきて」と何度も言うのも願うのも罪深くない←私の中で)(だから星南さんと存在を分けることが必要だった)」という答えを出して二回目以降は観劇していたのです。
そこに。
昨日、新たな閃きが加わりました。
もしかしてルイが「本当になりたかった」のは。
「ずっと憧れていた」のは。
ゲルハルトだったんじゃ。
ナポレオンとゲーテは心のお友達(笑)だし、もちろん、彼らのことは大好きだし、ファンだったし、追っかけてたけど、彼らには「なりたかった」わけじゃなくて、彼らと並び立つ人物に「なれる」と思ってたというか「なる」のが当然な対等感が(ルイから一方的に。笑)あるんだと思うのです。
現実的な存在だった。
でも、ゲルハルトには。
「なりたかった」。
なれない(と思ってる)から、なりたかった。夢の、存在だった。
ルイ。
腹が立てばナポレオンのことはちゃんと罵れるし、悪口も言うし、嫌味に「葬送」だって弾いちゃうことが出来る。
ゲーテにだって己の激情のままに手紙や曲を送り付けられるし、意見されればムッとした顔を本人の前でも見せることができる。
でも、ゲルハルトには出来ない。
「俺だって!ロールヘンが!好きだったんだ!ちくしょー!」と八つ当たりで殴りかかったりしないし、「結婚おめでとう!(嫌味)」な曲も作らないし、手紙の返事も書かない。
自分のカッコ悪いとこ、見せられない。
だって、ゲルハルトは、ほんとの憧れだから。
だから最初から最後までゲルハルトは朝美さんが演じてた。
ルイにとってのゲルハルトはずっと朝美ゲルハルトだったから。
結婚、したかった。
ゲルハルトみたいに生きたかった(という思いが、あの雪原でナポレオンに話すまではルイの中に認められずに在った)(のかな)。
などと考えて。
ロールヘンの手紙を読むゲルハルトがあの場面にああいう演出で登場する様を思い浮かべると、ズンと(not桜木)(知ってるわ!)きました。
というわけで。
最後に。
配役表を改めてみたら、ルイの子供時代は「少年、青年」と役を分けているのにロールヘンは「少女ロールヘン」ではなく「昔のロールヘン」で、朝月さんの役は「エレオノーレ・フォン・ブロイニング【ロールヘン】」なのですね。
この【】が使われてるのは他には【智天使】【天使】。
なるほど。